京都信用金庫・津田郁太は反逆のバンカーである|メンバー紹介vol.2
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京都信用金庫・津田郁太は反逆のバンカーである|メンバー紹介vol.2

美食倶楽部

おはようございます。モロモロ担当の本間です。

美食倶楽部の仲間を増やすべく始まったメンバー他己紹介。前回の代表・田村に引き続いては、京都信用金庫の職員でもある津田郁太(いくた)です。

京都信用金庫(以下、京信)でキャリアをスタートさせた津田は、イケイケの営業として大型店舗や外部出向を経て、4年前より本社勤務に。そして昨年ついに完成した肝いりプロジェクトである新ビルQUESTIONの副館長にも抜擢されました。

と書きましたが、その経歴とはまったく別の本性を持っています。僕はそれをタイトルの通り「反逆」と表現しました。「お金ってものはもういらんのちゃうかと思う」と話す反逆そして異端のバンカー(信金マン)、そして株式会社Q`sにおいては「リーダー!!」の愛称で親しまれる津田郁太のストーリーをお送りします。

Q`s 取締役:津田郁太(QUESTION 副館長)

京都信用金庫で営業店を3店舗、京都府外郭団体への出向を経て、本部にて創業支援業務、海外販路支援業務(東南アジア・インド担当)を経験した後、QUESTION開業プロジェクトを担当。「今の仕事はおもろいか」を原点におもろい人物・会社を仕事に巻き込む活動に邁進中。近畿経済産業局2018年度「中小企業の頼りになる支援人材」に掲載され、WAOJE(World Association of Overseas Japanese Entrepreneurs)京都支部事務局長、京都府地域クラウド交流会オーガナイザーなども経験。

振り返れば父がいた

これまでの人生を振り返ると、人生の帰路にはいつも父親がいた。

自称「どーしようもないポンコツ」だった大学時代。2回生の時、学校に連絡もせずにふいに「消え」て、親友の住む沖縄に潜伏した。日雇バイトと友人達の学食を行き来する日々を過ごしながら、このまま大学をやめて沖縄に住み着こうとした津田は父親の一言で目を覚ます。

「一生を大きく決めるかもしれない決断だ。お前が骨を埋めるくらいの覚悟を持ってるなら俺は止めない」

自分になんの覚悟もないと気づいた津田は、大阪に帰ることに決めた。(ちなみに自称ポンコツは今も口癖だがそれはここでは掘り下げない…)

その2年後。無事に京都信用金庫に就職が決まった津田に父親が言った言葉は、今も自身でキャリアを考える際に常に思い浮かべるものだ。

「中途半端なら意味がないぞ。やるなら経営に関わるところまで行け」

現在75歳の父親は、日本の経済成長を支えた世代。京大卒、理系の技術者で、実家の旅館を飛び出して大手製造業へ就職、経営幹部にまで上り詰めた。大きなビジネスの中心にいた彼にとって、地場の中小企業を支える信用金庫という息子の決断は、最初はイメージがつかなかったと言う。複雑な気持ちも抱えていたであろう父のエールに津田は感銘を受けた。

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父親とは、まったく別の道を辿ることになったが、現在も仕事面で何かあると気軽に相談する仲という。「とにかく自分の頭で考える」ということを叩き込まれた。今もチームの議論で全員が合意しかけた時に堂々と待ったをかけてくるのが津田リーダーだ。

究極の人たらし

京信では3年の下積みののちに営業へ配属。最初の支店で結果を出した津田は、現在QUESTION6Fにある河原町支店に配属された。木屋町など京都の繁華街を担当とするこの大型支店においても、半期ごとの表彰式でほぼ壇上に上がることになる。

河原町支店では、当時「死のエリア」と呼ばれていた営業エリアを渡された。資金の借り手がいなそうな営業的に厳しい場所という意味だ。「それは他人が言ってるだけ」と足しげく現地に通い、自分の目で見て自分の頭で考えた津田。気づいたらキーマンと関係を築き、可愛がられ、見事そのエリアでも営業成績を残すことになった。

「なんかいい人とつながって、なんか結果になったんですよね」とへらへらと語るのは、実に津田らしいと思う。津田が営業数字に躍起になっている姿を想像するのは難しい。人の良いところを見つけようとするのが基本姿勢。人を好きになり、好かれ、結果につながっていく。これをただナチュラルにできる「究極の人たらし」と名付けよう。

営業の極意を聞くと、おこがましいと笑いながら、仲よくなる人を間違えないこと、と言った。どこまでナチュラルでどこまで考えているのかが外からは見分けがつかない感じもまた、津田らしさであると思う。

金貸しとしての「解けない違和感」

2014年、営業と並行して「企業再生班」という部署に配属された。その後の数年が、津田のキャリアにとって転換点となる。

企業再生班の役割は、業績が悪化した企業の事業再生支援を行うことだ。具体的にはこれまでの債務を整理し借り換えなどを行う、いわゆるリファイナンスの実行が主な内容だった(この頃、金融政策の影響で日本全体でリファイナンスが盛んに行われていた)。

ある時、津田は「再生計画説明会」の場にいた。業績が悪化したある企業のリファイナンス計画をまとめ、債権者が集まった場で再生計画として説明をしたのだ。津田が「A社は◯◯な会社であり、今後はこうすべきである」という説明をしたその時。

「お前に何がわかんねん!!」

会議室に怒号が飛んだ。当時70を超える経営者は、まだ30そこらだった彼をその場で叱りつけた。

ビジネスとしては、お金を貸している金融機関が、再生計画を企業のために立ててあげているのだから何も悪くないのかもしれない。でもビジネスの前に、人として間違っていたと思った津田は心からの謝罪を行った。

「なんでも分かってるつもりになっていた。経営者がどういう思いで事業をやってきて、どれだけの苦しみが背景にあるのか。しんどいときは、プライベートの感情面も理解しなきゃいけないのに…」津田は振り返る。

当時、企業再生の仕事と並行して、融資営業の仕事も同時に担当していた。融資は「いい話」が多いのに対して、企業再生はその逆。「お金を貸す」ことと「貸した先の悲惨な未来」を同時に見ているような状態だった。

「お金を貸すことの責任」を強く考えさせられた。安易に貸すことは無責任、というかそもそもお金を貸すのはよいことなのか?一方で、金利商売の金融機関はそれで儲けを出している。金融機関としてのモラルとビジネスの矛盾。この「解けない違和感」はその後の津田の行動を大きく変えることになる。

お金がいらない世の中を目指すバンカー

『エンデの遺言』という本がある。世界中で読まれる『モモ』の作者としても知られるドイツの児童作家が残した遺言テープを元に制作されたもので、サブタイトルには「根元からお金を問う」とある。上述の「解けない違和感」への答えの方向性として、津田はこの本を挙げる。

「エンデの遺言では、資本主義だけでまわっている世界では人は孤立していく、と書いている。そう思う。お金を介することで関係が絶たれてしまうことがある。お金がなかったとしても、人間関係があって安心な世界を目指したい」

人間関係、もっというと「頼り合いの余地」みたいなものが、地域の豊かさを考える上で大切だと津田は考える。仮に自分が今死んだとして、子供達に残るお金が十分かと考えると不安だ。でも、頼れる人たちがいれば、安心して死ねる。そうした人間関係が、京都のまちにつくられていくことが、津田が京信の職員として、そしてQUESTIONの副館長として見据える未来だ。

父親の期待する道でもなく、金融機関の職員として求められる道でもなく、常に逆張りをする反逆のバンカー。これからQUESTIONそして美食倶楽部でどんなことをしていきたいのか。

「いままだ世の中で起きていないことを妄想してアクションする人たちとつくる、”新しい物語”。それと、すでに顕在化しているさまざまな課題と向き合いその解決を目指す”課題解決の物語”。この2つの物語をつくっていきたい」

これから彼がつむぐ物語に、是非注目をお願いしたい。

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