青空
わたしはしあわせだなとつくづく思う。
空が晴れていれば、それだけで気分が良い。
おいしいものを食べれば、それだけで満足する。
ラッキーなことに、孤独を感じないでいさせてくれる大切な人もいる。(いまは)
多くの人が衝撃を受けた、人気俳優の訃報。
普段こういうトピックにはなるべく触れないでいようと思っているけれど、この件はショックが大きくて、どうしても書かずにはいられない。
彼はもしかしたら、この青空を見ても気分が晴れなかったのかもしれない。
※この文章は彼について何か書くものでは無い。この件から自分を振り返っただけのものだ。
以前の職場で、同僚が自ら命を絶った。
前の日まで一緒に仕事をしていて、その翌週から始まるイベントのことを「がんばろうね」「たのしみだね」なんて話していた。
けれどもその夜、彼は亡くなった。
朗らかな人柄で、いつも笑顔で、人のことを悪く言わず、独特のペースとトーンがあって、本当にみんなに愛される人だった。
自死を選ぶなんて微塵も思いもしなかった。
そんなに深い関係ではなかったからかもしれないけど、全く、ひとつも、彼が死んでしまうなんてことは考えもしなかった。
もしかしたら、人柄と真面目さ故に、周囲に気づかれまいと、巧妙に平静を装っていたのかもしれない。
本当のところはわからないけど、とにかく周囲がちょっと気づけるようなものではなかったということだ。
いまに戻って、大切な人たちのことを考える。
遠くにいる家族、会おうと言って会えていない友達、長く連絡していないあの人、Zoomで会う上司や同僚、隣にいるこの大切な人、彼らは助けを必要といていないだろうか。
「普通」の「笑顔」の仮面を被って、心で地獄を生きていないだろうか。
彼らが被っている仮面は、わたし達が簡単に気付けるようなものではなさそうだ。
だから、少しだけでも本当の顔を見せてもらえるような関係性や、この人なら話してもいいと思ってもらえる人物で、日々あり続けないといけないと思った。
子どもが学校でいじめられている時、親に言えないことがあるように。
「この人に心配かけたくない」なんて思いもあるのかもしれない。
信頼とはちょっと違うところで、「言ってもいいかな」という気持ちが生まれるんだと思う。
ではそれはどこで生まれるんだろうか。
何が正解かはわからない。けどわたしがいま思うのはこれだ。
「批判しない姿勢」
その人のあり方・考え方、物理的・心理的な側面の両方において、批判しないことはまず重要だろう。
「あなたはそうなんだね、教えてくれてありがとう」
「あなたはそういう考え方なんだね、わたしとは違うけど、そういう考え方もあるよね」
「そんなことがあったんだね、話してくれてありがとう」
必ずしも肯定したり、共感したり、同情したり、アドバイスをしたりする必要はない。
ただ、何事も話を聞いて受け入れてくれる人だと思ってもらえることがポイントだ。
距離が近いとか遠いとかじゃなく、ふとした時に、この人なら話してもいいかもと、ヒントを与えてもいいかもと、思ってもらえるように。
これは一朝一夕にはならないし、継続して徹底して「批判しない人」であり続ける必要がある。
つまり、根っこからそういう人で在るということだ。
わたしはしあわせだ。
青い空があれば気分が良くなるほどにしあわせだ。
だから、日々の関係性の中に「この人なら」を植え続けようと思う。
まずはできるところから。
大切な人を護れるように。
大切な人がわたしに護るチャンスを与えてくれるように。
もしかしたらひっそりと「仮面」をつけている人のために。
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