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弱者へのやさしい言葉の裏には搾取が待ち受ける

昔々、中国の大昔、殷(いん)という国がありました。殷は、政治として占いや呪術を中心に行っていました。お祈りのためには、生け贄もたくさん必要です。なんといっても最高の生け贄はヒト、人間でした。
生け贄とされるヒトは、殷の国家によって保護され大切にされました。儀式が近づくと役人がやって来て元気の良さそうな若者たちを、おい、きょうは、四人だ。といったふうにつれていくのでした。彼らは自分達が生け贄にされることはよく知っています。連れていかれると、いけにえとなって死ぬこともはっきりわかっています。では、なぜ殺されるとわかっていて逃げ出さないのか、抵抗しないのか?
彼らにとって、生け贄となることは最高の名誉となっていたからです。また、それが彼ら自身の運命であり、定め、あるいはこの世での自身の果たすべき義務であると理解していたからです。それは疑いようもなく彼らの中にあり、生け贄となって死ねることは、やっと果たすことができるという喜びなのです。なんか、サラリーマンもこんな感じの狭い生き方に思えてきて悲しいですが。食いぶちよりすこしたくさんのお金をもらえ、頑張れば名誉を与えられ、気がつくと定年になっている。でも、すべて自身が納得づくでやっていた、みたいな。本題に戻りましょう。

弱者への愛の中の殺意、いや、愛ではなく見かけの優しさと嘘ですよね。現在に例えると、微笑みながらあなたの幸せをお手伝いさせてください、と近寄ってくる人たちですね。赤の他人の、ましてや、さっきまで口も聞いたことのないような人が、いきなり微笑んで近づいてきて、あなたのためになりたい、なんてつじつまが合わないですよ。それは搾取できると見込んで近づいてくるのです。搾取が気持ち良い、幸せを感じる、という人もいるので、一概にこの事が不幸だとは言えませんが。宗教の中には、財産を差し出せば差し出すほど位が上がっていくものもあります。あるいは、来世の世界で高い位にいくことができるとか。それが幸せと感じる人もいます。

わたしは、ただほど高いものはない。微笑みながら近寄る他人のうまい話は、とてもとても注意しなくてはならない。いやいや、いささかもきいてはいけない。と肝に命じています。いい忘れましたが、投資やもうけ話のセミナーもこの類いです。あなただけに教えます、とか、アフリエイトで、一日に20万円もはいった!とかFXの必勝法だとかの類いです。そんな効率の良い方法があれば、企業や国家レベルで参入があってしかるべきです。絶対にそんなことはないのです。でも、一方で全くそんなことが起こらないかと言えば、可能性はあるのですから、嘘でもないのです。からくりは、ほとんどの人が実現できないのです。セミナー料金として高い金をとられて終わりです。すべて、参加者の意思だし、嘘はないので、これは、詐欺とは言い難いので世の中から消えないのです。いつの時代も騙そうとするやつと騙されるものが出てくるのです。

殷の時代から変わりません。

テレビの正義のヒーローものとは異なり
現実は悪い方のほうが知恵があり、正義はすべてを駆逐していないのです。悪のほうがはびこっているのです。

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