何を話せばいいのでしょうか?

 ときどきわたしは病気になる。

 わたしは出口のない部屋にいる。体全体が痛く、なかでも脇腹が痛い。喉の奥につかえているものがあり、水を飲んでもそれは落ちていってくれない。夢の中でわたしは森の中にいて、そこは湿っていてどこまでも歩いて行ける。けれどすうっと空が見えてわたしは目をさます。そこはベッドの上で、腕を持ち上げると冷たい空気がある。

「何時?」

 わたしは尋ねる。

「八時」

 驚くほどかっきりとその時刻にわたしは目覚めて、身を起こす。ロフトベッドから降りたわたしは机の上を見る。昨日作ったハーブティーが半分残っていて、麦茶は全部飲み終わっている。わたしは扉をあけてキッチンへ行く。そこになにがあるかたしかめる。昨日の記憶がほとんどない。どこからが夢でどこからが現実なのかわからない。だからそこに何があるかを見てはじめて、昨日起こった出来事について見ることができる。わたしはそこに残った薄いおかゆを見て、ぼんやりと納得する。

 キッチンに残された食べ物、机の上に残された飲み物、LINEの履歴とTwitterの履歴、Amazonの履歴、机の上に置かれた読みかけの本。わたしは手探りで昨日を取り戻す。それから言う。「おはよう」

「おはよう」

 わたしたちはあたたたかいおかゆを食べている。部屋は冷えているので、同居人はわたしのセーターを着ている(わたしのセーターは彼女には大きい)。わたしは人のために料理を作って働いていたころについた習慣で、冬のさなかでも袖まくりをしている。わたしたちは相変わらず、いつ暖房をつけたらいいのか、あまりうまく判断をすることができない。

「子供の頃、会話ができなかった」

 わたしは言う。

「会話?」

「何を話したらよくて、なにを話してはいけないのか、うまく理解できなかった。だから、ひとつひとつ全部、台本を作っていた。でもみんな台本通りに喋ってはくれないから、わたしの用意した台本はたいてい使われなかった。そうしてわたしは会話をすることをほとんど諦めて、人の話を黙って聞くようになった」

「うん」

「それはたぶん勝負から降りることなんだよ」

「勝負?」

「上手に会話をすることで、試合をして勝ってみせようとする人はたくさんいる、ほんとうにたくさんいる。そうしてそれができなくて、負けていく人もたくさんいるし、負けるのはだれだっていやだ。わたしはさっさとそこから降りてしまって、だから――」

「相談を受けている」

「そう」

「それは楽しい?」

「そう。それが大切なこと、わたしはそして、とても楽しくなった」

「そう」

 わたしは深い森の中にいる。わたしは自分のための本を読んでいる。そうしてわたしは深い森の中から誰かに向かって言い返している。「あなたはそこに存在している」

「あなたの話を聴いていますよと言うこと、あなたの言葉は必要とされていますよと言うこと、あなたの存在は必要とされていますよと言うこと、実はそれだけから始めてしまって大丈夫なんだということを、勝負をしなくても大丈夫なんだということを、わたしははじめたので起き上がってここにいる」

 わたしは出口のない部屋にいる。閉じ込められて誰にも声が届かない。わたしはそこから森のなかに逃げ出してゆく。誰もいない森のなかに。そこには質問もないし会話もない。わたしはわたしを抱きしめる誰かの腕のなかにいる。それはたぶんわたし自身だ。

「あなたは本当は森の中にいる」

 同居人が言う。彼女はなんでも知っているのだった。わたしは笑って答える。

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