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マイ・リトル・幸福論

関口

何かあったときに文章を書くんじゃあ遅いんだと思い立ち、何もない日に書いてみる。

恥ずかしながら、最近になるまで本の読み方を知らなかった。自分にとっての本の読み方。私はあまり読むのが早くないので、頭の中で音読をしながら、その代わりに文章の構造、どこが骨組みでどこが肉付けなのか、を逐一頭に叩き込みながら読むと内容がようやく入ってくる。マインドマップを作りながら読むような感覚、実際私はマインドマップを作るようにしてから思考の調子がいい、相性がいいツールに出会えた。

小説を読んでいても、結局思想の核は何なのか、ということばかり考えてしまい、レトリックやその他一切の物語要素が邪魔だと感じる。そういう時期である。だから思想や論理が淡々と整理されて並んでいるような、学術書(まだ入門書、概説書ばかりだが)を読むのがとても心地いい。最近買った本を並べてみると、私は数学、哲学、心理学、言語学あたりに興味を持っているらしい、読みかけだがこの本は面白い、とてもおすすめできるものではないが。


ガリガリ君を食べていた。つまり食べ終わったのだが。ふとガリガリ君の棒にはアタリの要素があったことを思い出す。当然手元にある棒は当たっていない。これを「食べ終わった棒」ではなくて「ハズレ」として認識してしまう。すごくやるせない気持ちになった。夏の夜、私はささやかな娯楽で大いに満たされていたのに。


夜中にお腹が空く。たまたま冷蔵庫にナスがあって、ナス以外のすべては無かった。切って、焼く。むやみにひっくり返さない方がおいしい。じれったい。ようやく両面がよく焼けた。すりおろしたニンニクと醤油で食べる。実家でよく出ていたなァと思いながら、蛍光灯の印象が強いキッチンでナスを食べる。これでいい気がする。


存外、こんなものな気がする。


関口

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