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脳卒中になりまして その3

その後脳の出血も止まり、発熱も落ち着き状態が安定したのでICUから一般病棟へうつりました。そこでほぼ一週間ぶりにお風呂に入ることができました。

携帯には入院を心配した同僚からLINEの連絡が入っていました。勿論何を書いているのか分からないので、多分そういう内容だろうと思いました。
平仮名だと読めるので、LINEの文章をコピーして検索に貼り付け、読み仮名を出したあと紙に鉛筆で書いて読みました。iPhoneのフリック入力で平仮名で書いたあと予測変換で漢字に変換して返事を返しました。この世の中に携帯という便利な機器があることに感謝しました。

携帯には友人との昔のメールのやり取りがあり、アドレス帳には今まで出会った人たちの連絡先が載っていました。
相変わらず名前は読めません。アドレス帳を見ても文字が文字として意味をなしていないため、誰なのかまったく検討もつきません。
親友とのメールの履歴を見ました。メールでやり取りする人間は彼しかいないし、話す内容は彼の家族の話の事くらいでした。勿論内容が読めないのはわかっていましたが、一番ショックだったのは彼の名前がわからない事でした。日本人は名字も名前も漢字なのです。文字に既視感はありますが、一体自分が彼をなんと呼んでいたのかわかりませんでした。10年来の友人の名前すら、なんと呼んでいたのかも思い出せ無かったのです。


一般病棟に移るのと同時期に家から親に参考書を持ってきてもらっていました。学生時代に使っていたものから、臨床に出た後に買い足したものまで。失語症について少しでも知りたかったからです。
でも勿論読めませんでした。そこにある漢字が何と読むのか分からなかったからです。

しかしLINEで使ったノウハウが役に立ちました。フリック入力で検索して失語症の情報サイトを開き、そこにある文章を検索にかけ、ふりがなを紙に書いて筆記で平仮名の文章に起こしながらネットの文章を読んでいきました。
初めはほとんど忘れていたのですが、言葉の意味の説明を読むと何となく以前学んだ記憶が蘇ってきました。
理解力には問題はなさそうだという事と、一度思い出せば後はその知識を保持できる事がわかり少し安心しました。
ほぼ同時期に言語聴覚のリハビリも開始、言語聴覚士の先生にアドバイスを貰いながら訓練を行なっていました。

入院中はずっと忙しくしていました。朝起きて採血(薬の効果を見るために毎日ありました)をし、朝食を食べ、主治医の先生たちが回診に回ってきたらその日の体調をつたえます。先生たちは机の上に置かれた教科書を見て応援してくれました。その後歯を磨き、ベッドに座って本やネットの論文を読み少しでも自分のリハビリに繋がりそうな情報を探しました。
午後には言語聴覚のリハビリがありました。宿題をもらい、部屋に帰ってから夕飯までは宿題をこなす。夕飯には親が見舞いに来て、差し入れを食べたり、雑談をしたり。その後は消灯までまた文献をあさる。
文献から学んだ情報を元に自分でもリハビリプログラムを組み、自主訓練も行なっていました。その頃に行っていたのは、文章の複写です。言葉は単語単体で使用する事はほとんどありません。ある意図を持って、文章の形として日常で使用されます。そのためただ単語の書き取りを反復するよりも、文章としてある文脈の中での使用から意味理解の刺激を入れた方が効果が期待できる、とある文献からヒントを得ました。これがどの程度効果があったのかはわかりません。言語聴覚の訓練も行なっていたし、症状の改善も徐々に見られ始めていた時期だったので何がどの程度影響していたのかは判断が難しいところです。しかし、僕はこの訓練を開始した2日後にある程度漢字が読めるようになっている事に気付きました。

入院して二週間が経つ頃、少しずつ漢字もカンで読めるようになっていました。時間はかかりましたが何とか教科書も読めるようになっていました。
家から昔よく読んでいた村上春樹の作品のうち「国境の南、太陽の西」と「ダンスダンスダンス」を家族に持ってきてもらいました。自宅の棚の取りやすいところに偶然置いていたからです。小説も読めるようになっている事に気付き、久しぶりに気持ちが楽になるのを感じました。

少しづつ、身の回りにあるものに何が書いてあるのか分かってきました。ペットボトルの表記、壁の注意書き、看護師さんの名前、LINEの文章、親友の名前。

「俺は、まだ俺に戻れるかもしれない」

その希望が心の底に湧いて来るのを感じました。


いくらか気持ちに余裕ができた僕は、ネットで文献以外も見るようになりました。例えば、10年くらい読み続けているネット漫画です。
先程アドレス帳の人名が読めなかった話をしましたが、ここでもそうでした。漫画の登場人物の名前がわかりませんでした。
症状が首尾一貫していることに少し感心しました。漫画なら大丈夫という事は無いんだな、と。

ツイッターも見るようになりました。今回の入院でわかったのは、「言葉が読めないとツイッターは楽しめない」という事です。イヤホンも持ってきていなかったため音声も聴けず、動画もよく分からなかったのです。

しかしイヤホンも家から持ってきてもらったし、文章も読めるようになってからは再び以前のようにツイッターが楽しめるようになりました。

そこではたくさんの人が自分の好きなことについて嬉々として語り合っていました。食べ物や旅行や映画や漫画や、そして音楽について。そうそう音楽だ、俺はロックやブルースが好きなんだ、例えばあのひとが、

えーーーーっと………

ここに来てまた気づく事がありました。
あれ?俺が好きなミュージシャンって誰だっけ?


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