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話している相手は「犬」だと思おう

最近、言葉を発することが怖いなぁと思うことがある。おそらく、テレビやSNSで誰かの発言が大勢の批判を受けたり、さらには、誤解を解こうと弁明すればするほど反感をかったり、というのを頻繁に見るからだろう。「炎上」という言葉の元の意味の存在が薄れてしまうほどだ。

今朝もあるタレントが、自身の番組内で、今SNSで炎上している自身の発言について出演者たちと討論していた。饒舌な彼の説明の言葉は周囲を納得させるどころか、火に油を注ぐかのごとく、スタジオ一体を炎の海と化してしまった。

私も昔から自分の考えを伝えたい時は多弁になってしまう性質タチだ。想いを伝えたいと強く思う時は、たいてい相手を自分の意のままに従わせたいという状況にある。思い返してみれば、これまで多弁でうまくいったことなどない。どれだけ言葉を並べても自分の気持ちを正確には伝えられないし、言葉数が増えれば増えるほど相手は混乱し、余計こじれたものだ。

常々、「言葉」は気持ちを正確に伝えるツールとしては優秀ではないと思ってきたが、それを裏付けてくれる『メラビアンの法則』というものを見つけた。それによれば、感情や気持ちを伝えるコミュニケーションをとる際、印象決定に影響を与える情報は、①見た目、しぐさ、表情、視線などの「視覚情報」が55%、②声の質や大きさ、話す速さ、口調などの「聴覚情報」が38%、そして③番目に言葉そのものの意味、会話の内容の「言語情報」が7%、であるらしい。人は「言葉」を信用していないということだ。それなのに言葉に過敏になる

その点、犬はいい。犬と話しているとどこか大らかでいられる。なぜなら「犬は人間の言葉を理解しない」を前提にして話すので、使う言葉は超シンプルになる。その分、表情や動作に着目し犬の心情を探る。それでも相手は犬だ。「人間には犬の気持ちはわからない」を前提にしているので自分なりに解釈する。都合のよい解釈もあるかもしれない。けれど、正確には分かりっこないのはお互い様だから気を揉む必要もない。嬉しそうならそれでいい。悲しそうなら「そうかそうか」と慰め寄り添う。犬との会話はそれだけだ。それで充分なのだ。

人には「言葉」という便利なツールがあるが、実はそれほど役に立つものではないということを、私たちは理解すべきだ。犬に話すように人と対話すれば、「炎上」という言葉が火事の現場以外で用いられることはなくなると思うのだが。(1000字)

犬と歩けば_no.8_犬と話すように_写真


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