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ふしぎ ごはん

自分の想像を超えた何か、
自分の合理性の外側にある何か、に出会ったとき、人は感動するんだろう。

今日、ふしぎなご飯を食べた。
お店の名前も定かではないところで、ランチを食べただけなのだが、でもその味が夜になったいまでも、ふしぎに感じるから、書いておきたい。

午前中、郵便局で用事を済ませた後、「ランチを食べない?」と珍しく父を誘ったら、移動中の父がある店を指定した。
数日前に、父が「あそこの蕎麦屋の親子丼、ものすごくおいしかった...」と言っていたその店は、長年よく通る道にある、洒落ているわけでもない古い民家に「蕎麦」という旗が複数立っているだけ。その旗も既製品で、結構年季が入っており、長年、その道すがら視界に入っていも「あそこに入ろうよ」とはならなかった。そんな外観のお店だった。
だから、父の話を聞いた時は、親子丼がどうかより、なぜわざわざそこに入ったんだろう?という方が気になっていた。

今日は、時間の都合上、ちょうど都合のいい場所がその店だったのと、”ものすごく美味しい”親子丼って何?が気になっていたので、了解し、店で父と待ち合わせた。

店に入ると、満席で、配膳係の奥様は忙しそうにしていた。そして中は、古い民家を少し改築したような作りで、ペンで書かれたメニューの紙札がずらりと並んでいる。もちろんペンの文字も消えかけていて、外観の雰囲気を裏切らない感じの内装だ。テレビでお昼のニュースが流れていて、座敷になっていたりテーブルになっていたり、座席は雑多に配置されていた。

見渡すと、作業着や運転手の制服を着た人たちが8割。みんな違うものを食べていた。カツカレー、ちゃんぽん、日替わり定食、、、、(蕎麦屋なんじゃ....)。
そして、自分の食事がくるのを待つ人も、食事を食べている人もなんだか穏やかで雰囲気が柔らかい。昼時の忙しい時間帯に、満席なのに、ガサガサしてない、イライラしてない。天気も悪く、こんな雑多な感じの中で、殺伐とした感じが微塵もないことが少し不思議だった。

父は天ぷらうどん、私は天ざるを頼んだ。
「セルフサービスで」と書かれた小皿の漬物(鹿児島ではよく漬物無料なことがある)を一口食べたとき、「これは期待できそう」とは、思った。

そして料理が運ばれてきた。

なんだろう・・・美味しい。甘い。
鹿児島は醤油が甘いだが、その甘さではない。
まさか、砂糖入ってないよね?というくらい甘く感じる。
サックさくの天ぷらの野菜が甘い。温度、なのか?
ザクっとした見た目の太い麺、多分10割蕎麦なのだが、その蕎麦が甘い。こんな甘い?
おいし、、、 なんでこんな甘いの? を繰り返し、食べるスピードに美味しさの理解が追いつかないまま、平らげた。

そして思い返せば、そのビジュアルもなんだか不思議だった。
お皿は普通。盛り付けも丁寧だが普通。でも料理が光ってる。視界で光ってるわけじゃないんだけれど、生きてるとでもいうのか、、、なんだったんだろう。食べ物に吸い込まれるような感じ。

天ぷらの衣を、罪悪感を感じずそのまま平らげたのはいつぶりだろう。
最近、結構有名なホテルにも行った。有名なシェフ監修のレストランにも行った。でも、今日食べた天ざるが一番美味しかった。

夜、うちに帰ると「あのうどん美味しかった、、、」と父が母にまた報告していた。遠くてもいつも通っていたお気に入りのうどん屋には、もう行かなくていい、、と宣言までしていた。

以前「親子丼がものすごくおいしかった」という父の話を聞いたとき、(ものすごく美味しい親子丼って......)と思ったけれど、父よ、その表現になるの、今はわかる。

愛情のこもった料理がある。
手間暇かけた料理がある。
異世界に連れていってくれる、発明のような旅のような料理がある。
そしてそういう料理もそういうお皿を提供するお店も大好きだ。
でも今日食べた天ざるは、そのどれかで納得できる感じがしなかった。
外観の割に、とか、そういうことでもない。
メニューが珍しいわけでも、素材や味が珍しいわけでもない、でも何かが完全に違うのだから、わけがわからない。
美味しかったわ〜!で終わらせられない、何かがそこにある。

これは、久しぶりの不思議体験です。
なんだろう・・・あの美味しさの不思議。

そして、本日、その少なくない天ざるを平らげ、その後ケーキとクッキーを食べた私。
1kg増を覚悟して体重計に乗ったら、1Kg減っていた。

なんでーーーーーーー!!!!????

あの蕎麦屋、今度行ったら、無くなってたらどうしよう。
(狐につままれた系を想像)

次はちゃんぽんをいただこうかな。





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