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私に文章を書くおもしろさを教えてくれた先生の話

その人の名は、「焼きそば黒パン先生」。小学校1年生の時の担任の先生で、40代半ば~50代くらいのベテラン先生だったと思う。「焼きそば黒パン」というのは、我々が名づけたあだ名ではなく、先生ご自身が自己紹介の際に教えてくれたニックネームだった。「焼きそば黒パン」の由来は、ジャムおじさんのような柔和な顔立ちに顎くらいの丈のソバージュヘア、どちらかと言うと地黒の肌を総合的に表現したニックネームとのことだった。私が提出物に「焼きそばパン先生」と書いたら、赤ペンで「焼きそば黒パン先生です。」と訂正された記憶があるから間違いない。先生は、非常勤講師だったので、実際に見ていただいたのは、ほんの半年間だ。だけど、忘れられない半年間だった。彼女は私に文章を書く面白さを教えてくれた。

今回のテーマは、「自分の文章に大きな影響を与えた人」についてである。しばし、お付き合いいただきたい。


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『それいけ!アンパンマン』HPより

小学校入学当初、私達の学年は児童数が40人に満たなかった為、1クラス編成でスタートした。教室の隅から隅まで机と椅子が並び、遊ぶスペースの確保に苦労した記憶がある。しかし、転校生が何名か増えたことで10月に2クラス編成に変わった。私達のクラス担任として着任されたのが、焼きそば黒パン先生だった。

先生は作文教育に力を入れており、毎週、テーマに沿った作文の宿題が出た。始めは原稿用紙400文字の半分、200文字からスタートし、徐々に文字数を増やしたお題が出るようになった。始めは「小学1年生でこんなに長い文章はキツイ!」と苦しみながら書いていたのだが、そのうちに、すらすらと書けるようになり、自分の感じたことや考えやその時の気持ちを言葉にして誰かに伝えることの面白さを感じるようになった。宿題をこなしていくうちにいつの間にか、作文が私の好きなことに変わっていった。書くことが好きになると、文字を書くことも好きになり、書道が好きになった。また、長文が書けるようになると、読むことも苦にならなくなり、読書が大好きになった。それは今も変わらない。

先生は、1年生の終わりに異動され、その後お会いすることはなかった。けれど、先生が育ててくださった、私の作文愛はその後も成長を続け、読書感想文コンクールで賞をいただいたり、学校文集に載せる自由作文で、作文用紙10枚分の短編物語を書き上げる(見開き3ページくらい私のコーナーになった記憶がある。自由な学校だったと思う。)等、書くことに魅了されていった。

この自分の想いや考えを言葉にするという力は、特に思春期に私の心を助けてくれた。成長するにつれ、これまでストレートに言えていたことが、言いづらくなっていった。次々と心に浮かぶ不安や葛藤を自分の中に留めておいたら狂いそうになる、でも、どう伝えたらいいのかわからない。そういうもやもやを吐き出すのが、文章だった。苦しくなると紙とペンを持った。そこに自分の気持ちを書き出した。紙の上で、時に愚痴り、時に自分をなだめ、反省し、弱気になりがちな自分を奮い立たせ、冷静になろうとした。今思えば、私は私に、手紙を書いていたのだと思う。

(名曲ですね……)


『手紙~拝啓 15の君へ~』アンジェラ・アキ
Youtube公式チャンネルより

そうやって書き溜めた、ノートや便箋の多くは、いつかの大掃除で大量に捨ててしまった。残りもこっぱずかしくて、滅多に読み返すことはないのだけれど……

「自分と対話するように、日記や手紙を書くように文章を書く」、これが私の文章を書くときの基本スタンスである。自分の中の葛藤とか、日常で感じていることや、そういうものを言葉として表現することを通し、この世界のどこかにきっといる、私に似た誰かの心に灯りをともしたり、背中を押すことが出来たのなら、それはとても素敵なことだと思っている。そんな想いを持ちながら、今日も文章を書いている。

お付き合いいただきありがとうございました。

編集:円(えん)
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