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ジョイのボーイズクラブ|MITメディアラボ所長の辞任騒動をめぐる覚書 【若林恵】

TEXT BY KEI WAKABAYASHI

【まえがき】

下記に掲載したテキストの骨子は、伊藤穰一さんがMITメディアラボ所長を退任した直後に書いたもので、どこかに出そうかどうしようか迷っているうちに思わぬ時間が経ってしまった。

騒動の顛末については、特に終盤になってからかなり熱心に追いかけていたので、新しい情報が出てくるたびにSNSで大騒ぎになるのをリアルタイムで、こういうと大変失礼だが、手に汗握りながら見ていた。

MITメディアラボには、一度ばかり取材に行ったことがあるし、伊藤穰一さんには取材などで何度もご協力いただいたことがあるが、個人的にメールをやりとりするような間柄ではなかった。お話はいつも面白く、キレキレなので、もちろんリスペクトしていたが、MITメディアラボという組織に関して言えば、ある時期から興味を失っていた。なかには好きな研究者もいたが、表立って目立つものと言えばイノベーションのためのイノベーションのようなものばかりに思え、わかりやすいバズワードに沿った大喜利のようにしか感じられなくなっていった。そのオモチャ的な面白さを「イノベーション」と持ち上げる周囲の浅慮にも次第に鼻白むようにもなった。

であればこそ、伊藤穰一さんが2016年にオバマ大統領の対談相手としてホワイトハウスに乗り込み、これからのテックに必要な「倫理」などについて語ったことは、個人的には結構嬉しかったりした。工学とビジネスの言語だけで語られてきたデジタルの世界にようやく人文や社会科学のことばが入り込めるようになったか、と。その後いつの間にか「AI倫理」の専門家に伊藤さんがなっていたことには若干の違和感も感じなくはなかったけれど、日本人としてあれだけの重職に就き、世界が耳をそばだてるポジションから「倫理」を語る姿を、むしろ頼もしく思っていたほどだ。

とはいえ、一抹の不安がなかったわけではない。倫理が大事、というのはよいのだけれど、やはりどう考えても伊藤さんはその専門家ではなかったろうし、名前を出せばいいというものではもちろんないけれど、自分が知る限り伊藤さんの口から思想家や哲学者の名前などが出てくるのは聞いたことがなかったし、そういうものに興味があるのかもどうか判然としなかった。余計なお世話でしかないけれど、端から見ていて危ない綱渡りのようにも見えた。そして結果として、思わぬところから足元を掬われることとなった。

デジタルテクノロジーの猛威が、もはやこれまでのやり方では到底制御することが困難になっていることが明らかになり、そのガバナンスをめぐる議論が前景化するなか、テクノロジーをめぐる言説は倫理だけでなく、法や法哲学、科学哲学、政治思想、経済思想など広範なコンテクストが錯綜した複雑かつ難解なものになりつつある。より慎重かつ困難な議論が求められるなかでのMITメディアラボと伊藤さんの失墜は、テック界隈が語る希望が希望となりえた時代の終わりを告げる象徴的な出来事のようにも思える。であればこそ、その騒動のあらましを知っておくことに意味があると考え、公開しておくこととした。

本体の記事の大枠は2019年の9月中には出来上がっていたが、もたもたしているうちに年末となってしまい、そうこうしているうちに12月末に新たな関連記事がアメリカで公開された。その記事の紹介文を「『倫理的なAI』は存在するか?」というタイトルで「追記」として文末に加えた。

誰かを貶めたり、非難や告発したりするつもりはなく、もとより騒動の部外者である自分にはその資格もない。騒動の顛末をスマホを通して追いかけた私的なレポートに過ぎないので、ものの見方にバイアスもあろうかとは思うゆえ、公正な客観記述というよりは、あるバイアスを持った人間が騒動の顛末を外から見るとこうなる、というひとつのサンプルとして読んでいただくのが良いのではないかと思う。
それなりに公正に書いたつもりではあるけれど。

とはいえ、ネグポンの老害ぶりには、さすがに自分も呆れました。

(2020. 1. 19)


はじめに

獄中自殺を遂げた大富豪・ペドフィル(小児性愛者)・犯罪者のジェフリー・エプスティーン(ニュースなどを見るとアメリカではたいがいこう発音されている)から資金提供を受けていたことで、MITメディアラボとその所長であるジョイ・イトーこと伊藤穰一が大炎上に見舞われた。そして、2019年9月6日、著名な調査報道ジャーナリストにしてウディ・アレンとミア・ファローの実子であるローナン・ファローが、名門文芸誌「ザ・ニューヨーカー」に寄稿した記事でエプスティーンとイトーの不適切な関係を内部告発者の証言を交えて詳細に暴いたことで辞任に追い込まれ(MIT学長L・ラファエル・リーフによる伊藤穰一の退任を告げる声明|2019.9.07)、騒動はひとまずの決着を見た。ここでは、騒動のあらましを報道やSNSでのやりとりなどを通して振り返りつつ、"ジョイ・イトー"という人物の不思議な立ち位置を浮き彫りにしてみたい。

(この辞任騒動について自分が知りえたことは、あくまでもメディアやSNSを通じて公開されているものだけで、自分だけが知り得た情報は含まれていないことはあらかじめお断わりしておきたい)

ローナン・ファロー「あるエリート大学の研究センターはいかにしてジェフリー・エプスティーンとの関係を秘匿していたか」The New Yorker|2019.9.6


炎上した謝罪文

8月初旬、エプスティーンの死を契機に公開された文書は、ジェフリー・エプスティーンの名だたる科学者たちとの交遊を明かしたもので、MITメディアラボ所長のジョイ・イトーの名もそこに上がっていた。すぐさま非難の声があがるなか、火に油を注ぐこととなったのが、エプスティーンからの金銭授受を認めたイトーの謝罪文(2019.8.15)だった。金銭の受け取りがあり、カリブにあるエプスティーンの別荘を訪ねた事実があったことも認めた謝罪文について、率直に過誤を認めた点で一定の評価をする声はあったものの、それは、たしかに説明としては物足りないものだった。

イトーはエプスティーンからの金銭授受を「誤った判断」(error in judgment)としたが、ここで炎上を引き起こしたのは、ふたつの論点をめぐってだ。ひとつは、そもそもエプスティーンのような性犯罪者の問題人物から寄付を受けるのはアリなのかという論点。そして、もうひとつは、イトーはそれをエラーと言っているが本当にそうだったのか、という論点だ。エプスティーンのような反社会的人物からの金銭授受の是非のみならず、イトーの謝罪文をめぐる批判は「エプスティーンがどういう人物かを知っててその金を受け取ったのか?」に大きな争点があった。イトーは謝罪文のなかで、エプスティーンとの交遊において「彼が追及されていた恐るべき行為に関わったことも、その痕跡を見たことも彼が話すのも聞いたことがない」(I was never involved in, never heard him talk about, and never saw any evidence of the horrific acts that he was accused of.)と主張していた。

「ジェフリー・エプスティーンの生と死」Sky News Australia|2019.818


ザッカーマン、マティアスの決断

イトーの謝罪文が出た約1週間後に明かされたメディアラボのふたりの研究者の退任は、まずは前者の、そもそもの金銭授受の是非をめぐる回答だったと見ることができる。

退任を決意したイーサン・ザッカーマンと、客員研究員のJ・ネイサン・マティアスのふたりは、メディアラボのなかで、社会正義や弱者の権利をテーマにしたプロジェクトを主導していた。ザッカーマンは「社会変化のためのテクノロジー」を標榜する〈Center for Civic Media〉のディレクターを務め、マティアスは社会的弱者のためのインターネットを構築する〈CivilServant〉を主宰していた 。

そんな彼らが、未成年女性の人権を侵害していた前科者で、服役後もまだ犯罪への関与を根強く疑われていた人物からの資金援助を受けた機関でプロジェクトを継続することはできないと判断したのは妥当と言える。社会正義を主張する研究が、売春で得た資金によって運営されていたとあっては支持は得られまい。

ザッカーマンは、退任を明かした声明のなかで、「不服従賞」という賞を顕彰しているMITメディアラボが、エプスティーンのような人物とのつながりを認めることの倫理的な問題を指摘し、2019年の受賞者であった#MeTooと#MeTooSTEMの活動家に、彼自身がまずはお詫びしたと記している。ザッカーマンの職を賭した抗議は、イトーがメディアラボにおいて「AIガバナンスと倫理」の専門であることを明かしていたことを思えばなおさら重要な意味をもつ。

またザッカーマンは、過去にイトーに対してエプスティーンとの付き合いを諫めたことがあり、紹介を断ってもいたことも明かしている。

そこから問題はふたつ目の論点へと移る。エプスティーンから金を受けとった際に、イトーは彼が何者かをどの程度理解していたのか、だ。エプスティーンは2008年に少女売春の罪で有罪となり13カ月の刑期に服している。その事件は大きく報じられたものでもあるので、それをイトーが知らなかったはずはない、というのがイトーを批判する側の強い言い分だった。

イーサン・ザッカーマン「わたしとメディアラボ」Medium|2019.8.21
J・ネイサン・マティアス「MITメディア・ラボを去る」Medium|2019.8.21


イトー支持派の面々

さまざまな憶測や疑念が渦巻くなか、イトーの処遇をめぐって同時期にふたつの署名運動がオンライン上で立ち上がることとなった。ひとつは「ジョイを支持する」(In Support of Joi Ito/2019.9.07に閉鎖)というもので、もうひとつは「ジョイ・イトーは退任すべし」(Joi Ito must resign/イトーの退任を受けてターゲットをセス・ロイドに変更し続行中)というものだ。伊藤の辞任の時点で、前者は約250人、後者は約750人ほどの署名を集めた。

ここで興味を惹くのはイトーを支持する側についた人びとだ。とりわけ目を引いたのは、「ホール・アース・カタログ」のスチュアート・ブランド、クリエイティブコモンズの提唱者ローレンス・レッシグ、MITメディアラボ創設者ニコラス・ネグロポンテ、マーケティング界の著名論客セス・ゴディン、AI研究の第一人者のひとりベン・ゲーツェル、『WIRED』創業者のルイス・ロセッティ、著名暗号学者のブルース・シュナイアー、さらにはピーター・ガブリエル(われらが「ピーガブ」なのかどうかは不明)といった大物の名前だ。

この人名リストに辞任要求側が猛り狂ったことには伏線がある。というのも、エプスティーン・マネーによる汚染が、MITメディアラボだけには止まらない広範なものであり、科学・テック界そのものが、エプスティーンとそのサークルによって牛耳られていた様相も先行して明らかになっていたからだ。

エプスティーンはサイエンス本の名門出版社ブロックマンの社長ジョン・ブロックマンと手を組み、「EDGE」という財団を通じて、名だたる科学者たちを手なづけてきたとされる。そのサークルには、スティーブン・ピンカー、スティーブン・ジェイ・グールド、スティーブン・ホーキングといった科学界のスーパースターたちが名を連ねていた。なかでも衝撃的だったのは、AIの父として尊敬される故マーヴィン・ミンスキーで、あろうことか彼がエプスティーンによる「少女接待」を受けていたことが暴露されてしまった。「ペド島」と揶揄されるエプスティーンの別荘で、科学者たちはいったい何をしていたのかという疑念が怒りとともに持ちあがったのも無理はない。

「ジェフリー・エプスティーンとネットワークの力」WIRED|2019.8.27
「AIのパイオニアがエプスティーンの島で、人身売買犠牲者とセックスした疑い」The Verge|2019.8.09


科学界のリーマン・ショック?

とはいえ、ここで問題になったのは性接待ばかりでは必ずしもない。むしろ、科学界の上のほうには隠された秘密のサークルがあり、そこで巨額の資金が人知れずやりとりされ、科学・技術界の帰趨が決定されていることが問題視された。言わずもがな、そうした秘密サークルに入れるのは白人男性だけだ。特権的な白人サークルに集う面々が互いを庇い助け合う様子は、科学界を舞台にしたリーマン・ショックの再演のように見えた。権力と金を一手に牛耳るずぶずぶサークルを構成する1%と、彼らのためのまな板の鯉でしかない残りの99%。その構図のなかでリーマン・ブラザーズの役割を担ってのがイトーである、と指摘するツイートなどもあった。

イトーを支持する署名にこうしたサークルにつながっていそうな大物がずらりと名を連ねていたことが即座に反発を引き起こし、とりわけ女性や非白人の研究者たちからの激越な怒りを買ったのは、こうした経緯を見ればさもありなんだ。また、こうした秘密サークルの秘密のアクティビティが暴露されてしまうことを恐れる人びとが存在し、延焼を食い止めるべく水面下でさまざまな工作があったとしてもおかしくもないと多くの人びとが考えたのも、エプスティーンの「黒革の手帖」の存在と獄中自殺の不自然さが囁かれるなかにあっては必然的ななりゆきとも言えた。

しかしながら、ここで重要なのは、イトー支持を表明したのがエプスティーンの「ボーイズクラブ」の面々ばかりだったのかといえばそうでもなさそうなところで、ここにこそ、ジョイ・イトーのユニークな二面性がある(とはいえ支持の署名者の7割は男性、とされてはいたが)。


ジョイはどっちの味方か

科学界を牛耳るエプスティーン・サークルが白人男性によって占められていたと書いたが、言うまでもなくイトーはそうしたなかにあって極めてレアな東アジア人だ(白人サークルのど真ん中で日本人が絶大な影響力を持ちえたことは過小評価されるべきではないと思う)。イトーの人種的な出自については、この間の論争のなかでほとんど触れられることはなかったが、人種のみならず、カレッジドロップアウトというアンチエスタブリッシュメントな学歴の面でも、イトーは従来のボーイズクラブの面々とは異なるプロフィールをもっている。イトーを支持する、支持しない、という綱引きの底流には「イトーはいったいどちら側なのか」という問いが流れていたように見える。その問いは、言い換えれば「イトーは権力側なのか」それとも「そこからあぶれたこちら側なのか」というものだ。そして、たしかにイトーはどちらと特定するのが難しい。

MITメディアラボにリサーチ・スペシャリストとして籍を置くロボット倫理の専門家ケイト・ダーリングは、英紙ガーディアンに騒動についての見解を寄稿している。彼女は、エプスティーン/ブロックマン・サークルによる科学界の汚染を厳しく糾弾し、二度とブロックマンと仕事しないことを表明したが、その一方で、イトーが辞任することについては反対の立場を表明した。メディアラボのこの危機的状況を修復し、「MITにおいて変革を実行できるものがいるとしたら、ジョイ・イトーは数少ない者のうちのひとりだ」("one of the few people who is even capable of enacting change at MIT is Joi Ito.")、「世界のブロックマンたちは変革に興味すらないだろうが、ジョイには喫緊の変化が必要であることを理解する謙虚さがある」("The Brockmans of the world are uninterested in change; Joi Ito has the humility to understand that change is imperative.")と彼女はイトーへの期待を述べている。おそらくイトー支持を表明した若い研究者や女性研究者たちは、このダーリングの期待を共有していたと思われる。

イトーはちょっとした間違いによってエプスティーンのボーイズクラブに関わってしまったけれど、本当は「わたしたちの側」の人物であり、彼が辞めてしまえば「わたしたちの側」の視点からメディアラボを再興することはできなくなる。そうした願いがダーリングのテキストや支持の署名の背後には響いていたように見える。イトーが、かなり強硬な辞任要求を浴びながらも所長の座に残り続けたのは、そうした後押しの声があったからだろう。

ケイト・ダーリング「科学界におけるエプスティーンの影響は、さらに大きな問題の兆候だ」The Guardian|2019.8.27


ネグロポンテにドン引き

そうした後押しを受けてか、イトーは実際に行動も起こしている。辞任の3日前の9月4日にメディアラボ内で全学ミーティングを開催し、イトーはそれを治癒のためのプロセスの第一歩として位置づけようとしていたことが伺われる。その席で面白い事件が起きている。

イトーがエプスティーンをめぐる過誤を詫びたのち、メディアラボの創設者であるニコラス・ネグロポンテが登壇し、あろうことかエプスティーンから金を受け取ったことを正当化するともとれるような発言をしはじめたというのだ。

ネグロポンテは、「時間を巻き戻して同じ場面に出くわしたなら『(金を)受け取れ』と言うだろう」(“If you wind back the clock,” he added, “I would still say, ‘Take it.’” )、と語ったとされる。聞いていた参加者のなかには涙を流すものもいたと言うが、大方がドン引きするなか、客席から敢然と「黙れ!」と声をあげたのが、上述したロボット倫理の専門家ケイト・ダーリングだった。

彼女の声をさえぎるようにして、ネグロポンテはさらに発言を続け「メディアラボをつくったのはわたしだ」と居直るに及んで、ダーリングは「だまらっしゃい!あんたの尻拭いをこの8年間もの間、みんながしてきたんじゃないか」と弾劾し、ネグロポンテはようやく引き下がったのだという。(Kate Darling, a research scientist at the MIT Media Lab, shouted, “Nicholas, shut up!” Negroponte responded that he would not shut up and that he had founded the Lab, to which Darling said, “We’ve been cleaning up your messes for the past eight years.” )。

「MIT創設者、エプスティーンからの金銭授受を正当化する」MIT Technology Review|2019.9.05


当のイトーもこのネグロポンテの発言にはさすがに憤慨したようで、「修復しようとする努力を妨害している」とメールで苦情を申し立てしたことものちに報じられた。ちなみに、このやりとりの結果、やんやの喝采を浴びたダーリングは、イトーの後釜候補としてSNSで名があがるようになった。

ここで、イトーと白人ボーイズクラブとの亀裂が明らかになり、イトーは女性や外国人にとっての「わたしたちの側」の立ち位置を鮮明にしたかのようにも見えた。だが、そうは問屋が卸さない。逆の意見がすでに提出されていたのだ。

イトーの行動をめぐって最も手厳しい非難を提出したのは、メディアラボ女性研究員で辞任を表明したイーサン・ザッカーマンの〈Center for Civic Media〉に籍を置くアルワ・ムボンヤだった。彼女が寄稿した記事〈ジョイ・イトーはなぜ退任すべきか〉は、イトーとはたった一度彼の執務室で会ったことがあるだけだが、そこでのイトーの態度があからさまにぞんざいだったことに言及しながら、イトーの説明責任の欠如、透明性の欠如を強く非難する。そして自分がケニア出身であることを明かした上で、こう語る。

「権力のある男性が責任を問われないのはなぜなのか? エプスティーンが傷つけた女性のことをなんとも思っていないような人物の役職を守ることに、なぜ私が気を回してやらなくてはいけないのか」(Why is there no accountability for men with power? Why should I be concerned about Ito keeping his job when he was not concerned about the people that Epstein was hurting? )

「倫理学者を名乗るからには、行動に倫理が伴わなくてはなんの意味もない」(Proclaiming oneself to be an ethicist is meaningless without backing it up with moral actions.)

アルワ・ムボンヤ「ジョイ・イトーはなぜ退任すべきか」The Tech|2019.8.29


ローナン・ファロー砲の衝撃

ローナン・ファロー砲が放たれたのは、こうした流れのなかにおいてだった。イトーを辞任に追い込む決定打となったこの記事は、2016年までイトーのオフィスで資金の調達と卒業生のマネージメントを担当していた女性スタッフ、シーニュ・スヴェンソンの内部告発をもとにしている。彼女の証言の信憑性については、さらなる調査を必要とするところだが、それが明かした内容はイトーの信用と役職とをかろうじて支えていた「ジョイはわたしたちの味方」という期待をかなり無残に裏切るものだった。

イトーはエプスティーンが何者であるかを十全に知りながら資金援助を受けていたのみならず、大学の寄付者データベースにおいてエプスティーンが不適格とされていたことを知りながら、それをかいくぐる工作を行っていた。イトーははなからエプスティーンが何者かを知っていたし、金銭授受は不適切なミスなどではなかったのだ。イトーとエプスティーンの間でやりとりされたメールなども晒した記事は、相当に生々しい。ここでは、その生々しさが伺える部分を抜粋して掲載しておきたい(記事中にはエプスティーンとビル・ゲイツとメディアラボのアヤシイ関係に関するくだりもあるのだが、ここでは割愛する)。


伊藤穰一を退任に追い込んだ記事の抜粋


The New Yorkerが入手した膨大なページ数のemailやその他の文書が明かすのは、MITの公式の寄付者データベース上で、エプスティンは不適格とされていたにもかかわらず、メディアラボは彼からギフトを受け取り、資金の用途について助言を仰ぎ、彼の援助を匿名として扱うことで、学外、学内双方に向けた情報開示を回避していたということだ。


ラボとエプスティンとのつながりを隠蔽するためのさまざまな工作は広く知られており、ラボの所長ジョイ・イトーのオフィスのスタッフの間でエプスティーンは「ヴォルデモード」もしくは「名を口にしてはならぬ者」と呼ばれていた。


2014年の9月、イトーはある研究者への資金注入を無心するメールをエプスティーンに送った。「もう1年契約を更新するために、追加10万ドルで資金を満タンにしてもらえないか?」。エプスティーンは「イエス」と返答した。その返事をスタッフに転送する際、イトーは「匿名で会計処理するよう、よろしく」と記している。MITメディアラボの当時の開発戦略ディレクター、ピーター・コーエンはこう返信した。「ジェフリー資金は匿名。了解」。


これらのemailが明かしているのは、イトーはエプスティーンに頻繁に相談をし、自分から種々の寄付を持ちかけていたことだ。コーエンが寄付者についてイトーにアドバイスを求めたあるメールにはこうある。「きみかジェフリーがこういうことには一番詳しいかと」


(シーニュ・)スヴェンソンは大学の寄付者に関する中央データベースにおいてエプスティンが不適格とされているのを見ている。「彼がペドフィルであることは知っていましたから、そのことを指摘したんです」。彼女は言う。彼女はコーエンにエプスティーンと仕事するのは「いいアイデアとは思えない」と伝えたと回想する。


スヴェンソンは、学内に報告せずにいかにエプスティーンの金を受け取ることができるか、コーエンとイトーと会話したことを覚えている。「どうやったらできる?」。コーエンの問いに、学内の報告義務をかいくぐって寄付を受けることは不可能だと彼女は答えた。彼女の記憶によれば、それを受けてイトーはこう言った。「小額の寄付を匿名で受ければいい」


2015年の夏、エプスティーンの援助によって得た資金の用途を決めるにあたって、エプスティーンがラボに来訪することがスタッフに知らされた。


当時、ラボの開発補佐と卒業生コーディネーターを務めていたスヴェンソンは、エプスティーンの来訪について「彼がキャンパスに来るのはマズいと思います」と声をあげたことを覚えている。「ハッと気づいたんです。あのペドフィルがわたしたちのオフィスに来るのかって」。彼女によれば、コーエンはエプスティーンの来訪が「望ましくない」ことを認めた上でこう言ったそうだ。「どっちにしてもやるから。これはジョイのプロジェクトだからね」


スタッフたちは、イトーのカレンダーに名を伏せてエプスティーン来訪の予定を入れた。メールでのやりとりでもその名は伏せられた。「名前を伏せるようにという明確なやりとりがありました。なぜならジョイのカレンダーは誰でも見ることができるようになっていたからです」。スヴェンソンによれば、「その予定は、ただVIP訪問とだけ記されていました」


准教授のイーサン・ザッカーマンは何年もの間、エプスティーンとのつながりに疑念の声をあげてきた。2013年にザッカーマンは教授会のあとにイトーをつかまえ、イトーのカレンダーにあった「J.E.」との会合について苦言を呈した。ザッカーマンはこう伝えたと言う。「エプスティンと会うと聞きました。やめたほうがいいんじゃないんでしょうか」。彼が覚えているイトーの答えはこうだった。「ジェフリーは素晴らしいヤツだよ。紹介しようか?」


2015年、エプスティーンの訪問が近づいてきた頃、コーエンはスタッフに、エプスティーン来訪時にザッカーマンがその場に出くわすことがないよう、打ち合わせが行われるガラス張りの会議室に近寄らないよう注意しろと指示を出した。


スヴェンソンによれば、イトーはコーエンに「エプスティーンはふたりの女性アシスタントと一緒でなければどんな部屋にも入らない」こと、また、メディアラボでのミーティングにも彼女らを同行する意向であることを伝えた。


訪問当日、スヴェンソンの心は若い女性たちの姿を見てさらに重くなった。「彼女たちはモデルでした。間違いなく東欧系でした」と彼女は言う。


「ラボの女性スタッフたちの間では、とにかく彼女たちに親切に振る舞おうということになりました。万一彼女らが自分の意思で連れてこられたのでないとしたら、どうやって彼女たちを助けることができるのか、そんな会話が女性スタッフの間で交わされたのです」


エプスティーンの広範にわたる淫行が暴露され、マイアミ・ヘラルド・トリビューンのジュリー・K・ブラウンの特筆すべきレポートによって明かされたのは、エプスティーンがエリート組織によって授けられたステータスと特権を利用することで、犯罪容疑から身を守り、長らく疑われていた掠奪行為を続けることができたということだ。


嘘をついているとしか思えないイトーとMIT上層部の声明を目にして、彼女は罪の意識を新たにした。「2014年、私はエプスティーンとの関係を隠蔽した一味のひとりでした」。スヴェンソンは語る。「ラボやMITがエプスティーンとの関係を語る言葉を聞いていると、あのときとまったく同じことが起きているとしか思えないのです」

How an Élite University Research Center Concealed Its Relationship with Jeffrey Epstein|The New Yorker|2019.9.06
https://www.newyorker.com/news/news-desk/how-an-elite-university-research-center-concealed-its-relationship-with-jeffrey-epstein


裏切られた支持者たち

イトー支持を表明し署名にサインをした人たちの狼狽は気の毒なほどだった。当の署名には「これらの署名は、9月6日のローナン・ファローの記事の掲載前に署名されたもので、記事を読んだ上で支持を表明したものではない」といった旨の但し書きが添えられ、運動の主催者ですらイトー支持の立場を保持することが困難になっていた様子が見てとれた。記事掲載後、署名を撤回した人は30名以上にのぼったとされ(わざわざ勘定する熱心な反対派がいるのだ)、イトーの辞任をもって署名ページは閉じられたが、スクショを撮って署名した人たちの名前を晒す投稿も出回ることとなった(反対派はこういうところ執拗なのだ)。

いずれにせよ、この記事をもってイトーが申し開きが立たない窮地に立たされてしまったことは明らかだ。エプスティーンからの資金は巧妙に隠し立てされた追跡困難なものではなかったし、金銭授受についても、大学で禁止されていたことを知りながら、それを悟られないよう寄付を受けていたとなれば、倫理以前の問題としてアウトだ。エプスティーンの性犯罪についても、その素振りや痕跡は一切目にしなかったというイトーの言も、一目で東欧出身とわかるモデルをふたり連れていたとなれば、相当に苦しい。さらに痛ましいのは、エプスティーンとのつながりを問題視していたイーサン・ザッカーマンにエプスティーン来訪を気づかれないようにしようとする工作の残念さだ。


オバマ大統領からの指名

イトーがいったいどういったどういう理屈をもってエプスティーンとのつきあいを正当化していたのかは、結局のところはわからない。メディアラボの所長の最大の仕事が資金集めであることを思えば、イトーの集金マシンぶりは、必ずしも責められるばかりのものでもないのかもしれない。実際、一介のベンチャーキャピタリストであるイトーがアカデミア組織の所長の座についた時点で、期待されていたことは明らかだったとも言える。

一方でイトーが、白人ボーイズクラブのただの集金マシンだったのかと言えば、そうでもない。シリコンバレーマナーの破壊思想とデジタルカルチャーの自由・自律を重んじる気風を身につけた稀有なアジア人であるイトーが、資金難と時代遅れ感に苛まれていたMITメディアラボが自らをクールにアップデートするにうってつけの存在だったことは間違いない。

そして、見事にラボのリブランディングを成し遂げ、イトーの価値は、2016年にオバマ大統領が『WIRED』の責任編集号を担当した際に、対談相手としてイトーが直々に指名されたあたりで頂点に達した。ビジネスとアカデミア、エスタブリッシュメントとアンダードッグ、東海岸と西海岸、1%と99%、男性と女性、白人と非白人の間にあって、デジタルイノベーションとそれがもたらす未来を語るのに、イトーはたしかに最もイケてる論客ではあった。

ところが、イトーがオバマと対談を行った2016年の大統領選でトランプが勝利し、その勝利にソーシャルメディア企業が大きく加担していたことが明らかになるにつれ、それまで追い風であったテック業界への風向きは一気に逆風へと転じてしまう。イトーが主導したMITメディアラボは、テックブームの追い風を受けながら、旗振り役としてその最前線を走ってきたが、トランプ当選やブレグジットによって、「テックのもたらす未来」が彼らが語るようには薔薇色ではないことが明らかになることで、旗振り役であったメディアラボも方針転換を迫られたことは想像に難くない。

「バラク・オバマが伊藤穰一に語った未来への希望と懸念すべきいくつかのこと」
WIRED.jp|2016.12.10


機を見るに敏なところ

イトーが「倫理」担当を自認するようになり、従来のテックドリブンな姿勢から、意識高いソーシャルコンシャスな打ち出しが模索されるようになったのは、そうした時代の流れのなかにおいてだった。「テックには倫理が足りない」といったことをイトーが語るようになっていると自分が最初に耳にしたのは、たしか2016年前後のことだったと思う。ソーシャルイシューへの目覚めが、#MeToo運動への顕彰へとつながり、そうした流れがイトーの支持を学内においても広げることに貢献したであろうことは想像に難くない。

SNS上で目にした口さがない意見は、こうしたイトーの変わり身の早さをして「オポチュニスト」と呼んでいる。「日和見主義者」と訳すのはやり過ぎとして、それを「機を見るに敏」くらいのニュアンスでとるのであれば頷けなくもない。そして、その「敏」なところが、人をして「おまえはどっちの味方なのだ」という疑問を抱かせることになる。

イトーは著書などで「権威は終わり、これからは創発」といったことを頻繁に語ってきた。マスメディアは権威、SNSは創発と対置しながら、権威の終焉を説くのだが、本人がいったいどこまでそれを本気で信じていたのか測りかねるところは少なくない。『9プリンシプル』という著書のなかで、イトーは創発がいかに社会的に重要なものになっているかを熱心に説いているが、その論拠を示す肝心なところで、ニューヨーク・タイムズの記事やネイチャー誌といった権威筋の言説やデータなどが論拠として持ち出されたりするのだから読む側は混乱する。加えて、権威を否定し創発を賛美する者が、権威の権化ともいえる名門新聞社ニューヨーク・タイムズのボードメンバーに収まっていたりすることなども混乱に拍車をかける。


権威との境界線

今回の騒動でもその点はヤリ玉にも上がっていた。ローナン・ファローの爆弾記事と同等の内部資料がニューヨーク・タイムズにも持ち込まれていたが、イトーがボードメンバーにいたことから記事化されなかったといったことがまことしやかにツイートされた(のちに誤ちであるとツイートを撤回)。そうした噂が、ニューヨーク・タイムズがイトーを庇いだてしようとしているのではないかという疑念を生み、その結果「マスゴミの一味!」というような突っ込まれ方をすることにもなった(イトーは9月7日にニューヨーク・タイムズのボードメンバーを退任した)。軽快に権威の終焉を歌いながら、同時にそこに身軽に身を寄せるノリの良さは、「権威」というものに対する極度な無頓着を表しているようにすら見えた。

とはいえ、イトーが一部の人がそう思いたがるような権力の亡者だったのかといえば、そんなこともないのではないかと思う。むしろあまりにも無頓着であったがゆえに、権威とそうでない側とを隔てる一線が、彼には見えなかったのかもしれない。むろん、そうしたケアフリーさこそが彼のもとに多くの人を惹きつけた理由であることは間違いなく、そうであればこそあらゆる陣営が「ジョイは自分たちの側」と強く信じ込むこともできたのだろう。


無垢なるテックの終焉

思い返してみれば、イトーのことばには「子ども」や「子ども性」を重視することばが数多く見受けられる。

「豊かに暮らし、社会に貢献していくためには、子どもたちにさまざまなことに興味をもたせることが必要で、それは大人になってからも同じです」

「自分の軸となる考え方をきちんと確立できさえすれば、世界中のあらゆる場、出会う人みなが、学びのチャンスとなります。子どもも大人も、好奇心を持ち続けることが、学びのはじまりになるのです」

「無意識のうちに、子どもの興味の範囲を狭めてしまうような投げかけを、親の側からしているのではないでしょうか」

「人間は本来、一人ひとり異なる個性を持っています。だから、少しくらい興味の方向がずれていても、応援する姿勢が大切になると思うのです」

「毎日やりたいことをやっている。何かやりたい、と思ったら、やっちゃう」

ー @joi_Ito_botより


こうした志向性は、イトー自身のファンドの名称が「Neoteny」であるところにもよく現れている。同社のウェブサイトのトップには、「子どもっぽい気質を大人になっても保持すること」とネオテニーの定義が記されている(日本語では通常「幼児成熟」という訳語があてられている)が、幼児性を価値とするその態度は、「ライフロングキンダーガーデン」(一生幼稚園)といったプログラムを誇りとしてきたMITメディアラボのスピリットとも相性がよかったはずだ。

しかしながら、デジタルテクノロジーによる旧体制の破壊を後押しし、正当化もしてきたそうした「無垢」への信仰は、時代が大きく動いていくなかで、次第に魅力的には見えなくなっていった。すでに権威側に立ってしまったテックイノベーターが語る「無垢」は白々しい。ケンブリッジ・アナリティカの醜聞を受け、マーク・ザッカーバーグが下院公聴会に呼び立てられた際に、メディアから上がったのは「いいかげんオトナになれ」という声だった。今回の騒動のなかでは「ジョイのベンチャーファンドはネオテニーって名前なのか。そりゃ出来すぎだ」などと幼児性愛者との関係を皮肉るイジワルなツイートも見かけた。

重すぎた「倫理」

イトーが辞したあとのMITメディアラボがどうなるのかは知るよしもないが、時代の風を巧みに読み、それを浮力へと変えることのできる強力な先導を失ったことで、これまでのような輝きを保つことは相当困難になるだろうことは予想できる。

もっともそれはMITメディアラボに限らず、それを模してつくられたテックドリブンな教育機関や研究機関が直面することになる困難でもあるだろう。科学や技術というもの全体に対する不信を加速させることにもなったこの騒動のあと、そうした機関が自らをどう再定義し、どのようなものとして自らを社会のなかに置きうるのか、舵取りは簡単ではなさそうだ。

そうしたなかにあってイトーが指し示した方向性は、やはりひとつの羅針盤となる。イトーが問題にした「倫理」が、どういう範囲でどういう射程をもつものであったのかは詳しくはわからないが、一般論として今後のデジタル社会において倫理が、より一層重大なイシューとなっていくのは間違いなさそうだ。残念ながら今回の騒動では、「テックは倫理をどう扱うのか」というテーマのはるか手前で、「テック業界はそもそも倫理を扱えるのか・その資格があるのか」という問題を露わにしてしまった。


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【追記】

「倫理的なAI」は存在するか?

2019年の12月21日に、硬派な調査報道で知られるニュースサイト「The Intercept」に「テクノロジーと倫理」にまつわる注目すべき記事が掲載された。MITメディアラボ所長だった伊藤穰一が率いるリサーチチームにいた研究員ロドリゴ・オチガメが書いたもので、彼の専門は「AI倫理」だった。
「『倫理的なAI』の発明」The Intercept|2019年12月21日
獄中で変死を遂げた億万長者ジェフリー・エプスティーンから資金供与を受けていた事実が明らかになったことでMITメディアラボの所長職を退いた伊藤の肩書きには、いつからか「倫理」の語が記されるようになっていた。いつの間にかAI倫理の大家に収まっていたベンチャーキャピタリストの転身は、案外表立って注目されることはなかった。実際、倫理が強く語られるべき岐路にいつしかテック業界は立たされていたし、倫理の旗振り役として確かにイトーはふさわしく見えた。

ジリ貧だったメディアラボの名声をテック全盛の時代のなかで最大化した伊藤の経営手腕は誰しもが認めるところだ。加えて、テックが旧来のエスタブリッジメントではなく、これまでマージナライズされてきた人びとや組織に力をもたらすとする彼のメッセージは、自分を含め多くの人を勇気づけるものでもあった。そして、トランプ大統領の誕生やケンブリッジ・アナリティカの事件を受けて、テックがもはや、かつて語られていたようにポジティブなかたちでは社会を変えず、むしろ監視技術とアルゴリズムによるディストピアが、GAFAを筆頭とする巨大プラットフォームの専横によってつくられていることに対する危惧が高まっていくなか、イトーがそれまでのテック礼賛を後退させ、倫理の重要性を声高に語りはじめたのは、当然のなりゆきでもあった。

デジタルテクノロジーと巨大テック企業がもたらすダウンサイドは、アメリカにおいて、すでに目に余るものとなっていた。当該記事は、2018年に表面化したスキャンダルをこう列挙している。

3月 Facebookユーザー5000万人のデータがトランプ陣営に雇われたケンブリッジ・アナリティカ社の手に渡っていたことが発覚。

3月 Googleが戦場で利用するための画像認識ソフトの提供の契約をペンタゴンと結んでいたことが発覚。

5月 Amazonが顔面認証ソフトを警察に提供していたことが発覚。

6月 Microsoftが、移民関税局と契約を結んだことが発覚。

9月 IBMが、顔面認証ソフトとビデオ監視による人種分類をめぐってニューヨーク市警察と秘密裏にコラボをしていたことが発覚。

中国政府すら驚くような監視体制の強化が、公権力とIT企業の結託によって水面下で着々と進行していたというわけだ。そして、こうした事実が明るみに出るなかシリコンバレーの巨人たちは、世間からの批判をかわすべく「倫理」ということばを乱発するようになる。2018年の彼らの「倫理」をめぐる動きを、同記事はこうまとめる。

1月 Microsoftが初の「倫理原則」を発表。

5月 Facebookが「AIのエシカルな発展・実装にコミットする」との声明と、データのバイアスを検知するツール「Fairness Flow」を発表。

6月 GoogleがAIの研究開発における「責任あるやり方」を発表。

9月 IBMがデータセットや機械学習モデルに潜むバイアスを検知するツール「AI Fairness 360」を発表。

2019年1月 ドイツ・ミュンヘンに「AI倫理センター」の設立資金として750万ドルを提供。

3月 Amazonが、全米国立科学財団とともに「AIにおけるフェアネス」をテーマにしたプログラムに2000万ドル提供。

こうした流れのなかで、巨人たちは大量の資金をアカデミアに向けて流しはじめたと記事は語っている。

結論から言ってしまえば、「AI倫理」はシリコンバレーによって仕組まれたバズワードだったという筆者は主張する。それは、テック企業が「いかに公正でフェアなテクノロジー開発に気を配っているか」を世に喧伝するためのアリバイ工作であり、同時に自分たちに都合のよい研究論文を用いて政府や規制当局にロビイングを仕掛けるための工作でもあった。そしてシリコンバレーとの絆を強く保持していたイトーは、そうしたキャンペーンの旗振り役でもあった。イトーはシリコンバレーとアカデミア、さらにはペンタゴンといった組織の間に入って、その関係をモデレートする役割を担っていたと記事は書く。

「なんの専門的訓練も受けていないイトーが、2017年までほとんど存在していなかった『AI倫理』という領域の『専門家』に突然なったことは、奇妙としか言いようがありません」

執筆したオチガメは、自分たちのリサーチの内容がシリコンバレーにとって都合が悪いものであると完全に無視されることに気づき、より中立的な、あるいはもっと言えば体制のカウンターとなる立場から声を上げる必要性を訴えたと語る。研究員のボスだったイトーも、彼ら研究員の声を受けて投資家に対して苦言を呈することもあったという。が、そうした意見が考慮されることはなかった。もちろんそうした投資家たちは、メディアラボの大事な支援者であるがゆえに、イトーもそこまでは強く声をあげたりドラスティックな行動を取ることが出来なかったと記事は明かしている。

もっとも筆者のオチガメは、元上司であるイトーを決して悪者とはみなしていない。イトーはシリコンバレーの操り人形としてではなく、自分自身の危機感のなかから本心として倫理の重要性を謳っていたが、その一方で、組織の経営者として資金源となる人びとによって首根っこを押さえられてしまってもいたと見る。

この記事のタイトルは「倫理的AIの発明」となっている。AIやアルゴリズムの問題が出て表面化してきた結果として「倫理」がクローズアップされてきたのは、当然の流れであるように見えていたが、それはどうもナイーブすぎたようだ。「倫理的なAI」なるものの存在はシリコンバレーの「発明」、もっと強いことばで言えば「捏造」に他ならないと、この記事は明かす。筆者は、MITメディアラボとペンタゴンやヘンリー・キッシンジャーとの近しい関係に触れながら、イトーも参加したカンファレンスでキッシンジャーが放った恐るべきことばを伝えている。

「これからの世界は、データとアルゴリズムによって動くマシンにますます依存し、倫理や哲学の規範は不要になるだろう」

キッシンジャーのこのことばは、軍やシリコンバレーの本音を語っているに違いない。「倫理的なAI」は、AIを倫理的・哲学的規範をもって制御するためではなく、むしろその"足枷"を解除するためにこそ使われようとしている。GAFAとペンタゴンとMITやハーヴァードなどの大学が緊密に連携する、新たな軍産学複合体の形成に警鐘を鳴らしつつ、オチガメは記事をこう締めくくる。

「『倫理』を守ろうと思えば、全人監視や組織的暴力の発展を法的強制力をもって規制するという喫緊の課題を避けて通ることはできません。なんらかの規制がない限り、コンピューティングをめぐる道徳的・政治的な熟慮は、『実装か死か』(Deploy or Die)というメディアラボのモットーに代表される利益追求の要請の補完物に甘んじるしかなくなります。そこでは何かが実装されるとき、それがたとえ表向きには倫理的に見えたとしても、人が死ぬことになります」

(2020年1月19日)

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