やきとりけいちゃん⑦『開店ビフォアー』
「けいちゃーん!」
月曜日、週始めの午後。
買い出しを終え店に向かうけいちゃんを見かけたので、遠くから声をかけた。
年齢のせいもあるだろうが、ずっと立ち仕事を続けていた疲労から足を悪くしていたけいちゃんは、重い荷物を持つとすり足でゆっくりとしか歩けない。
牛歩戦術というやつをTVで見たことがあるが、まさにそんな感じである。
何度か荷物を持ってあげようとしたが、頑として聞き入れなかった。
全く頑固な人である。
「おう、後でな」
「よろしくねー!」
今日はけいちゃんに、ある頼み事をしていたのだった。
オープン前の16時。約束通りの時間に店に顔を出す。
「おう、来たか。じゃ、始めるか」
けいちゃんはそう言うと鍋を火にかけ、さっき買ってきた仕込み用の食材をまな板の上に並べ始める。
そう、頼み事とは他でもない。けいちゃんの醤油ダレと、にんにくダレのレシピを教えてもらう事になっていた。
それと、焼鳥を焼かせてもらう。
勿論、焼く分は自分で注文して自分で食べるものだけだが。
普通、店の味は企業秘密。
客に教えるものではないし、それは重々承知している。
何故、そんな無理なお願いをしたのかと言うと一応理由があった。
けいちゃんの閉店が決まったからだ。
資金繰りに関しては、随分前に解決していた。
俺の知り合いが知恵を貸してくれて、なんとか運転資金を捻出できるようになっていた。
そう、閉店の理由は
【開発による立ち退き】
が決まったからである。
当初は、度々説得に来る開発担当者に全く耳を貸さなかったけいちゃんだったが、相手も今回は本気のようで、最終的にかなりの額を提示してきたらしい。
その金額を聞いた我らがけいちゃんは、、、。
あっさりOKしたのだそうだ(笑)。
上機嫌の本人からその話を聞いた我々常連は、最初は口あんぐり状態で
「そりゃないぜ、けいちゃん…」
と、思ったのであったが、まあ年齢や今の経営状態を考えれば仕方のない選択であると思い直し、残り数ヶ月しか味わえないこの店の酒とツマミを惜しみながら楽しむ事に気持ちを切り替えた。
そこで思いついたのが、店を畳む前にこの店の味を覚えておきたいという事だった。
別に焼鳥屋を始めるつもりはないのだが、慣れ親しんだこの味がいずれこの世から消えて無くなってしまうような気がして、寂しくなってしまったからだ。
それで、先週末にやんわりお願いしてみると、2つ返事でOKしてくれた。
むしろ喜んでくれたので、こちらも安心して習うことにした。
と言うわけで、本日のけいちゃん料理教室が開始。
詳しいレシピは敢えてここでは書かないが、丁寧に説明しながら実演してくれたひと通りの手順と分量、、、いや目分量とを自分なりに数値化してメモに取りながら習っていく。
なるほど。
毎日食べていても、やっぱり素人の舌ではわかっていない事が多々あるものだな。
あっという間に、醤油タレとニンニクダレが完成。
「じゃ、焼いてみるか?」
「うん。んじゃ、タン、ハツ、ナンコツ、豚レバ、モモを塩で、つくね、シロ、カシラ、ネギマ、モモをタレでもらうよ」
「おぅ」
と、伝票に注文品を書き込み、冷蔵庫から取り出した串を俺に手渡す。
それを焼き場の言われた場所に並べていく。
なるほど。
場所によって炭火の強弱があるから、焦げやすいものや火の通りにくいものといった、ネタによって置く位置が違うのか。
塩の振り方、串の返し方、タレのつけ時などなど、教えられた通りにやろうとするのだが、これは…思ったより相当難しい。
味付けも均等にはならないし、少しタイミングを間違えると、あっという間に焦げてしまう。
しかも、ここの焼き台はけいちゃんが発注を間違えた為に串の長さよりかなり大きなサイズなので、鉄下駄で火から串を守りながら火鋏でひっくり返さなければならない。
うーん…こんな発注ミス対応に特化した特殊な技術を覚えたところで、果たしてどこかで役に立つのだろうか?
という、根本的な疑問が頭をよぎるが、そうしている間にもネタに火が通っていくので再度集中する。
あともうひとつ、このバカでかい焼き場の前、クソ暑いんですけど…。
あの真夏の灼熱の店内で、よくこんなところに立って何時間も串を焼いていたなこの人は。
やっぱり、人間じゃない。
などと、またしても余計な考えが頭をめぐり始めた頃。
「ん、もういいんじゃないか?」
けいちゃんが頃合いを知らせてくれ、なんとか焼き上がった串を皿に並べてみる。
明らかに焼き過ぎのモノもあるが、なかなか悪くない見た目のモノも数本ある。
「食ってみな」
と言われ、一番マトモそうな見た目のモモタレを口に運ぶ。
「あー、旨…くはないけど…でも、旨いわこれ」
「おう。自分で焼くと旨いだろ?」
「うん、味も焼き加減もなんか違うけどね。わははは」
「そうだろ。俺も最初に自分で焼いた串が一番旨かったよ」
ちょうどオープン時間も近づいてきたことだし、ここからは客に戻って自分の焼いた焼鳥で晩酌を始めようと、客席に回りかけた時に北野がひょっこり現れた。
「あれ?鳴海さん何やってるんですか?」
「やあ、北野くん。今日は早いね。ちょっと焼鳥を自分で焼いてみたくて、体験させてもらってたとこ」
「え?お店継ぐんですか?」
「まさか。覚えておきたいなってちょっと思っただけ。よければ俺が焼いてやろうか?」
と、冗談交じりに言うと、意外にも北野は乗ってきた。
「うーん、じゃあ、せっかくだから焼いてみてもらおうかな。皮と豚バラをタレでいいすか?」
マジか。
「大将、焼いていい?」
「おぅ。北野がいいならいいぞ」
と言うわけで、さっき覚えた手順を思い出しながら、北野の注文の品を焼き始める。
えーと…
脂の多いネタは焼き台の端の方に置いて、頻繁に返しながら火の通りを見極めて、タレにくぐらせ2度焼きをして…えーと、それから何だっけ?
なんとか完成。
皿に盛り付け、北野の前に差し出す。
「これ…焦げてますよね?」
「うん、焦げてるね」
恐る恐る豚バラを口に運び、串先の1つだけ歯でむしり取り、モグモグと食べる北野。
「苦い…」
「うん、焦げてるからね。え?逆に苦くない焦げとかあるの?」
「いや…無いですけど」
「わはは。すまん、俺が奢るから勘弁な」
「え?奢りですか?じゃ、文句ないですー」
途端にパクパクと食べ始める。
現金な男だ。
さて、もう開店時間になるし、俺も客席で飲むとしよう。
カウンターを出て、北野の隣に座り烏龍ハイを注文。
さっき自分で焼いた焼鳥をアテに晩酌開始。
自分で焼いた焼鳥で晩酌できるとは、なんとも贅沢な経験をさせてもらえたな。
けいちゃんが焼き場に立つと、焦げた焼鳥を食い終えた北野がすかさず注文をする。
「マスター、皮と豚バラをタレでお願いします」
「なんだ北野くん。さっきと同じものを頼むとは、俺に対する嫌味かなんかなの?」
「いやいや…そういうつもりではないんですけど、せっかくだから食べ比べてみようかなって」
「まあ、そりゃあちゃんとしたのを食べたいよな。よし、食べなさい食べなさい」
数分後、北野の前にけいちゃんが焼いた串が差し出された。
しばし、その皿を見つめたあと北野が小さな声で呟いた。
「…焦げてますよね、これ?」
「うん、焦げてるね」
会話が聞こえたのか、けいちゃんがバツが悪そうに言い訳をする。
「今日はあれだ…鳴海ちゃんに教えるんで張り切って炭を入れたから、火が強すぎたみたいだ」
早くから来店したのに、焦げた焼鳥ばかり食べさせられている北野は気の毒だが、言うべきことは言っておこう。
「北野くん、これは俺の奢りじゃないからね」
「わかってます」
焼鳥けいちゃんの営業も、残すところあと数ヶ月。
悔いが残らないように、食べたいものを食べ尽くそう。
そして、北野がなるべく焦げてない焼鳥を沢山食べられますように。
やきとりけいちゃんの夜は今日も煤けていく。
※この文章はフィクションです。本文中に出てくる店名及び個人名は架空のものであり、実在する名称とは一切関係ありません。
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