Day4-5|初フィールドワーク@静岡
”人類学者の目をインストールする”をミッションに掲げる合同会社メッシュワークさん主催のゼミにて、静岡駅周辺1km圏内でのフィールドワークを実施してきました。実際にフィールドワークを経験してみた記録を、今回の実践で掴んだ”フィールドノート”風(?)のイメージでこちらに残しておきたいと思います。
フィールドワーク?人類学?
静岡でのフィールドワーク(ゼミDay4-5)実施前に、まずはゼミDay2-3にて、「人類学とは?」「フィールドワークとは?」「参与観察とは?」「フィールドワークの末に出来上がる”民族誌”とは?」に触れるべく、課題図書3冊を読み、感想や疑問の共有を行いました。
課題図書3冊📕
『人類学とは何か』ティム・インゴルド 著(亜紀書房)
『西太平洋の遠洋航海者』ブロニスワフ・マリノフスキ 著 (講談社学術文庫)
『フィールドワークへの挑戦―“実践”人類学入門』菅原和孝 編(世界思想社)
課題図書を読んだ時の細かい感想は別途記載するとして…
『人類学とは何か』では、自分が知らぬ間に身の回りのモノや人にレッテルを貼って見ちゃっているんだな~と気付かされ、『フィールドワークへの挑戦(略)』『西太平洋の遠洋航海者』では、”参与”して対象を観察するとはどういうことか、今まで自分が行ってきた”調査”と人類学的なフィールドワークとでは観察の仕方や結果のまとめ方が違いそうだな~ということが、ふんわりと理解できた気がしていました。
だけど、実際に静岡で”フィールドワーク”をする…とは何をするんだ???
と思考もまとまらない状態で、静岡1泊2日のゼミ合宿に向かいました。
フィールドワーク前夜(少々余談)
私は早起きが苦手なので、ゼミの前夜に静岡入り。メッシュワークの比嘉さん&水上さんも既に静岡にいらっしゃるということだったので、夜ご飯をご一緒することに。「17時頃フリーになります」とお伝えしておいたら、17時頃に「今から静岡駅で待ち合わせでいいですか?」と連絡が。具体的に待ち合わせ時間を指定されないのが、なんとなくメッシュワークのお二人っぽいと勝手に感じました(前職では、仕事が一段落してホテルに戻ってから、「◯時◯分 or ◯分後にロビーで」と必ず時間を指定して待ち合わせをしていたので…)。時間通り/予定通りに進まない”フィールド”での活動に慣れているからかな?と想像を巡らせました。
お二人と一緒に県庁の屋上から街を展望した後、おでんを頂きました。お二人が街中を歩くペースがスローで、私にとっては新鮮でした。おでん屋さんは店主が積極的に話しかけてくれるタイプで、比嘉さん&水上さんとは殆ど会話をせずに終わりました(笑)
おでん屋さんで1つだけ印象的だったのは、店主が九州出身(たしか)と言っていたこと。静岡おでん屋は静岡の人がやってるだろ~と思いっきり先入観があったことに気づきました。
(ここまで書いていて、「人の印象を勝手に書く」ことって、結構ドキドキするな…と思いました。私は良い/悪いをジャッジしているわけではなく、ただ私が受けた印象を記載しているだけですが、受け取り手によっては「歩くのがスローって、バカにしてるの!?」等となる可能性もなくはないかな…と。比嘉さんと水上さんは気にしなさそうですが(笑))
フィールドワーク1日目(午前)~お散歩からの気づき共有
集合時間15分前を切り、少し足早に会議室へ向かいましたが、まだお一人しか集合しておらず、時間ピッタリくらいに全員集合する感じに、少しの驚きと、ちょっとの嬉しさを感じました。多分、「人間に興味ありそうな人たちの集まりだから、みんな30分前くらいに集まって雑談してるのでは?私、乗り遅れちゃうかも!」という予想を裏切られた驚きと、「集合場所に早めに来ている人は気が利く人」という先入観によるちょっとした優越感や、私用では時間ギリギリを攻める派なのでシンパシーを感じた事による嬉しさだったのかな?と思います。
(皆さんと2日目にフィールドノートを共有した時にも思いましたが、”フィールドノート”って、「他人に対して隠しておきたい自分(自分でもちょっと変だなと気づいている先入観とか)」を赤裸々に残しておく作業でもある気がしました。できれば目をつむり、書き残したくないのだけど、そういう部分が実は一番気づきにつながる予感がしていたりします。上手いこと取り繕って、皆と衝突せずにやってきた(と思っている)私にとっては、自分の胸中を大公開するのはとてもスリリングです(笑))
全員集合した後、10名でぞろぞろと30分弱お散歩へ…。フィールド全体(静岡駅周辺1km圏内)の”下見”だと勝手に思い込んでいたので、駅の南側のちょっとした区間を散歩して終了し、「気づきを共有してください」と言われたことに驚きました。「これでは全然、静岡駅周辺のこと理解できてない…!」と思っていましたが、今考えると”静岡駅周辺1km圏内”は便宜的に決められた範囲なだけだし、”静岡駅周辺について理解する”ことは全然求められていなかった…!
一緒におしゃべりしながら歩いていたはずなのに、ポストイットにスラスラと気づきを書いていく皆さんに「やばい!」と焦りつつ、なんとか気づきを絞り出し、皆さんと共有したところで午前の部は終了しました。
フィールドワーク1日目(午後)~各自フィールドワーク実践
午後はいよいよ、各自でのフィールドワーク実践。課題図書の『人類学とは何か』や『フィールドワークへの挑戦(略)』を読んで、観察する対象への”興味”があるか否かで、観察の質が変わるような気がしていたので、”興味が湧く観察テーマ”を見つけなくては…と必死で考えていましたが、これといったテーマが思いつかないまま、1人ずつフィールドワークの予定を発表する時間がきてしまいました。(”興味”とかって、感じるものであって、頑張って考えても見つかるものではないかも…という諦めの気持ちも若干ありました。)私の発表は6番目…。人の発表を聞いている間に、半分上の空で思考を巡らしてなんとか絞り出した私のテーマは”ファッション”でした。普段ドイツで生活している際は、ノーメイク+Tシャツ+ジーパンで家の周りを歩いているけれど、東京に来るとちゃんとメイクして、歩きづらかったり汚れを気にしちゃったりするような服を着て出歩く自分が居たりするので、静岡駅周辺ではどんなファッションの自分で存在したくなるかを観察してみる…的なことを言ったと思います。他の人の発表と比べて、考えてこなかったのがバレバレじゃないか…と反省しつつ、前回のゼミで比嘉さんが「とりあえずピンを立ててみることも必要」と言っていたから大丈夫!と自分に言い聞かせて、フィールドへと出発していきました。
フィールドでの詳細な活動については省略しますが、1.5時間ほどかけて、街中でファッションが目についた人の後を少しだけ追わせて頂いたり、洋服屋さんで店員さんと普通に買い物する時の会話+αを繰り広げた後、洋服を購入してみたり、いくつかの洋服屋さんの外観を観察したりする中で、気になったところを写真に収めたり、スマホにキーワードをメモしたりして帰ってきました。いざフィールドに出たら「何か持って帰らなければ」と必死になり、最初に考えていた”静岡駅周辺で自分はどんなファッションをしたくなるか?”なんてことはすっかり忘れて、予定共有タイムに話に上がった”現地の人と会話する”ということと、”ファッション”というキーワードだけを頼りに、とにかく誰かと会話して帰ればなんとかなるかもしれない!!という思考になっていました。
フィールドから戻り、いざフィールドノートを記述する時間になってやっと「フィールドノートってなんだ?!フィールドで書いてきた、このスマホのメモはフィールドノートじゃないのか!?」という疑問が湧いてきました。【フィールドノートを記述すること】がその日のゴールだったのに、この瞬間まで、”どんなものを書くのか”を一切考えていなかった自分にびっくりしました(笑)
なんとなくスマホに残したメモに、少しだけ補足を加えた”メモ”を作成して、ひとまずこの日のゼミは終了。【フィールドノート作成】は、夜の宿題になりました…。
フィールドワーク1日目(夜)~フィールドノートの記述
宿題が頭をよぎりつつ、皆さんと楽しく夜ご飯を頂いた後、ホテルに戻ってフィールドノートの記述に取り掛かりました。とりあえず、仕事で調査や会議に参加した時のように、思いつくことを箇条書きで列挙することにしました。【フィールドワーク前の想定】【フィールドに関して見たこと聞いたこと、感じたこと】【何となく今ある問い】【自分に対する気づき】【デスクリサーチによる補足】という項目別に箇条書きしていき、気が済んだ頃には0時を回っていました…が、その時やっと気が付きました。これでは『フィールドワークへの挑戦(略)』に書いてあった、”ただの情報の羅列”だということに…(絶望)。
Googleドライブで共有されている、他の人のフィールドノートを見てしまったら、120%書き方を真似してしまうな~という自覚があったので、人のノートを見ずに、まずは自分が思うようにまとめてみよう!という気持ちで書き始めましたが、この頃にはそんな心の余裕は無くなり、必死で皆さんのフィールドノートに目を通し、全力で参考にさせていただきました(感謝)。箇条書き形式から、時系列の日記のような形式に1から書き直しました。深夜のテンションも相まって「これ、フィールドノートじゃなくて、ただの私の日記じゃない?(泣)」と大反省しつつ、削られていく睡眠時間と体力に怯えながら、ひとまずそれっぽいものを作り上げました。
今振り返ると、大枠の書き方を真似したとしても、見ているポイントも気づきも全然違うので、意外とオリジナルなフィールドノートに仕上がるなぁと感じています。それよりもなによりも、フィールドで観察したことをノートに記述する作業って、こんなに時間がかかる大変な作業なんだ…!と思いました。比嘉さんが「情報の肉付けをしようと思えばいくらでもできる」と仰っていましたが、箇条書きでまとめている時はその意味が分からなかったのですが、日記のように書き始めたら、急に「どこまで細かく描写したら良いんだ?」という思考が湧いてきて、比嘉さんが言っていた意味が少しわかった気がしました。
フィールドワーク2日目(午前)~フィールドノートの共有
昨晩…というか数時間前(笑)に必死にまとめたフィールドノートを皆さんと共有しました。大反省モードでこの時間を迎えたので、自分の番が回ってこないで欲しいと願っていました(笑)「状況よりも”情報”を集めようと必死だった」「自分の感覚ばかりに注目して、ただの自己内省日記になってしまった」「問いが定まっておらず、何が分からなかったのかも分からなかった」という懺悔の発表をしましたが、比嘉さんからは「そんなに反省点ばっかりのフィールドワークじゃなかったように思います」というコメントと共に、フィールドワーク中の他者との会話について(”東京から来た”ことや自分の興味の対象について、変に隠さずに自己開示してみると生まれる会話もあること。知っている情報をその人がどの様に説明するのか敢えて聞いてみるとわかることもあること等)や、記録(会話だけでなく、見たものも記録しようという意識等)に関するアドバイスをいただきました。水上さんからも「描写の細かさと、ノート記載中に感じたことのメモがあったのが良かった」という意外にもポジティブなフィードバックを頂き、お陰様で午後のフィールドワークは切り替えて再出発できました。
フィールドワークやフィールドノートについて、他の方からの視点でコメントをもらったり、他の方の発表から気づきをもらったりすると、あくまでも絶対的な”正解”はないという前提ではありますが、こんな感じでやってみれば良いのかも!と少し自信を持てる感覚がありました。
フィールドワーク2日目(午後)~再びフィールドワークへ
1日目のフィールドノートをまとめることに必死で、2日目のフィールドワークの予定を全然考えられていませんでしたが、この日は1日目のフィールドワーク中に購入した洋服を全身に纏っていたこともあり、「その服装だからこそ生まれる会話があるかもしれないね」と比嘉さんからコメントを頂き、とりあえずこの服装で誰かと話してみよう!ということを目標にフィールドへ出発しました。
午前中の発表で、フィールドノートのまとめ方イメージもやんわりと掴んだ私は、1日目よりフィールドワークを楽しんでいた気がします(笑)
相変わらず「問い」は全然定まっておらず、行き当たりばったりで気になった人と会話し、服装についても特に触れられないままフィールドから戻ってきました。でも前日より心は軽やかでした。
2日目のフィールドワークでは、前日の夜のデスクリサーチにて、ファッションに関連して、”遠州織物”という静岡で生産されている生地について情報収集していたこともあり、”静岡産”は静岡ではどの様に扱われているんだろう?というちょっとした疑問はあったため、生地屋さんと雑貨屋さんで”静岡産”の商品があるか尋ねてみました。私が訪れた生地屋さんには”静岡産”は販売しておらず、雑貨屋さんでは”静岡土産”として、静岡産の染め物を使用した商品が販売されていました。私の質問のクオリティの問題もあったかもしれませんが、なんとなく”〇〇産”の商品って、その〇〇という土地に住む人には、意識的/日常的に利用されなかったりするかもなぁと感じました…というより、そういう仮説のもとで観察していたから、そういう結論づけにしている私が居る気もします。その土地の名産品は気軽に手に入るから、そんなに価値を置いていないんじゃないか…と。
2日間のフィールドワークで、もう一つ気になったこととして、静岡の織物や染め物について紹介する際に、「この辺ではなくて、浜松の方で作られているんですけど…」という説明があったことから、静岡の方は”静岡県”という単位よりも細かい区分で地域属性を考えているのかな?と感じたことを挙げました。ただ、これもゼミの皆さんから頂いた静岡に関する”事前情報”に思考を引っ張られて、”そのように判断できそうな情報”に若干過敏になっていた気もします。事前に情報収集したり、仮説を立てたりすることが大事な一方で、それを先入観にしない難しさを体感した気がします。また、先入観でそれっぽい情報を取りに行ってしまったのか、それとも純粋に観察した方々にそういう傾向があったのか…を判断する上でも、ピンときたところだけでなく満遍なく、変に要約せずになるべくそのままを記録しておくことって大事だなぁ(それにも限界はあるけれど…)と、今になって思います。
フィールドワーク2日間を終えて
参加者の皆さんの問いや視点に圧倒され、潰れかけながら過ごした2日間でしたが、私のフィールドノートを見て、「没入感が伝わってきて面白かった」とコメントしてくれた方がいらっしゃいました。問いもいまいち立たず、行き当たりばったりの記録を必死で書き、それが良かったのか正しかったのかは全然わかりませんでしたが、少なくとも面白がってくれた方が居たのはとても嬉しかったです。
フィールドノートへの記録の仕方が良かったのか悪かったのか…という点については、書いた直後には自分ではいまいち分からず、時間が経ったり新たな問いが生まれて見返したりした時に気づくことが多そうだなぁと、今は想像しています。
参加者の皆さんのフィールドワークの様子を伺っていて、「私は人の話にとっても興味がある人なのかもしれない」と思ったりもしました。私の記録は、人と何を話したか…についてはたくさん記載があるのに、人の動きや空間については全然記録していなかったことに気が付きました。これからドイツでフィールドワークする際には、”深く話す”のが少々難しい気がしているので、”観察する”を試行錯誤しながらやってみたいな~と思っています。
今回のゼミでは、フィールドワークしたことをフィールドノートに”記録”しました。”記録する”ことを考えると、私は「どうやってまとめておくと見直しやすいか?」を意識している事に気が付きました。ただ、今回フィールドノートをまとめてみて思ったのは、記録するのは見直すためじゃなくて、”気づく”ためかもしれない…ということでした。もちろん見直しやすいに越したことはないと思いますが、フィールドで見てきたことをノートにまとめてみる過程で、気付きがたくさん湧いてくるのを体感しました。私は昔から”復習”があまり好きではないですが(復習するよりも先に進みたくなっちゃう)、体験したことを振り返らないことって結構もったいないのかもと感じました。
そろそろまた夜も更けてきたので、このあたりにしておきます。