ニコラ・テスラは宇宙人?!
以前にブログに掲載した記事を編集加筆しました。
ニコラ・テスラ( Nikola Tesla, 1856年7月10日 - 1943年1月7日)は、19世紀中期から20世紀中期の電気技師、発明家。
テスラは700以上の特許を取得しましが、彼の発明の中で有名なのは、一つは交流誘導モーター。もう一つは無線。ラジコンやリモコン、車のキーなどもテスラの発明がもとになっていますし、今、地球上で多くの人が使用している携帯電話、スマートフォンもテスラの発明がなければ、もっと遅い普及だったのではないかしら。
2020年頃、 FBI の 1957年の極秘ファイルの機密が解除されて、FBI のウェブサイトで公開されていたところによると、FBI が「宇宙人から聞いた談話」(←マジですか?(笑)として、「ニコラ・テスラは金星からやって来た」と記されていたそうです。
金星から来たと言われてすぐに思い出すのは、私が愛するゴッホですが、テスラもそうだったとは😊
テスラ自身も、生前、冗談で「自分は金星人だ」と言っていたそうです。面白いですね。
「ニコラ・テスラ~金星からの贈り物」Nikola Tesla - Our Gift from Venus
by Marguerite dar Boggia
金星は、表面を雷でバリアされているような星で、地球の探査機は近づくことがなかなか困難で調査が進んでいないようですが、金星は地球に近いから宇宙人が来ようと思えば来やすいでしょうね。
プレアデス星人は、いつから地球に来ていたのかわかりませんが、第2次世界大戦後、東欧、とくにクロアチア付近に大量のプレアデス星人がやってきた(目的は、地球人を癒すこと)というロマンある(笑)話を聞いたことがあります。
テスラの誕生日(7月10日)だと恒星シリウスの影響もあるでしょうね。
ネイタル太陽とシリウスが合の影響として、名声を得ると言われています。
傑出している人物は、ダイアナ妃やフリーダカーロ。(両者とも動画で取り上げました)。
私はアセンダントがシリウスと合ですが、残念ながら影響は受けていないようです(苦笑)
生い立ち
テスラは、1856年7月9日深夜、オーストリア帝国(現在のクロアチア西部)リカ=コルバヴァ県ゴスピッチ近郊の村スミリャン で誕生しました。
第2次世界大戦中、スミリャンはナチスドイツ、イタリア、日本の連合軍に占領され、また同地にナチスドイツのユダヤ人強制収容所が作られました。
嘘か真かわからないけれど、テスラが生まれた夜はひどい雷雨だったというエピソードが好きです。百年以上前にフリーエネルギーを発明したテスラの生涯の始まりの日に、雷が共鳴していたという話は出来過ぎな気もしますが、不思議な運命を感じさせませんか。
「テスラは頻繁に彼の体を充電して、自分のエネルギーだけで電球を照らしていた」というのを読んで、雷の夜に生まれたしなぁと妙に納得してしまいました(笑)
テスラの両親はセルビア出身で、父親(ミルーチン)はセルビア正教会の司祭で詩人。母親(ドゥカ)は調理器具類の発明をしていたそうです。
テスラの兄弟は、7歳年上の兄(夭逝)、姉2人、妹1人がいました。
父親は、テスラが司祭になることを望んでいたそうですが、テスラは子供の頃から科学者になることを切望していたそうです。テスラの母親の家系は、発明家の血筋だと言われています。テスラが発明家になったのは遺伝だった。いや、そういう家系を選んで来たんですね。
青年期
1875年、テスラは奨学金を得てグラーツ工科大学に入学。優秀な成績を収めますが、なぜか3年目に退学。その後、家族にも行き先を告げず、行方不明になっていました。偶然、スロベニアを旅行していた同級生が彼を見つけ、家族に連絡したそうです。
テスラは、スロベニアのマリポルという町で、製図技師として働いていました。1879年3月、父ミルーチンに説得されてテスラは帰郷しますが、父親は翌月に原因不明の病気で60歳で亡くなってしまいます。
父の死により大学に入り直すことを諦めたテスラは、1881年にハンガリーのブダペストに移り、ティヴァダルプスカスという発明家のもとで電信会社で働き始めました。
テスラがアメリカに移住したのは1884年6月。
ティヴァダルプスカスの指示でパリのコンチネンタルエジソンカンパニーで働いていたところ、上司(チャールズバチェラー)がアメリカに戻ることになり、テスラの技術を評価していたバチェラーが、テスラがアメリカへ移れるようにエジソンに頼んだそうです。
欧州ではテスラの発明に興味を持ってもらえなかったのが、アメリカ移住の原因と言われています。
しかし、テスラは、エジソンの工場を6か月ほどで辞めて、1887年4月、 Tesla Electric Light Company(テスラ電灯社)を設立し、独立しました。
宇宙人のホロスコープを読んでみる(笑)
データバンクで見つけたネイタルチャートの出生日時は、オールドスタイル(ユリウス暦)6月28日になっています。
時間は正確ではないかもしれません。ハウス、カスプやアングルは無視して読んでいきます。
人間に生まれてきたニコラ・テスラの太陽(人生の目的)は、蟹座17度。
太陽は金星とコンジャンクション。
太陽と金星がくっついている(イギリスの元首相のボリス・ジョンソンさんもそうです)ので、モテたはずです。水エレメントが多く、蟹座の太陽、金星なので人情家でもあったのではないかと思います。
身長は188センチ、体重は64 kg。身だしなみにも大変気を配っていたそうです。
蟹座のルーラーの月は、天秤座14度。金星と月はパータイル(同じ度数)でミューチュアルレセプションのスクエアになっています。
テスラは、結婚が研究の妨げになると考え、独身であることを選んだそうですが、月と金星のスクエアは、結婚相手に対する理想が高かった(たとえば「母親」が基準だったのかも)とも考えられます。
また、テスラが非常な潔癖症だったことや1873年ごろにコレラにかかり9か月寝たきりになったときに、生殖機能が・・・という説もあります。
責任や結婚に関係する土星は、蟹座5度にあり、妻を表す月とは緩くスクエア。また土星は、隠れた欲望を意味するリリス(天秤座5度)とはパータイルのスクエア。恋愛に対してストイックな印象です。
テスラは子どもの頃から幻覚に悩まされていました。きっかけは、テスラが5歳の時に兄のデーンが乗馬事故で亡くなったことのようです。
テスラ以上の天才と言われた兄の死によって、周囲の期待がテスラに向かうようになり、それがプレッシャーになり強迫性障害を引き起こしたのではないかとも言われています。
蟹座が強い(太陽、金星、土星)ので、直感力、感受性が強いです。金星と海王星のトラインは、繊細さを感じさせます。
また、蟹座のルーラーの月は、天秤座で火星とコンジャンクション。サウスノードともコンジャンクションの範囲。牡羊座木星とオポジション。蟹座太陽、金星とスクエアでゆるくTスクエアを形成。
テスラの敏感さはこのアスペクトに現れているのかなと思います。
若い頃、勝手に大学を辞め行方不明になったのは、火星と海王星のクインカンクス(150度)の影響かもしれませんね。ちょっと緩いですが火星と天王星もクインカンクスで、火星を頂点としたヨドになります。
蟹座金星、天秤火星、牡羊座木星が作るTスクエアは、ワーカホリック、仕事人間の傾向を表しているように思います。
睡眠時間は1日2時間程度だったそうです。48時間連続で働くこともあったとか。
このTスクエアは神経症的な潔癖症だったことも思わせます。
食前にすべての食器を完璧に磨く習慣があり、そのため1回の食事に18枚のナプキンを使用していたとか。
「3」という数字に異常に強くこだわっていたそうです。18枚のナプキンも3の倍数ですね。
テスラが研究を始めたのは1873年(17歳頃)。このころ、空の冥王星がテスラの天王星にコンジャンクションし始めていました。
冥王星が発見されたのは1930年なので、それ以前に生まれていた人に冥王星の影響が及ぶかは判断が難しいところですが。
テスラの天王星は、牡牛座23度。魚座の海王星とセキスタイル。天秤座の火星とバイクインタイル(144度)
数々の発明の発想は、高次から下ろされたものだったのでしょう。
雷のエネルギーを利用していたことも、天王星の象意にぴったりです。でも、牡牛座の天王星はフォール(状態が良くない)。テスラが変人と見られたり、マッドサイエンストと言われた原因かもしれません。
「公園を歌いながら散歩しつつ思考しており、なにか閃いたらしく蜻蛉返りをした。」という、いう目撃証言が残されています。
エジソンとの確執は有名ですが、上司や社会性を表す土星(つまりエジソン)にたいして、月がスクエアで反発しています。月のそばには火星がいますので負けず嫌いでもあったでしょう。
テスラは、エジソンが亡くなった後、次のようにコメントしています。
つまり「エジソンは、だらしなかった」と言っているわけです。
テスラのストイックさや極端な潔癖症も相まって、このようなコメントになったのでしょうね。
彼自身は、身だしなみに非常に気を遣っており、社交的だったそうです。
友人のジュリアン・ホーソン(作家)は、テスラのことを「詩人、哲学者、優れた音楽の鑑賞者、言語学者、そして食べ物や飲み物の愛好家でもある科学者やエンジニアに会うことはめったにありませんでした」と書いています。
牡牛座の冥王星が、土星はパータイル(同じ度数)でセキスタイルです。
これは彼自身のストイックさを強めただけでなく、他人に対しても完璧さを求めさせたのでしょう。テスラは、秘書の女性の服装が気に入らないと何回も着替えさせ、また太りすぎを非難して秘書を解雇したと言われています。
しかし、怠惰を許さないストイックさが、テスラの発明を助けたのは言うまでもありませんね。
発明家としての技術、発想力は、水星が表します。発明のセンスは金星だと思います。
水星は3ハウス双子座にあってドミサイル。土星とコンジャンクションの範囲です。水星土星コンジャンクションは、冷静です。集中力も高い。
また、軽はずみなことはしない。用心深いと言ってもいいでしょう。そのため、マイペースに見える。
アセンダントと金星はクインタイル(72度)。
クインタイルとバイクインタイル(144度)は主に創造性を表しますが、マニアックな創造性です。発明家にはぴったりと思います。
水星と木星のアスペクトがあるので、筆まめ(手紙魔)か、あるいはその逆か。
また彼は、遊ぶときには徹底的に遊ぶ人だったようです。
テスラは、記憶力も並外れていたそうです。
言語は、セルボクロアチア語、チェコ語、英語、フランス語、ドイツ語、ハンガリー語、イタリア語、ラテン語に精通。
IQ240だったとか。宇宙人だな(笑)
テスラは、頭の中で設計図を書き、頭の中で組み立てて完成させ、それを実際に復元することが出来たそうです。これは、Visual thinking(画像思考)と呼ばれており、たしかガウディも得意だったと思います。
Nノード(魂の目的)は、牡羊座20度。サウスノードは天秤座20度。
牡羊座はもともと1ハウス、天秤座は7ハウスということと、サビアンシンボルを考え合わせると、テスラの魂は、奉仕するためにこの地球に来たのでしょう。
無線送電システムの構想
1901年(45歳)、J・P・モルガンの援助により、ロングアイランドに高さ57メートルの無線送信塔「ウォーデンクリフ・タワー」を建設しました。
テスラは、この施設から大西洋を横断する電気エネルギーの無線伝送を実証しようと計画していたそうです。
しかし、1905年にモルガンとの関係悪化により、研究を中断しなければなりませんでした。原因は「お金がかかりすぎた」こと。
テスラは、モルガンに50通以上の手紙を書き、再びの援助を要求したそうですが、結局、タワーを抵当に入れてお金を借りたため差し押さえに合い、1917年にタワーは取り壊されてしまったのでした。
1901年と言えば、アメリカではノーザン・パシフィック鉄道の買収事件をきっかけとして1901年恐慌が起きており、1907年にも1907年恐慌が起きていました。ノーザン・パシフィック鉄道買収も1907年恐慌も、ジョン・モルガンが関わっていたと考えられています。(恐慌は、作られるのですよね)
これら二つの恐慌のために、テスラの研究費が削られたと言ってもいいかも。
トランシットを見ると、1900年代初めは双子座の冥王星と射手座の天王星がオポジションになっている時でした。このときの天王星と冥王星のサイクルは、1850年6月から始まったものです。
ファーストクォーターだった1880年から1899年の間には、電気と磁気に関係した発明が続いていました。
テスラもエジソンも、マクスウェル、マルコーニという発明家たちも、たまたま生まれて来たのではなく、タイミングを合わせて生まれてきたとしか思えません。何かを為し遂げた人たちには、地球に生まれてくる理由がある、ということでしょうかね。
交友関係
親友だったマーク・トウェイン(作家)は、テスラのことを「稲妻博士」と呼んでいたそう。上の写真を見ると「稲妻博士」はピッタリですね。
トウェインはテスラの研究室に入り浸っていたと言われています。たびたび実験を手伝っていたようです。
トウェインは、フリーメイソンでしたが、テスラもフリーメイソンだったかはわかりません。
晩年、テスラが熱中した発明は、霊界と交信する装置だったとか。これは、トウェインの影響かも知れませんね。
また、1920年代後半、ナチスのプロバガンダとして活動していたジョージ・シルベスター・ヴィエレック(詩人)とも親しかったと言われています。
この交友からそこはかと匂うのは、テスラの「優生思想」の傾向です。1937年のインタビューで次のように述べています。
鳩を愛したテスラ
テスラのエピソードで私が好きなのは、白い鳩との交流です。
テスラは公園の鳩に餌をやるために毎日散歩をしていたそうです。とりわけ、ブライアントパークのノラ鳩の中の一羽の白い鳩を恋人のように思っていたとか。その白い鳩とはテレパシーで会話をしていたようでした。
その白い鳩は、毎朝、テスラが住居にしていたホテルの部屋の窓に訪れるようになったそうです。結局、彼女はケガをして死んでしまうのですけど、死の朝もテスラの窓に別れを言いに来たと、テスラは信じているのでした。
鳩はメッセンジャー(水星)です。
愛する白鳩が死んでしまったとき、テスラは「自分のライフワークが完了した事が分かった」と言っていたそうです。
ところで、テスラは1900年頃から亡くなるまでずっとホテル暮らしをしていましたが、この鳩の餌付けにはクレームが出てホテルと変えなければなりませんでした。
最初に住んでいたホテルは、ニューヨーク市マンハッタンの5番街のウォルドルフ-アストリア。このホテルは、財閥のアスター家によって建設され、13階建ての「ウォルドルフ・ホテル」と、その隣に建てられた17階建ての「アストリア・ホテル」がのちに合体したものです。
次に(1922年)テスラが住んだのが、セントレジスニューヨーク。
鳩の餌付けでクレームが出たのは、このホテルです。ここもジョン・ジェイコブ・アスター4世の所有でした。
セントレジスは、イエズス会の司祭、ジャンフランシスレギスにちなんで名付けられたそうです。
ここには永住者が多く、ジョン・レノンも滞在しています。『プラダを着た悪魔』などの映画撮影にも使われているホテルです。
その後もホテルを転々とし、1934年ニューヨーカーホテルに転居。1943年に亡くなるまで住みました。
このホテル、アメリカ映画などでよく映っていますよね。
晩年
ニューヨーカーホテルに移ってからも、鳩への餌やりは続いており、1937年秋(81歳)に真夜中に公園に向かっている途中、タクシーと接触し、転んで肋骨を折る怪我をしたそうですが、治療はしなかったと言われています。
病院嫌いだったのか。宇宙人だとバレると困るからかな?
テスラは親指が非常に大きく、彼自身が手のレントゲンを撮っていますが、たしかに大きいかも。親指の先が人差し指の第1関節と第2関節の中間に届いています。
エジソンをしのぐと言われたほどの天才発明家でありながら、晩年は母国からの助成金で暮らしていたそうです。学者にありがちな、お金を稼ぐという概念がなかったのでしょうか。すべて研究費に使っていたようです。
若い頃はギャンブルにはまったり、衣服にお金をかけたり(同じ服を着ないなどの逸話も)していたそうですが。
長年のホテル暮らしの費用は、本人は払った形跡がなく、踏み倒した?ようです。
最後のウィンダムニューヨーカーの頃は、発明家ジョージ・ウェスティングハウスが起こしたウェスティングハウス・エレクトリック&マニュファクチャリング・カンパニーという会社が、ホテルの賃料+125ドルをテスラにコンサルタント料として、毎月支払っていたそうです。
テスラは、1943年1月7日、心臓発作で86歳で亡くなりました。
葬儀には2,000人以上の人々が出席したそうですが、ニューヨーカーホテルのスィート33階の3327号室での孤独死でした。
(ホテルの部屋番号まで3で割り切れることにこだわった)
著名な発明家の第二次世界大戦中の死であったため、暗殺の疑いもあったようです。保管されていた研究資料はFBIによって押収され、のちに母国クロアチアに返還されたとのこと。
テスラの死から2日後に、FBIが押収した資料を分析するために呼び出されたのが、当時、マサチューセッツ工科大学の教授で有名な電気技師のジョン・G・トランプ氏。ドナルド・トランプ大統領の父方の叔父にあたる人です。
3日間の調査の後、トランプ氏は、不親切な手に危険をもたらすものは何もないと結論付けたとのこと。
テスラの発明のいくつかは、兵器に利用されました。人工地震を可能にしたのもテスラの発明によります。
テスラのオシレーター(テスラの地震機)
テスラ自身は、人工地震発生機の平和的な利用法を考えていたそうです。地中の岩の振動で伝達し、遠隔地で電力に変えられると。
亡くなった日は、空に水星冥王星が軸になったカイト(凧)が形成されていました。
トランシットの木星がテスラの太陽にコンジャンクション。トランシットの冥王星がテスラの冥王星とスクエア。
微笑んでいるような死に顔だったそうです。彼の星に還っていったのでしょうね。カイトのように風に乗り・・・。
以上、ニコラ・テスラの星読みでした。最後までお読みくださりありがとうございました。
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