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「自分を犠牲にせずに、責任感を持つ」ということを『矛盾』にしたくない。

 『情熱大陸』『プロフェッショナル〜仕事の流儀』

 色々な分野の仕事で、いわゆる『一流』と呼ばれる人の仕事の仕方、生き様を撮ったドキュメンタリーです。

 そういう番組を観るのが好きです。私はいつも自動録画しています。

 見ると勇気がもらえます。「自分も仕事頑張ろうかな」って思えます。

 ただ、ちょっと思うことがあります。

 ビジネス本や自己啓発本には「一流と呼ばれる人は、みんな仕事を楽しんでいる」とよく書いてあります。そして思います。
「自分ももっと心を入れて、楽んで仕事がしたいな」と。

 上記の番組に出てくるいわゆる『一流』の人。確かに、仕事を楽しんでいる人はとても多いです。

 ただ、家庭やプライベートを犠牲にして、仕事に没入しているような人も、それなりに多い気がします。いわゆる『責任感』が強すぎる人、というのでしょうか。

 いつも愚痴やため息を吐きながら、仕事ですごい成果を出し続ける人。それはそれで「かっこいいな」と思ったりはしますが、最近「そうなりたいな」とは思わなくなってきました。

 決してバカにはしてませんし、そういう人たちありきで日本社会が成り立っているという現実も分かっています。

 ただ、そういった『責任感』にはどうしても『大きな自己犠牲』がつきものの気がしてならないのです。ハードワーカーだった自分の過去を投影しているだけかもしれませんが。。。

 「自己犠牲の伴わない責任の持ち方はないのかなあ」とずっと考えています。組織でそれを言ったら『無責任』と言われてしまうかもしれませんが。

 仕事でも家族や友人とのコミュニケーションでも、何でもそうですが、『自分も相手も大事にする』ということは、和を重んじる日本社会では、それなりにハードルが高いように思えます。

 『自分を大事にしつつ、周りも大切にしている。職場でも家庭でも認められ、評価されている。その上、楽しそうな人』というのは、今のところ、私の周りでは見たことがありません。私は、社会人になって10年ほど経ちますけれども。

 職場で評価されている人は、どこかしら必ず『割と大きめの自己犠牲』を伴っている気がしています。私のいる業界が遅れているだけなのかもしれませんが。

 ただ、周りがそうだからといって、自分がそこを諦めていい理由にはならないと思っています。

  『働き方改革』というものに期待。日本社会が変わっていくことを願いながら、自分は自分のすることをする。

 『大きな自己犠牲の伴わない責任感を持てるようにする』

 『自分も相手も大事にするコミュニケーションができるようにする』

 『仕事を楽しみつつ、プライベートも大事にできる』

 そういう生き方、働き方ができるような地盤は自分の中に作っておきたいなあ、と思う今日この頃。


 ……さて、今日はせっかくの休日だし、これからのんびりと楽しく……持ち帰り残業でも進めるかな。


  慣れちゃいかん。慣れちゃいかんよ、自己犠牲には。


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