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YURIホールディングスPresents プレイヤーズヒストリー 加賀健一編

18年の月日を過ごした秋田から、プロサッカー選手として羽ばたいていった男が、地元に誕生したJリーグのクラブでプレーするために、18年の時を経て再び故郷に帰ってくることは、あらかじめ定められていた運命なのだろうか。

「秋田県で生まれた子供たちには、Jリーグという舞台を目指してほしい想いがありますし、その子たちが大人になった時に、ブラウブリッツ秋田がもしJ1にいたとしたら、そこから代表に入ったり、海外に行ったりしてほしいなと思っています。だから、そのためにも自分がなるべく長く現役でやって、体が動くうちに頑張っている姿を見せていきたいですね」。加賀健一がブラウブリッツ秋田にいる幸せを、多くの人が噛み締めていることに疑いの余地はない。

加賀 健一(かが けんいち)
1983年9月30日生、秋田県潟上市出身。
2020年、ブラウブリッツ秋田に加入。
ポジションはディフェンダー。
https://twitter.com/Kenichi_Kaga50
https://www.instagram.com/kenichi_kaga15

天王サッカースポーツ少年団で、小学校4年生からスタートしたサッカーキャリア。俊足フォワードとしてゴールを奪う喜びを味わっていく中で、県選抜にも選出されるようなレベルにまで成長していった加賀少年が、初めての挫折を味わったのは中学3年生の夏。あるJリーグクラブのユースへ入るための、選考会へ参加した時のことだった。

「鹿島アントラーズユースの選考会を受けに行ったんです。実は中学2年の冬にも家族と一緒に鹿嶋までジュニアユースの練習に行っていて、その時は真剣に入るつもりはなかったんですけど、3年の夏はもう『サッカー選手になりたい』という想いがあったので、1人で選考会に行って、結局1次選考で落ちちゃったんですよね」。

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秋田県内でも名の通る選手になっていた加賀は、それなりに持っていたはずの自信を打ち砕かれる。だが、今にも繋がる負けず嫌いのスイッチが、この出来事で完全にオンになった。「『このままじゃダメだな』と思って、そこからプロになるためにはどうしなきゃいけないかを考えるようになりましたし、それがキッカケで意識が変わった気がします」。既に部活は引退していたものの、ある時は隣の中学の練習に混ざったり、ある時は社会人チームでプレーしたり、1人で黙々とトレーニングに励んだりと、地道な努力を重ねていく。

高校は県内屈指の強豪として知られる秋田商業に入学。ここでも当初はフォワードとしてプレーしていたが、予想もしなかったコンバートは唐突に言い渡された。「1年生の時に選手権の直前合宿で、先輩の清野(智秋)さんと熊林(親吾)さんの入団が決まっていたジュビロ磐田のユースと練習試合が終わってから、『オマエ、これからはディフェンスな』って言われて、『いや、意味わかんない。なんでこのタイミングでディフェンスなんだよ』って思いましたね」。

この頃には東北選抜にも声が掛かるようなフォワードだったため、突然のポジション変更をすんなりと受け入れられるはずもない。ところが、一気にセンターバックとしての能力が開花し、2年生の冬にはジュビロから練習参加の要請が。3年生になると、U-18日本代表にも招集されることになる。

「だから、そういう適性を見抜いてくれたのかなって、今から思うと指導者の方々に感謝しています。でも、個人的には先を見越したジュビロに、そうしてもらったような気もしないでもないし、高校の監督もそういう流れを作ってくれたんじゃないかなと。真相は聞いていないですけど(笑)」。

高校卒業後の2002年にジュビロへ入団。当時のチームはスタメンのほとんどが日本代表経験者であり、練習からとんでもないレベルを誇っていたという。「もうヤバかったですね。名波さん、中山さん、(藤田)俊哉さん、福西さん、マコ(田中誠)さん、ヒデ(鈴木秀人)さんとかが、ベストな状態だったんじゃないかなと思います。当時は1軍と2軍みたいな感じで分かれていたので、そういう先輩たちとは練習場所も違うし、練習時間も違って、たまに紅白戦で呼ばれて行くぐらいで、ほとんど一緒に練習していないです」。

中でも憧れていたのは、同じポジションの鈴木秀人。「タイプ的にも体格的にも似ていたので、完全にあの人の“コピー”でいいなと思いました。その頃は徹底して“学び”の期間だと考えていましたね」。最初の3年間は1試合も公式戦の出場機会が訪れなかったが、正直に言って試合に出られるとは思っていなかったそうだ。

今になって、あの頃の経験がかけがえのないものだったと振り返る機会が増えてきた。「最初に入団したチームがあの時のジュビロで、その遺伝子は完全に今の僕に受け継がれているので、あのタイミングで入っていなかったら、今のこういう思考も生まれていなかったはずですし、プロとはどう振る舞うべきかということも教わったので、ジュビロで素晴らしい選手と一緒にやれて本当に良かったと思います」。

2005年。転機は北の大地で訪れる。期限付きで移籍したコンサドーレ札幌の指揮官は柳下正明監督。加賀にとっては“恩師”とも言うべき存在だ。「あの人が今の僕を創り上げてくれたと思っていますし、ヤンツーさん(※柳下監督の愛称)と出会っていなかったら、今のキャリアはないかなと。まあメチャクチャ怒られましたけどね」。

「『何回同じことを言っても、オマエはわからねえな』って100回以上言われたんじゃないですか。50センチや1メートルの感覚とか、こっちにボールがある時はこっちから取りに行けとか、そういう部分をディフェンダーとして徹底的に叩き込まれたので、本当に感謝しています」。2年間をレギュラーとして過ごし、大きな自信を纏って、磐田へと帰還する。

「『ここからジュビロで試合に出て、J1でレギュラーになって、代表に行くんだ』と思って戻った」加賀は、復帰するとまずは右サイドバックの定位置を確保。鈴木と並んで試合に出場することも増えていく中で、新たな想いが芽生えていった。「自分が生き残るためにも、ヒデさんは“超える”べき存在だと思ってずっとやっていたんですけど、一緒に試合に出られる喜びもあったので、“超える”というよりは『一緒にやりたい』という感じになっていきましたね」。

鈴木が引退した2010年。加賀の背番号は、憧れの先輩がずっと付けていた2番に変わる。「『2番を付けさせてください』とクラブにお願いしました。ジュビロの2番というのは今でもあの人のイメージだと思うんですけど、それをわかった上で、そこは絶対に自分の中で継ぎたかったんです。いまだにやっぱり憧れていますし、当時のヒデさんのプレーを追いかけている感じがありますね」。キャリアを積めば積むほど、あの2番の背中がとてつもなく偉大だったことを改めて痛感している。

プロサッカー選手として最も大事なものを問われた加賀は、“メンタル”だと答えている。一言で“メンタル”と言っても、様々なイメージが思い浮かぶが、彼の考えるそれは至ってシンプルだ。「『目の前の相手に勝つか、負けるか』みたいな感じでいつも考えています。僕がもともと負けず嫌いだった所もあるんですけど、勝ちたいという想いが薄れた時は『もういいんじゃねえかな』って気がします。相手に勝ちたいとか、チーム内の争いにも勝ちたいとか、そういう勝負にこだわる想いがなくなったら、サッカー選手もやめた方がいいんじゃないかなと思いますけどね」。

「そう思っていても負ける時もありますけど、それはあくまで結果であって、その想いがある限りは、試合で相手に勝つために、練習で相手に勝つために、今度はどうしなきゃいけないかと考えるので、そこから逆算すると私生活から見直すと思うし、そういった1つ1つのことを考えることが、24時間サッカー選手としているために必要なことなので、勝ちたいという想いがすべてに繋がっているかなと思います。やっぱり絶対に負けちゃいけないんですよ」。とにかく勝ちたい。この熱量が、加賀の日常を奮い立たせていく。

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今年で38歳になる“父親”には、ひそかに抱いている夢がある。「中学生になったばかりの息子がいるんですけど、その息子をJリーガーにしてあげたいという僕の勝手な想いがあって、今の所は本人もプロになりたいという意志を持ってサッカーに取り組んでくれているので、それと同時に僕も一緒に成長していければいいなと思っています」。

「その中でもし自分が現役を続けていられたら、息子と対決もできるだろうし、『あと6年か』と思うとなかなか難しいとは思いますけど(笑)、可能性はゼロではないので。今も一緒に練習もしているんですよ。メンタルも僕と同じような感じで『目の前の相手には負けんなよ』って。6年後、どうなっているんでしょうね」。

2027年。きっと加賀家は大変だ。負けず嫌いの父親と、負けず嫌いの息子が、同じピッチで1対1の勝負を繰り広げる姿が目に浮かぶ。誰もが夢見るその景色を実現させるため、今日も明日も明後日も、加賀は自分自身と向き合い続けているに違いない。

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文:土屋雅史
1979年生まれ、群馬県出身。
Jリーグ中継担当や、サッカー専門番組のプロデューサーを経てフリーライターに。
ブラウブリッツ秋田の選手の多くを、中・高校生のときから追いかけている。
https://twitter.com/m_tsuchiya18

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ピッチ上では語られない、選手・スタッフのバックグラウンドや想い・価値観に迫るインタビュー記事を、YURIホールディングス株式会社様のご協賛でお届けします。
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