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バービー人形が遊びを通して訴える、ダイバーシティと「女の子はなんにでもなれる」というメッセージ

2018年にマテル社は「You can be anything(女の子はなんにだってなれる)」というスローガンを打ち立て、裁判官バービーを発売しました。

中央が裁判官バービー。
どのバービーも意思のある目をしているのが印象的。

そのニュースを読み、和久井はマテル社が女の子の将来を見据え、教育をドール遊びに盛り込む姿勢にとても感動しました。

2022年3月、ラスベガスに「バービーエキスポ」という展示があったので、見てきました。いったいいつから、マテル社は女の子の教育に注目していたのでしょうか。

バービーエキスポの入り口

女の子の遊びには「母親ごっこ」しかなかった

マテル社は1945年に、ルースとエリオットの夫婦と、技術者のマットによって創設されました。ルースは、自分の息子がおもちゃを通して消防士や宇宙飛行士、医者など多様な職業になれるのに比べて、娘のバーバラには母親かホームペルパーになって遊ぶことしかできないことに気づいたのです。そうしてルースは、女の子が遊びやすい小さな人形を開発することに決めました。

「小さな女の子が、人形を通して彼女の望むものなんにでもなれることが、私のバービー哲学です。バービーはいつでも、女性には選択肢があるという事実を伝えているのです」(ルース)

1959年の発売当初、バービーはジャッキー・ケネディのようにエレガントで、モダンで、影響力の強いファッションのファーストレディをモデルとしていました。
流行を取り入れつつも普遍性があるバービーのファッションは、今見ても着てみたいと思えるようなおしゃれなものばかりです。

社会に先んじてさまざまなキャリアを提案

そしてデビューしてすぐ、1960年代にはバービーはフライトアテンダント、看護師、ファッションデザイナー、そして宇宙飛行士といったキャリアまで提案しました。

60年代の職業バービーラインナップ

そして1961年にはボーイフレンドのケンが登場。また人種差別が激しかった当時、異人種間の結婚が認められたばかりの1968年に、黒人のクリスティーが登場しました。1980年には、バービー自身が黒人となって登場します。

1970年代になると、以前よりもたくさんの女性が大学に進学するようになりました。そこで彼女たちは自身の社会参加、平等、自由を求めるようになります。そしてビリー・ジーン・キングの「バトル・オブ・ザ・セックス」の試合に誰もが注目しました。女性たちは、自分たちが男性たちのライバルであり、彼らに勝ることすらあると証明し始めたのです。

70年代の職業バービーラインナップ

女性の社会進出が進む80年代以降

1980年代になると、大学を卒業した女性たちは会社の重役や裁判所、宇宙にまで進出するようになりました。そして1985年にバービーは「私たちはなんにでもなれる」というキャンペーンを始め「女の子たちの夢には限界がないんだ」と強調しました。このスローガンは、30年以上も前に作られたものだったのですね。

80年代の職業バービーラインナップ

1990年代になると、高等教育を受けた女性たちは医師や法律家、学者といった専門職に就くようになりました。バービーには獣医、小児科医、古生物学者やパイロットが加わります。そして1996年には、車いすに乗ったベッキーが登場するのです。

車いすのバービーは96年発売

90年代には多様性の大切さを訴えていたバービー

バービーは多様性にもとても熱心に取り組んでいます。子どもは小さい頃の経験によって自分がなにになれるのかを想像します。人間にはさまざまな能力やタイプがあり、さまざまな肌の色、髪質、そして障害があることを学ぶのはとても意味のあることでしょう。バービーには肌の色は35種以上、94以上のヘアスタイル、そして9種類の体型のバリエーションがあります。

ヒジャブをかぶったフェンシング選手
頭髪のないバービー
肌の色がまだらのバービーも

2000年代にはバービーはロボット工学者、建設業者、小児科医、音楽プロデューサーなど、200を超すキャリアを提供し「女の子はなんにでもなれる」ことを見せ続けているのです。

2000年代の職業バービーラインナップ

バービーはただの着せ替え人形ではなく、女の子の将来を見据えて強烈なメッセージを発信し続けてきました。時代を先取りして、女性の人生を切り開いてきたのですね。

日本の「人形遊び」にメッセージはあるか


日本ではおもちゃ遊びにこのようなメッセージをきちんと発信してきたでしょうか。こんなふうに時代を先取りし、女の子の可能性を広げようという意識を持っていたでしょうか。小さな子どもにとって、自分の身の回りにあるものが世界のすべてです。裁判所や研究室、工学者のような専門家という道があることは、日常生活から気づくことはできません。

バービー人形は、日本では定着せずに撤退してしまいました。日本文化が、バービーのような発展的な意識を受け入れなかったのでしょうか。そうは思いません。そもそも、バービーのメッセージを日本でしっかり伝えていたのでしょうか。少なくとも私は「怖い顔をした白人の人形」というイメージしかありませんでした。

少女マンガは1970年代から、ひたすら女性の自立を訴え、女性に社会を変える力があること、職を持って働くことを提案してきました。そうしたメッセージが女の子たちに強烈に受け入れられ、少女マンガは黄金期を迎えます。『ベルサイユのばら』『はいからさんが通る』など、今でもタイトルを知っている人は多いでしょう。
女の子は「なんにでもなれる」選択肢を持ちたいと50年も前から叫んでいるんです。

ファッションモデルからファッションアイコンへ
150以上のデザイナーにインスピレーションを与えているとか。
左手前はカール・ラガーフェルドデザインのバービー。


バービーが見せてくれるのは仕事だけではありません。どんな人も「自分は自分でいいんだ」と思えるのは幸せなことです。多様なドールを発表することで、バービーは多くの女の子の幸せを願っているのだと強く感じました。

日本の女の子たちも、どうか自分の可能性にフタをせず、自分を信じられる大人になって欲しいと思います。

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