ταυτολογίαあるいは秋の海の出来事(4)彩り

ταυτολογίαさんはりんごの皮をつなげたまま剥ききった朝、夜行列車の車内でした、フルーチェを食べたことがないという話をしてください。

「りんごだ」

 メタファの小さな指先が、つ、とまるく動く。「べたべたしてる」

 蜜だよ、とトートロジーは答える。トートロジーと名乗っている彼は答える。トートロジーにとっての彼の名前が彼のものになりつつある。メタファは彼をトートロジー、と呼び、トートロジーはそこにいる小さな体に、はい、と返事をする。

「パイは呪うと君が言ったから、パイは食べなかったんだ」

「パイ?」

 メタファは首をかしげながら、りんごを手にトートロジーを見上げる。ああ、と言った。

「油はね、呪うよ」

「うん」

「わかる?」

「さあ……でも」

 メタファが手にりんごを持っている。それをトートロジーは取り上げる。トートロジーはナイフを手にしている。メタファがそれをじっと見ている。ナイフはまっすぐで、その埃が舞う部屋のなかで際立ってまっすぐで、光っていた。人間とはゆるんだものだ、とトートロジーは思う。ゆるんで、弱いものだ。あたたかなメタファの体にトートロジーはいま触れたいと思っていて、そのかわりに、メタファにはまったく似ていないそのナイフを、りんごにするりと潜り込ませる。

 メタファはじっとそれを見つめている。

 メタファは疑うということを知らないのかもしれないとトートロジーは思う。目の前にある黒い瞳は、疑うということ、怒るということ、悲しむということ、それらすべてを全く知らないように見えた。いまここに取り出されたナイフのことを、全く理解していないように見えた。それは美しいことだったのかもしれない。しかしトートロジーにはそれは、おそろしいことのように思えた。おそろしいことのように、また、メタファの身体に今すぐナイフをつきつけなくてはならないという強迫的な誘惑であるかのように。どくんと心臓が鳴った。自分の体のなかで列車の汽笛が鳴った。ぞうっと脳まで這い上がっていく感情。――目の前にいるのは誰だ。

 弟がフルーチェを作っている。牛乳をとくとくと注いでいる。彼はそれを部屋の外側から見ている。入口に立ってそれ以上動けない。弟がボウルいっぱいのフルーチェを銀のスプーンですくいあげる。それを彼は見ている。弟は彼を見ている。銀のスプーンですくいあげられたものがどんどん弟の口の中に消えていくのを見ている。弟は一度も迷うことなく、銀のスプーンを自分の口に運び込む。運び込み続ける。夜汽車のように機械的に心音が鳴る。

「きれい」

 メタファがつまみあげたりんごの皮を、トートロジーは見る。それは連なって床まで到達しようとしていた。立ったままゆっくりと剥いていたりんごの皮が床にたどり着くまえに、メタファはそれをつまみあげて、自身の首にかけた。ネックレスのように垂れ下がったそれがメタファのちいさなかぼそい体を彩った。

「きれいだ」

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