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ショートショート61『がんばれがんばれ』

薄暗い照明と小粋に流れるジャズが、店の雰囲気を盛り立てる。
「一人でも飲みに来れる感じのいいバーだね」
初めてきた客は、カウンターに座り一口お酒を嗜むと、大抵こう呟いている。うん。ワタシもそう思う。

初対面で仕事の愚痴を語る者。
失恋したと嘆く者。
様々なお酒をとにかく味わう者。
出逢いを欲っしている者。
ワタシはそんな多種多様な客の、夜の音を聞いていた。


すると、いささか緊張したマスターの声。
「あちらの…お客様からです」

言いながらカウンターの端で静かに飲んでいた女に、そっとウイスキーを差し出した。
おそらくあまり言ったことはないのだろう。
やや演技めいた、それでいて気恥ずかしさが伝わる口調のマスターだった。


ワタシは正直驚いた。
…へ~。
今時、こんな形で女に声をかける男がいたんだ。
いいじゃん。嫌いじゃないわよ。
さあ、ワタシの出番が来たようね。
応援するわ。
がんばれキザな男よ。
でも大事なのはそこからよ。
その行為自体に少しの満足を覚えたら貴方の負けよ。


女に酒を促したであろう一人の男が、ゆっくりと女の席に向かう。

突然の出来事に目を丸くしている女。

…そうよね。びっくりするわよね。分かる分かる。
この緊張状態を打破するやり取りを男に期待しよう。ここからのアイスブレイクが大事よ。


「と、突然ごめんなさい…あの、その…ええと、天気いいすよね…」

「…はい?」


なにそれ。ダメダメ。何でお酒を差し出した側が緊張しまくりなのよ。もっとオシャレにスマートにいきなさいよ。がんばれ。


「あ、あの、良かったら、その、一緒に…その…へへ」

ああ、ダメかも。がんばれ。がんばれ。

そこから男は、何とか隣の席に腰をかけ、女と肩を並べるには至った。
至ったのだが。
弾まない会話。
すすまないお酒。
すすむだけの時間。

女も業を煮やしたのか「ごめんなさい用事があって」と席を立つ。「これ、ご馳走さまでした」とほとんど減っていないウイスキーに目をやり、足早に出ていってしまった。



…残念。
でもね、その勇気はお見事よ。
大いなる一歩は……踏み出したの。
そう…あなた…の…その勇気が…次の…機会…に…いつか…いつ…か…
報われ…ま…す…よう…祈っ…………て…



ワタシは、そのまま溶けてなくなった。
ウイスキーを薄くしてしまっただけ。
でもありがとうね。
これはこれで、刺激的で楽しい一生だったわ。
今度、生まれ変われたら、また応援させてね。

~文章 完 文章~

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