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書籍紹介『日本語学習アドバイジング』木下直子、黒田史彦、トンプソン美恵子著(ひつじ書房)

久しぶりに個人的に献本をいただきました。その書籍が個人的に興味深かったので、ご紹介がてら記事にしてみたいと思います。

その本がこちら。

個人的な興味、というのは下記の2点です。

まず、個人的にコーチングの近接領域について関心があるということ。例えば、下記のコーチング心理学は、もともと歴史的に心理学の研究や実践の成果を取り入れて生まれたコーチングに対し、心理学者が実践から理論化を試みているもので、とても興味があります。

他にも、ドラッカーとエグゼクティブコーチングの関係性について、下記のような探求をしています。

今回の書籍の著者のおひとり、黒田さんとは、コーチングの教育分野の導入関係でご一緒させていただいたこともあり、学習アドバイジング、というのがどういう定義をされているものなのか、興味を持ちました。

そしてもうひとつの個人的関心は、日本語教育という分野です。以前、書店に勤めていたときに語学の棚も担当していたのですが、その時、日本語という分野があることを知りました。その後、日本語教師の方とも知り合う中で、国語教育と日本語教育との間にある確執と言いますか、思想の違いについて、考えさせられました。

自分が過去に受けてきた教育を思い出してみたときに、確かに、国語の授業で学んだとて、日本語ができるようにはならないかなーと思います。あれは言ってみれば、日本文学の授業であって、日本語の勉強ではない。

日本語教育の対象は外国人の方だと思うのですが、母国語が日本語ではない外国人の方が日本語を話せるようになるための学習ということで、国語教育よりはゴールがしっかりしていることは言えるかと思います。

ということで、確実に成果を出さなければならないというプレッシャーのある日本語教育は、逆に言うと、学習効果についての研究が進みがち、ということが言えるのではないかと思って、期待してしまいます。

個人的な興味の解説はこのくらいにしまして、では、実際、この本ではどのようなことが書かれているのか、紹介していきたいと思います。

目次によると、この本は3部構成。それぞれ「第1部 日本語学習アドバイジングとは何か」「第2部 事例で学ぶアドバイジング」「第3部 成長する日本語学習アドバイジングを目指して」となっています。第2部は事例、第3部はキャリアのお話ということで、今回は第1部の内容を中心に紹介したいと思います。第2部の事例も、文法、漢字から、モチベーションまで様々な事例のダイヤログが紹介されていますので、本業の方にはとても参考になりそうです。

まず、著者らは、日本語学習アドバイジングという言葉を、下記のように定義しています。

日本語学習者が学習目標を立てて自律的に学習を進め、学習目標が達成できるように、日本語学習アドバイザーが対話を通して支援すること

『日本語学習アドバイジング』P.3

ここで、注釈めいたコメントも書かれています。

ここでの「アドバイザー」は、一般的に言われている「アドバイスする」「助言する」人という意味とは少し違います。

『日本語学習アドバイジング』P.3

指示したり、教えたりするのは、アドバイジングではなく、ティーチングです。アドバイジングのDo not 3原則は、「教えない」「決めない」「評価しない」とも言われています

『日本語学習アドバイジング』P.4

ということで、まずはティーチングとの比較表が掲載されています。そしてその後、アドバイジングに使えそうなツールなどが紹介された後、日本語学習アドバイジングとカウンセリングとコーチングの比較表も掲載されています。この本では、コーチングとカウンセリングを関連分野として紹介し、「いずれも対話を通して相手の行動の変容をサポートするという共通点を持っていますが、対象や目的が少しずつ異なります」(『日本語学習アドバタイジング』P.18)と説明されています。

コーチングを研究する方法として、私は2つの方法があると思っています。ひとつは、今回のようにコーチングの近接領域を調べ、コーチングをそれとは違うもの、として認識する方法です。例えば、コーチングとカウンセリングの違い、コンサルティングとの違い、というようなアプローチがそれに当たります。

しかし、私は個人的に、その方法では、なかなかコーチングというものを捉えられないのではないかと考えており、そこで、2011年から「支援対話」という概念を考え出しました。

これは、支援のための対話という意味で、コーチングもカウンセリングもファシリテーションもここに含まれる、という考え方です。ということで、そういう名前の学会も設立しました。学会誌はJ-stageにも掲載いただいています。(最新号は発行遅延中です。)

ざっくりと、支援のための対話と、それ以外の対話を分け、その上で支援対話の中のコーチングの特殊性について研究する、そういう考え方になっています。

イメージで言うとこんな感じです。

筆者作成

このように、私の定義の中では、ティーチングも支援対話に含まれます。問題なのは、ティーチングすらしようとしない先生方の存在ですが、、、これはまた別な話。

さて、第1部第2章では、自律学習学習者オートノミーという概念が説明されます。その中で、下記の一文に目を引かれました。

自分の学習について自分で意思決定を行えるということは、学習の目的、目標、内容、順序、リソースとその利用法、ペース、場所、評価方法を自分で選べるということ

『日本語学習アドバイジング』P.29

まさにこれぞ自律学習ですね。では、これをどのように実現できるのか、ということが、この日本語学習アドバイジングによって可能になるよ、というのがこの本の主張なのですが、これは極めてコーチングの発想に近いものがあり、逆に言うと、これまでの学校教育からは程遠いところにあると言えそうです。

特に評価方法を自分で選べる、というのはとても大事です。社会人から見れば、このことはとても当たり前のことのようにも見えます。しかし、これまでの学校教育、カリキュラム型の教育制度の発想に慣れている方からすれば「何言ってんの?」というくらい、受け入れがたいものではないかな、と想像します。

つまり、ここで言っている「評価」と、学校教育界で想定されている「評価」では、その「評価対象」が違うのです。学校教育界で想定されている「評価」は、言ってみれば他人との比較評価です。偏差値なんて概念がわかりやすいですが、言ってみれば、隣の人と比べてあなたは賢いか馬鹿か、をジャッジするものになります。一方で、自律学習における評価は、学習前より後の方が学習が進んだか、を判断するものになります。

今の日本の学校教育界で、所謂、自分がマトモだと思っている親と先生、学校関係者がおそらくハマって抜け出せていない罠がこの罠です。このグローバル化とボーダレス化の時代に、同世代の隣の人と比べてわが子が賢いか馬鹿かを比較するだけの学校教育に何か意味があるのか、ということであり、結論から言えば、そんな無駄で不毛な比較に無駄に時間を使うくらいなら、何かその子にしかできない尖がったところを伸ばせ!というのがソリューションで、本当に賢い子なら、学校教育からドロップアウトして自分なりのアウトプットを始めていることでしょう。

日本語を学ぶ、という動機は、強制では生まれません。そういう意味では、このアドバイジングがやりやすいとも言えるでしょう。

一方で、すべての教科を等しく満点を目指す量産型教育には、なかなか適用するのは難しいかと思われます。そういう教育の場合、何も考えないでロボットのように素直に課題をこなす人材にしてしまった方がやりやすい。一方で、何かにこだわり、何かに秀でた特化型人材を生み出すときには、このアドバイジングというのは、関わる大人には必須のスキルになるんではないかな、と思いました。この本には、そのために使えるツールやセッション例なども掲載されています。

現場からは以上です。お読みいただきありがとうございました。この記事が面白かったという方のスキ、何か言いたいという方のコメントもお待ちしております。

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