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クラスの育ち

4月、新年度の始まりは、いつも、どんなクラスでも、1からのスタート。

初々しい、まだ地面からひょっこりだした芽のようなイメージ。

そんな中で、試行錯誤しあっというまに、でも着実に一歩一歩進みながら(時に、三歩進んで二歩下がりながら)、過ぎてゆく1学期。

夏休みが明けたら、また少し振り出しに戻るのかな?と思うけれど、1学期にちゃんと積み重ねていれば、ちゃんと残っている。

よしよし、茎を伸ばし、葉を増やしてきたぞ。育ってきてるな、このクラス。でも、まだまだ足りないところがあるぞ。見極めて、肥料をあげて。そんなことを繰り返しながら…

3月、新しい春を迎える前になると、たくさんの感動がある。「素敵なクラスになったな」と思う。もちろん、この”素敵”は毎年違う”素敵”だ。

あんなことも、こんなことも、今まで積み重ねてきたことが、形となって現れたりして。花開くとは、このことか。





もちろん、1年の中に、1人1人の子どもたちの育ちの場面があって。いろんなドラマがあって。

けれど、この1年の感じ方は、「クラス」という集団の中で子どもを育てているからこそ感じられるのではないか、と思う。



1人1人の育ちが、互いに作用して、「クラスの育ち」になる。


上手く表現できずもどかしいのだが、担任をしていて「クラスの育ち」を感じたときの感動は最高だった。


1人1人がクラスの中に確かな自分の居場所を感じ、クラスの1人1人が互いの存在を認め、受け入れ、かかわりあって生活する。

そんなことを、1年の中で1人1人が経験した結果が、3月の「クラスの育ち」になるのだろうか。




大人になっても、他者から学ぶことは本当に多い。立場云々は関係なく、「人とのかかわり」から学ぶことは、とてもたくさんある。


「クラス」は、子どもが先生から学ぶ場所ではなく、みんなで学び育つ場所。担任も、その「みんな」の一員にすぎない、と思っている。「クラス」の中で、私も育ててもらっていたな、と今振り返って思う。


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