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【無料記事】馬渡侑佑・小山龍介|多様性を生み出すプラットフォームとしてのKIW

宮崎県出身で、大分県竹田市に魅せられてJターンした馬渡さん。竹田市での活動は決して順風満帆ではありませんでした。新しい出会いがあり、はじまったプロジェクト、KIW(九州アイランドワーク)についてお話しいただきました。

この記事では、講演の後半、小山龍介との対談をお届けします。

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送客のペイフォワードが地域を豊かにする

小山龍介(以下、小山) 「九州で括る」という話は村岡さんから以前、直接お聞きしたときに、かなり魅力的だと感じたのですが、九州は県ごとに個性的ですよね。もともと藩が違うし、お隣の県とは飲んでるお酒も違う。ひとつにまとめるときの現場での困難さはどんなものがありますか?

馬渡侑佑(以下、馬渡) そうですね。自治体の方はやりづらいんだと思います。県境が明確にあって行政区割がある。でも、たとえば東京に出てきている九州人は心のつながりはめちゃくちゃ強いです。中にいるから見えないだけで、外に出ちゃうとそのつながりの強さを感じます。高校野球でも、自分の県が負けちゃっても、他に九州勢が残っていると必ず応援する、とか。潜在的にそういう共通認識がありますね。

一方で、行政区画の区割りはどう超えていくのか、はテクニックだと思っています。たとえば、熊本と大分の県境で、それぞれ観光用のパンフレットがありますが、県境であっても隣の県のことはお互いに何も書かれてない。九州全体としてのレギュレーションを決めないと難しいかなと思います。

小山 これも村岡さんから聞いたのですが、商店街って細かく区切られてますよね。この角からは違う商店街だと。そこで商店街が競って、お互いにお客さんを奪い合う。そうすると、地域の力がどんどん下がっていく。だからそういうことはやめようよ、と。お客さんを奪うのではなくて送り合う。「うちだけじゃなくてあそこも寄ってくといいよ」と、送客しあったら関係人口が2倍になる。そうすることで中心市街地がもっともっと盛り上がるのに、奪い合うことでお互いに貧困になっていく。送客しあおうというこのお話、すごくおもしろいと感じました。

馬渡さんのお話もそうですが、まさに、全体でやるからこそ人が流動する。送り合うことのパワーを感じます。自分のためじゃなくて、というペイフォワード、ですよね。「あそこにもいくといいよ」って…、今のところは、あんまりないですよね? 

馬渡 送り合うのは、やりづらいんですよね……。実感知がないというか。全体として数字が上がるのはわかるけど、個人としては実感できない。慣習としてやれるならいいんですが、施策としてやり続けるのは難しいので、今まで起きてなかったんじゃないかと思うんですよ。

小山 うちも自由が丘にやちむん(沖縄の焼き物、うつわ)を扱うお店をやってるんですが、隣のお店を紹介したり、別のお店の方から紹介されたお客さんが来てくれたりしているんです。お店のある地域一帯を、「奥自由が丘」と名づけてキャンペーンもやります。境界線で括ると一体感や個性が生まれるし、「奥自由が丘に行こう」と表現が自然発生的に起きてくる。

九州も、九州という境界線で括ることによって、一体感が生まれることで住んでいる人の行動に変化を与えるんじゃないかと。

馬渡 そうだと思います。宮崎に住んでいるとき、自分が住んでいるのは宮崎であって、九州だ、という感覚はあまりなかったんですよね。

九州という括りで送り合うというのは、新しい発見です。商店街のなかでの送り合いはあって、その括りを宮崎、とか九州に広げていくと、全体として隣の人のことを考えてペイフォワードが意識に入ってくる。すごくいいですよね。

20代の若い子たちにはそういう意識をもともと持っている子が多いと感じますね。年令が上の層の人たちがいままでの地理的なエリアにこだわってるかもしれないですね。

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境界をつくるからこそ生まれる多様性

小山 送り合うからには、こっちにないものがあっちにある、というのが送りやすいですよね。自分たちは、自分たち独自のものを提供して、ここにはないものを提供できると。

先ほどのお話で「多様性」という言葉が出てきました。「地」と「図」という表現をすると、九州という括りの中で、今は「地」がないので、「図」として浮かび上がらないんだと思います。

たとえば、大分駅はまるでミニ博多駅。入っているテナントもだいたい同じ。宮崎駅も再開発してそうなるとしたら…、ミニチュア版でしかないのなら「図」にはならないし、送り合えない。

九州という括りのなかで、送り合うためには、「独自性を出しましょう」と、多様性を考えるようになります。

京都ってスタバがけっこうあるんですが、スターバックス地図が置いてあるんです。それが単なるマップじゃなくて、この店は古民家を改装したとか、この店はバリスタがいるなど、ひとつひとつのお店をすごく個性的につくってるんです。スタバマップという「地」のなかで、図(店舗)が浮かび上がるように。

KIW(九州アイランドワーク)のマップも、このエリアのワークプレイスの個性はこれだと言わないと、単なる便利マップになる。一枚の地図に地ができて、図が浮かび上がる仕組みが、この取り組みの根幹にあるんじゃないかと思います。

馬渡 そう思います。用途分散とエリア分散があるんですよ。用途分散が、個性化なんです。エリア分散は地をつくるということ。

僕にとって、竹田が本当におもしろかったのは、そこにめちゃくちゃ個性が残されていたから。よくあるフランチャイズ系のお店が生きられないエリアになっている。だから個性がある。

合理性と論理性で考えると、運用していくためにはいかに個性を消していくか。コンパクトシティってある意味、どんどん合理性を高める都市じゃないですか。そうなるとミニチュア版の駅の話と同じで、全部同じ都市になる。何もおもしろくないですよね。

ここに「半コンパクトシティ」と書いてるんですが、そうしないとそうしないと地方は滅びると思っていたんです。でも、やり続けて気がついたのは、ちゃんと地面をつくることさえできれば、流動や個性をどうつくるのかは見えてくるんですよね。

竹田は個性的ですが、そうじゃなくて個性がないところもあるじゃないですか。田んぼしかないようなところ。でも、そこを通ることはするので、「流動」という個性になる。何もないなら、ないなりの戦い方がある。それができるのは、地があるから、ですよね。

九州全土でのポジショニング、個性化は、おもしろい形になりそうで、本当にいいと思います。

小山 九州という境界があるのがポイントですよね。ただ多様に、じゃなくて「このキャンバスの中で」どうがんばるか。

 海外から見たときに、九州をひとつの島と捉える。日本人はからするとそうでもないですが、海外から見ると島っぽい。そして実際に来てみたら多様な魅力がある。

ふつう、境界をつくると、その中が同質化していく、九州統一ブランドみたいなことになりがちだが、この取り組みは、境界をつくるからこそ、中が多様になる。どうしてそれができるんですかね? 

馬渡 そうですね…。たとえば、北海道と九州を比べると、九州は県ごとの個性が強い。もともと個性が強いんですよね。括ったことによって県の個性が顕在化されるんじゃないですかね。

たとえば、宮崎の肉と佐賀の肉の味、味が全然違うんです。佐賀の肉と宮崎の肉で戦うんじゃなくて、「九州の肉」(のバラエティ)として他と戦う。県同士じゃなくて、もうひとつ上のレイヤーでの戦いができるのが九州の強みになるんじゃないか、と思うんですよね。

小山 平成の大合併で、複数の市町村がまとまって一つの市になる、みたいなことがたくさん起こりましたよね。土地の名前がなくなったり、行政区も違うから、主体的な決定権を失って同質化していった。

でも、この話は市町村合併の話でもないし、道州制をいれたとしても、同質化するという話でもないく、自己決定権を維持したまま、まとまるということ。

そうしながら本当に九州ブランドは成立しますかね?

馬渡 世の中が、経済合理性で動いていくと、極論、寡占化しますよね。ぼくはずっと寡占化することと戦いたいと思ってました。

村岡さんもそうですし、このKIWのつくり方もそうですが、それぞれが自動的に多様になる。多様化するフィールドをつくる感覚です。そこに決定権がないとそうはならない。

ずーっと米ばっかり作っている農家さんって、九州にはあんまりいなくて、バナナンつくったり、コーヒーつくったりしてるんですよね。それで宮崎でマンゴーつくって大ブレークしたり。九州には、決定権を持っている人たちが多いというのが、根本的に違うのかも。

小山 一方で、ミニチュア版博多駅みたいなことも、九州でも起こっている。それと、九州アイランドのプロジェクトの多様性、仕組みとしては何が違うんでしょう?

馬渡 なんですかね…。以前の仕事(チームラボ)で、ららぽーとの出店をやったことがあるんですが、ららぽーとって、まさにいろんなテナントをテストしまくって、最終的に最強なのが富士見にできた。次につくるときはそれをコピペして、うまくいかないときはまた別のとがったものをつくるとか。経済合理性で動いているので、それはそれでしょうがないんですよね。

ディベロッパーのなかでも、JR九州さんは、多様性をつくることにこだわりがある人たちがいるように思います。『ななつ星in九州』って、「九州」という名称を顕在化させたいという思いで名前につけて、九州全土を回る。特徴を捉えて表現しようとしています。

中に、同じところが入ってくるというのは、経済合理性を持つというのは大企業ですし、JR九州の中でも葛藤があるんだと思う。デザインは違うけど、中はほとんど同じになってしまう。経済を回す難しさですね。

でも彼らが、本気で、多様性を開放しようとした瞬間にめっちゃおもしろいことになりそうな気がします。あれだけの規模ですし。

(今手掛けている)別府の百貨店はまさにそれに対するアンチテーゼ。巨大な箱がうまくいかなくなったときの次の手として、別府というエリアで、その建物自体をどう多様化していくかということに、チャレンジします。百貨店さんとぼくらと事業者さん2社、みんなで次の商業モデルができないかなと、一年後のオープンに向けて動いているところです。

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経済合理性ではなく、芸術的にビジネスを立ち上げる

小山 そういうことを大雑把に掴むと、芸術と科学の戦いだと思っています。再現性ある経営をしていくと全部同じになる。ところが、芸術って同じことやったら、馬鹿かという話になる。違うことしていく、多様にしていくという営みです。

馬渡さんたちがやっているのは極めて芸術的な取り組みですよね。その芸術性は、場所を提供する人が、ここは猫カフェがいいとか、ファブカフェっぽいのがいいなとか意思決定できるということと、他の様子を見ながら意思決定できる。実はこれは表現ですよね。ここには多様な表現が350ヶ所あるってことです。

AI時代になってきたときに、人間が取り戻すべきは「表現」するということ。表現は、人生を豊かにするし、逆に奪われたらめっちゃ灰色の人生。表現の余地をどう確保するのかというところに絡んでくる。

山崎遼さんのコミュニティデザインで取り上げられるのは、地域の人が、ある空いたスペースで表現できるようにするところ。表現できる余地をつくる。しかも地元の人たちが主人公になって表現する。そのエリアをどうつくるのかが重要なのかな。

馬渡 ほんとですね。ぼくらのつくったアプリで鍵(KIW-Workbox)は、仕組みとしてはドライですが、裏側に人がちゃんといるというのが表現になっていると思っています。決済する人たちが表現、色を持っていて、ビジネス的に決済するというより、主観的に、その人たちがどうあるべきかが、裏側に入っている。それが多様としてにじみ出てきていると思います。

小山 アプリ開発のときはどんな工夫を?

馬渡 そうですね。Airbnbも同じだと思うんですよ。超多様な民泊ですよね。個人側に寄ったサービスだから、ですかね。

投資回収をすごく小さくすることで、100万しか使ってないから遊ぼうよ、みたいなことが裏側にあって、しかもロングテールになっている。

Airbnbが出てきたときの最初の広告が、崖っぷちの宿泊施設がメインビジュアルだったんですけど、「すげーな」ってインパクトありますよね。  あのイメージがロングテールの部分なんですけど。多様な意識づけで自分もトライしてみようと思ったんですよ。最初出てくるのがガチガチのビジネスホテルだったらこうはならなかったと思う。

小山 Airbnb、ミッションもいいですよね。

馬渡 違う宿泊体験をつくったのはめちゃくちゃ大きい。経済合理性のためにホテルが建たない場所ってあるんですよ。九州の中にも。竹田にもないです。人が来ないところに泊まれる機能を付与できる仕組みって、めちゃくちゃいいですよね。それが価値をつくっていく。こんなとこ泊まれるんだ。って。経済合理性ではできなくて、Airbnbだからやれる。これが、地域の価値に生まれ変わりますよね。自分でつくってて、似てるなと思って記事とか見直したりするんです。

小山 Airbnbはけっこう予算を持ってて、おもしろいエリアに出すのなら予算出してくれるらしいですよ。何百万レベルじゃなくて。

馬渡 えー、ぜひ竹田でやりたい。

小山 相談してみるといいかも。それくらい彼らは本気なんですよね。その代わり、体験も含めてものすごいいいものをつくってほしいっていうことだと思うんです。芸術的なプラットフォームですよね。

他のプラットフォームって、NetflixやAmazonプライムビデオとか、プラットフォーマーって似通っちゃうんですけど、Airbnbはオンリーワン、他ではできないですよね。

馬渡 もともと意図してないと思うんですけどね。

小山 こんなふうに、経済合理性ではなくて、芸術的なビジネスの起こし方が問われていて、村岡さんの九州パンケーキもそうですよね。原材料も、まぁこだわってつくってますよね。アート的なビジネス。

アート思考って、いま流行ってますが、「センスよくなるよ」というような話に終止していることが多くて……。そうじゃなくて「表現」というところまでいかないと。「ビジネスのなかでこれが表現できる」という志でビジネスを立ち上げるのがアートのビジネスじゃないかなぁって。

馬渡 アート思考は、手法、ツールじゃないですか。いろんな道具のなかのひとつであって、全部がアート思考がいいというのが安易な感じがします。脳みそがアート思考じゃない人がやると失敗すると思う。バックキャスティング的に考える人なのか、積み上げ式に考える人なのか、ぜんぜん違いますよね。

それこそ教養だと思っています。ぼく、教養の回復をめちゃくちゃやりたいと思ってるんです。

小山 ぜひ、聞かせてください。

馬渡 壮大な話になるんですけど(笑)。

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地に足をつけた、血の通った教養を得られる場づくり

馬渡 竹田市でいちばんつらかったのは、最終的にみんなが町をよくしたい気持ちは同じなのに、どうしても戦うし、カニバルし、もともといる人たちの権力の強さに負けていく人たちもたくさんいて…。

まちづくりに黒歴史はつきものだと思うんですけど、まちの歴史が長ければ長いほど、固執した場所であればあるほど、流動が生まれない。撹拌されていないんです。お金も回らない、人も、ノウハウも、文化も流動しない。だから(古きよきものも)残ってるといえるんですが。

こういうときに、いちばんよくないのが、教養がなくなっていくこと。教養も、30年も経つと疲弊していくので、新しい教養を入れていかないとならないのに、ナレッジも入ってこない。

ぼくがつくりたいのは、ナレッジの管なんです。この場所が関係人口を引っ張ってきて、文化やナレッジが管を通ってくることで教養を回復させることができるんじゃないか。

ぼくの教養の定義は、押し込まれた知識というより、自分で考える「考え方」。教え込まれちゃうと考えなくなっちゃう。本読まなくなる。そもそも教養を失っている人がかなりいると思う。悪く言うわけじゃないんですけど、閉鎖された自分たちの世界の中だけで生きていると凝り固まってしまいますよね。

単に、商店街で講演とかじゃなくて、考えることのクセ付けというか、自分たちが「考える」ことをしていかないと。なんて言ったらいいかむずかしいんですけど。

若い人たちが一所懸命やっているので、年上の人たちもそこに入ってきてもらって、今持ってる知識や情報を交流させると、おもしろいものができると思うんです。撹拌させたい! ずーっとそう思ってるんです。

小山 本から得られる教養もあれば、体験から得られるものもある。農家の方が自然界に対する豊かな教養を持っている方もいる。

昨日見てたYou Tubeでおもしろかったのが、柴犬の動画なんですけど。柴犬ってもともとは猟犬なので、気性が荒いんですよ。たまに激しい個体が生まれるらしいんですが、その激しい柴犬に首輪をつけるという動画なんです。15分くらいの。

「じゃあ今から首輪をつけます」「こうやってみたら、だめなので、こうしてみます」みたいな。シュッと首輪をつけるところがスロモーションになってて。なんと、再生が何十万件。フォロワーも十何万人っているんですよね。

馬渡 その方は教養が高いと思います。

小山 そうなんですよ。いまって、こういうローカルに眠っている教養をYou Tubeで流すと世界中で「こいつ、すごい!」みたいなことになるんですよね。

その気の荒い柴犬の首のところをクシで梳く、15分くらい淡々とやっている、これが表現になる世界。プラットフォームのなかですごく多様な表現が生まれることに注目したい。そうすると、教養の多様性が出てくる。

大学でアカデミックにやる方法も昔からあって、一方でこういう草の根の教養もたくさんある。ぼくらの役割は、もしかしたら、こういう草の根の「柴犬を飼いならす」みたいな教養を持った人を引っ張り上げてくることなのかもしれない。

それを改めて「教養」と呼ぶほうがいいのかもしれない。ついつい、上からになっちゃうんですよね、本読め、とかね。草の根の教養があって、改めて本をあたってみる、というような、こういう吸い上げの教養の循環をつくることが、もう一度教養に立ち戻るポイントかなと思うんです。

これはAIにはできないでしょ、という話になると思う。

馬渡 農家さんは自然相手で、常に考えてないとならないですよね。考えること、というのが、ぼくのなかでのいちばんの教養のファクトなんです。

ぼく一年間、出向先ですっごく簡単な仕事を、何も考えずにやっていたら、ものが考えられなくなったんですよ。一年後に戻って、人とディスカッションしたときに、何にも考えられなかったんですね。脳みそが疲れまくって、これじゃあいけないと実感したんです。

人と会うこと自体も、読書と同じくらい「考える」ことになる。ずっと人と会ってなかったおじいちゃんが、隣のワークスペースにいろんな人たちがちょこちょこ来はじめて、話をするようになることで、少しずつ教養の回復ができるようになったら、もっとおもしろくなると。今のお話で整理がつきました。

小山 それすごくわかります。教養は、現場に設置していないとだめだと思うんです。AIはシンボルグラウンディング問題がありますよね。「痛い」というシンボルと、痛いという「経験」が結びついてないから、言葉はわかるが、痛いことの内実がわからない。

いまインターネット使い始めて、このシンボルグラウンディング問題が人間にも出てきているわけです。自分が経験していないので、わからないんです。悲しみや苦しみや暑い、寒いも。

真の教養は、シンボルがグラウンドに設置した瞬間に出てくると思うんですよ。

そういう意味では、農業やっている方は、文字通り地に足ついている。この九州の島全体がワークプレイスになる、というのは、地に足つける仕事場ですよね。高いビルの何十階で働くのとはぜんぜん違う感覚でインスピレーションが得られるとか。地に足つけた、血の通った教養を得られる場所になっていったら、おもしろいと思う。

馬渡 管って血管のイメージだったので、血が通うというのはまさにイメージに合致します。


馬渡 侑佑(九州アイランドワーク株式会社 代表取締役社長)
宮崎県出身。佐賀大学理工学部都市工学科卒業、ITベンチャー、コンサル会社を経てチームラボに入社。チームラボ「学ぶ!未来の遊園地」の立ち上げに従事し、別府での展覧会で大分を訪れたのを機会に、東京都から大分県竹田市に移住。竹田市に移住してからは、主にチームラボキッズの九州案件を担当しながら、竹田の城下町の空き家対策や、中心街の活性化を目的として、「竹田まちホテル」などを展開。
2019年1月より九州パンケーキを展開する、一平ホールディングスのグループ会社として九州アイランドワークを設立。

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