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「ポジティブ心理学+マインドフルネス」としての「イマココネトゲ」


  最近ケア業界で頻繁に聞くワードに「ポジティブ心理学」と「マインドフルネス」があります。これらに関する本などを何冊か買って読んでみた感覚としては三つでした。一つ目は、「こういうアプリケーションが出てきていることは、長いヘルスケアの歴史の中では大きな変化の時期に来ているのだなあ」ということ、二つ目は「部分的には自分も昔から臨床でやってきたことなので、その妥当性が後押しされてうれしい」ということ、三つめは「この二つのメソッドはとても親和性が高い」ということです。

 まずはこの二つのメソッドに関する私なりの解釈について述べたいと思います。まずは「ポジティブ心理学」について。このメソッドを知った時の感想は「これはシンプルだ!」ということです。こんなことを言うと、ちゃんとポジティブ心理学を深めている実践家や研究者の方からはお叱りを受けるとは思うのですが、基盤となっている哲学的なコンセプトが実にわかりやすいのです。私の理解では、要するに「その人があらかじめ持っている“強み”の部分にケアの燃料大目に投入して、ダメな部分はほおっておこうぜ」ということなのだと解釈しています。身もふたもない感じですが、これはなかなか臨床の場面では革新的なコンセプトです。何故なら、そもそも臨床的な介入というものは「ダメな部分」に介入するものであって、強みの部分については気にしない、ということを前提のように進んでいくものだからです。その意味では、ポジティブ心理学のコンセプトは既存の臨床の枠組みとは真逆ともいえるアプローチです。常々私は、患者という認識をもって診察室に入ってくる人たちに対して、マイナス要因をゼロにするというアプローチ以外のアプローチに興味を持っていたのですが、ポジティブ心理学のアプローチはまさにそれをプラグマティックに体現しているものだと私は解釈しています。 

 次に「マインドフルネス」です。「マインドフルネス」というとどうしても「瞑想」や「呼吸法」を連想してしまう人が少なくないかもしれません。特に「瞑想」との関連はなんとなく宗教チックなにおいが漂ってしまうために、そのせいでとっつきにくい印象があります。私自身もちょっと前までその印象でした。実際に「マインドフル瞑想」をやってみてもちっともうまくいかないのです。ところが、ある時「マインドフル・イーティング」というものがあるということを知りました。すなわち「マインドフルな状態で食べる」という行為です。これは私には有意に「ああ、こういうことか!」と気づかせてくれる体験でした。マインドフルネスのキーワードとして「イマココに集中する」という言葉があります。この言葉はなんとなく左脳では理解できるのですが、体感としていまいち腑に落ちていなかったのです。しかし「マインドフル・イーティング」ははっきりと体感することができました。

 私の解釈では、「マインドフルな状態」というのは「脳とカラダが平衡を保っている状態」だと理解しています。多くの現代人(たぶん特に私も含め東京に住んでいる人たち)は、自分を保っていくうえで「脳がカラダを制御する」というモデルをとても大切にしています。すなわち、カラダは脳の制御に隷属しており、抹消は中枢の指令に隷属しており、自然は人為に隷属している、というモデルです。そして、多分そのモデルは間違っているのです。あちこちの痛みやめまい、強い倦怠感、顔の筋肉のひきつれなど、医学的な数々の検査をしても異常が出てこない多くの体の不調について、私は基本的に「脳の制御に対してカラダが悲鳴を上げている状態」ととらえながら臨床をしています。カラダは脳の独裁的支配から逃れたがっているのです。マインドフルな状態とは、カラダの動きが脳と連動していて、カラダと脳がイーブンな均衡を保っている状態、別の言い方をすると、脳もまたカラダの一部になっている状態であると私は解釈しています。カラダは「イマココ」のことを感じながら動いていることがほとんどです(すべてではありません)。しかしながら、脳はすぐに未来のことにコミットしようとしてしまいます。だからこそ、マインドフルネスにおいて「イマココへの集中」がキーワードとなっているのだと思います。しかし「イマココへの集中」はあくまで「マインドフルな状態」の一部であって、大切なのは脳がカラダの一部になっている状態を作ることなのだと思います。マインドフル・イーティング、すなわち「孤独のグルメ」は、私にとってとてもしっくりくる「マインドフルな状態」を体感できる行いでしたが、様々な人が、瞑想ではない方法でその人なりの「マインドフルな状態」を体感できる気がします。

 そんなふうに考えると「ポジティブ心理学」と「マインドフルネス」はとても親和性が高いと私は考えるようになりました。ある人が「何かしら気持ちの良いことを集中してやっている」とき、おそらくその人は「マインドフルな状態」にあります。さらには、そのようなことをしているとき、その人には何かしらの成果がついてきていることが多いのです。例えば、社会とうまく接点を作ることができず、さらには全身の痛みのために困っている人がいたとします(このような人が患者として内科の外来を訪れることは実に頻繁にあります)。その人に対して、私がよく行う支援のアプローチは、その人が「できていないこと」や「辛いと感じていること」についてはいったん受けとめつつ、その後流してしまうことです。その上で「今の時点でできていること」や「楽しいと感じることができること」、あるいは「目標を持ってい取り組むことができること」を探し、言語化してもらうようにします。例えば、それがネットゲーム(ネトゲ)であることがあります。それを共通プラットフォームとして見出した時、「ポジティブ心理学」と「マインドフルネス」はその人への介入として同時に有効なことが少なくありません。そこに「イマココネトゲ」をその人の“強み”として認識してもらうことで、自己肯定感は強くなります。同時に「イマココネトゲ」をより意識することで、ネトゲをしている時によりマインドフルな状態を作り出すことができると思っています。

 なお、マインドフルネスは「イマココ」であればあるほど良いので、サッカーのように未来を想起しながら行う高度な頭脳スポーツよりは、皿洗いとか床掃除とか芝刈りとかの方がより「マインドフル」な状態を作ることができるというのが臨床かとしての実感です。「マインドフル皿洗い」とか「マインドフル芝刈り」というのは臨床アプリケーションとしては実にわかりやすいですし、実際に当事者が結構楽になるという印象があります。

 「ポジティブ心理学」も「マインドフルネス」も、ちょっとちゃらちゃらしてますしあまりどっぷりその方向に行き過ぎると逆に臨床としてうまくいかなくなるような印象を私も持っていますが、うまい距離感で「ツール」として使ううえではなかなか有用なコンセプト&メソッドだとは思います。

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