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【日記】真意/2022年12月7日(水)

 昨日は首痛からの頭痛に耐え切れず、鎮痛薬を飲んでしまった。そのせいで熟睡できたと同時に激しい尿意に襲われて、朝方目覚める。
 が、睡眠欲が優ってしまい、そこから3時間も眠ってしまった。

「そういえば、おしっこしたかったんだ! 大丈夫かっ!」と飛び起き、下をまさぐり、布団を上げてみたのだが、どうやらセーフだった模様。で、急に思い出してトイレに駆け込んだのだった。

 目が腫れぼったい。薬の副作用なのは明らかだ。睡眠欲といい激しい尿意といい、体に何か異物を入れるというのは、それだけリスクがあるのだと、あらためて。なので、今日は「亀のように首を引っ込める」をものすごく意識して過ごした。

 長女が短大に合格したとの知らせあり。福岡にある大学で、メディア系の学部とのこと。しっかりと基礎を叩き込んで、どの道に進むにしても応用の利く子になってほしいと願う。

 悩ましい話と、天にも昇るような話と。1日の中の数時間で谷あり山あり。「タフになれと今日のCOLD WIND」(by 尾崎豊)

 ライターの西森路代さんのツイート、最近は特に『エルピス』関連のものがとても興味深い。いつも「ふむふむ、なるほどなるほど」と握り拳を無精髭でじょりじょりやっているのだが、表層的にしか物事を捉えられない人の多さ、その嘆きは特にヘッドバンギングものだった。
 映画やドラマのセリフをそのまま鵜呑みにしてしまったり、文章を字面どおりにしか受け取れなかったり……。後者については直接的に自分も感じることが多々ある。「この言葉の裏にある“真意”を汲み取ってくれよなー」って。
 もちろん時と場合による。わかりやすくド・ストレートに表現しなければならないこともある。が、われわれの生活の中だって変化球だらけではないか。芸術・芸事の世界なら、そこを多層にするのは当たり前。それが“芸”だからだ。また、多層にすることによって、受け取る側の想像力は育み膨らむ。自由度が増す。
 それを表層だけにしてしまったら、全員が全員、まったく同じにしか受け取れない。みんな、それで安心感を得られるのだろうか。自分だったら、こんな、数学の解答みたいなの、つまらなすぎる。自由を奪われた気分にもなる。
 世の中、何でもかんでもサービスが行き過ぎて、悪い意味で感覚が麻痺してしまってる。何でもかんでも丁寧に説明しすぎる。つまり、低いレベルに合わせ過ぎている。
 その反対の、あるべき姿、好例が『鎌倉殿の13人』であり、『エルピス』だと思う。極力説明を排除して、役者のちょっとした所作、台詞の“裏”にボリューム感が満載。視聴者が、じっと観察し、耳を澄ませて、それを探す。見つける。想像する。
 特に『鎌倉殿─』なんて、「そんな細かいところ、見つけたんだ!」って、見ず知らずの人たちの指摘を目にして驚かされることばかりだ。視聴者が、ドラマの進行と同時にどんどん成長していっている気さえする。“敷居”が高くたって、上ってくる人はたくさんいる。上がっていこうとする“気力”を掻き立てるものがあるからだ。
 これこそが、送り手と受け手の非常に良好で健全な関係なのではないか。
そしてこれは、ドラマや映画に限ったことではないのだと、ボクシング記者として書いておきたい。

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