Wheels and Dragons(同人誌)感想

Wheels and Dragons (同人誌。発行元:サ!脳連接派)

 ドラゴンカーセックス(DCS)のアンソロジーの感想である。致命的なネタバレはないつもりだが、ぎりぎりまで踏みこんだところはある。

 まず、DCSとはなんぞやという方のために解説すると「ドラゴンが自動車と交尾」する題材だ。2004年の5~6月にジョン・マーテッロが描いた3枚が起源だという。2007年ごろ、この「起源」がイラスト投稿サイトに転載されて大いに話題になり、悪ノリして追随するイラストが描かれ、いわゆるネタ的に消費された。
 時は流れて、なぜかこの2018年夏、DCSを題材にとった小説同人誌が本邦で発行された。おどろくべきことに18歳未満のよい子でも買える。確かにドラゴンが自動車と交尾をする話ばかりだが、だいたい野生動物観察番組みたいな描写なのでセーフである。逆に官能を主目的として購入するのはおすすめできない。
 そもそも本書は、自動車がない時代と自動車黎明期が舞台の作品が過半数を占めるため、本格DCS(?)を求める人にはいささか不向きかもしれない。参加者が素材の調理法を競う、変格DCSの本だと考えたほうがいい。実際、オリジナル創作小説集として楽しめる。色数の少ない表紙(by 孫太夫重盛)も非常にスタイリッシュだ。

 さて本書は、王朝ファンタジー2作で幕を開ける。
 さんかく「五爪の竜」「ニライカナイより」の舞台は、それぞれ古代中国と琉球だ。ドラゴンではなく東洋の龍が登場し、龍が襲うのも自動車ではなく牛車や馬車だったり、舟だったりする。
 半笑いでDCSを見物に来た人は、流麗で物悲しい語り口にいきなり面食らうこと必至だ。チャイナ・ミエヴィル・トリビュートでも際だっていた叙情的な作風を2篇立て続けに食らえば、さすがにどんな読者でもチャックを上げ、襟を正して読んだほうがいい本だと気づくだろう。親切な構成である。
 本書には上記の2篇の他に、ボリュームの大きい作品が3篇と、コメディ要素が強い掌篇が2篇収録されている。後者2篇(kasorin「私の優しくない運命」と渡辺零「思い出をありがとう」)も、豪腕で題材を片付けつつ、ラストにヒネリ(つっこみどころ)を用意していて手堅いが、今回はシリアスな架空歴史もの3篇にしぼって内容を紹介したい。

 sanpow「竜とダイヤモンド」は英国エドワード朝風の世界観だが、他の大陸からやってきたドラゴンや鹿人なる種族が存在する。
 大衆紙の編集長とグルになって盗みを働く語り手は、貧乏貴族のお坊ちゃんとその飼いドラゴンに出会い、ドラゴンが生み出すダイヤモンドを狙うが……。
 品良くすがすがしい、正当派の冒険譚である。出だしでおとぎ話と明言されているとおり、once upon a timeで始まり、happily ever afterで終わる。ドラゴンの生態の解明と、登場人物たちのドラマが並行して進むのだが、なんといってもドラゴンの奇怪な生態がつまびらかに語られるところが楽しい。ドラゴンの繁殖にまつわる謎が、お坊ちゃんの知的興奮と誇りを満たすクライマックスにつながるところも良い。さすが第6回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞者、話のテンポがずばぬけていた。今後もオリジナル作品を楽しみにしたい。
 あと、もうひとつ特筆すべきは伏線回収の巧みさで、各登場人物の事情が開陳されるにつれて事件の全貌も明らかになっていく。最後まで読めば、語り手とお坊ちゃんとドラゴンの3者が車に同乗している写真という、冒頭で出てきた品物のいわれが理解できる。幸福な大団円に心が温まった。
 ところで作品の時代背景について、あらすじでは「エドワード朝そっくり」と述べられているものの、作中では明言されていないようだ。以下はネタに抵触しそうなので一部ぼかして書くが、大衆向けタブロイド紙の時代(1896年 DailyMail創刊)、極刑は廃止されたもののある関係が犯罪扱いされる状況(1889年 クリーヴランド街スキャンダル、1895年 某作家の裁判が結審)、女王が存命(ヴィクトリア朝は1901年まで)という点をみると、むしろヴィクトリア朝がモデルでもおかしくはない。ただし、取材用小型カメラの普及年代を考えると、もっと後代(1920~30年代)でもありえる。そんなわけで、私はエドワード朝そっくりとあえて言及された意味には興味があるが、野暮かもしれない。20世紀前後がモデルという理解で読んで十分だろう。

 山本情次「憎悪の器械」も英国が舞台で、こちらは「竜とダイヤモンド」より少し前の年代を想定している。よりファンタジックで、魔術があり、英国にドラゴンが棲息する世界観だ。
 本作におけるドラゴンは意志の疎通がかなわない害獣だ。魔術を学んだ主人公は、ドラゴン根絶に生涯を捧げた友人ギリアムを回想する。
 テクノロジーの発達(工業化)によって、効率のよい「大量処理」が可能になっていく時代というのがキモである。主人公は、アロー戦争に相当する戦いに従軍し、自軍のために魔術を駆使する。一方のギリアムは、ドラゴン被害増の原因をつきとめ、習性を利用した冷酷な罠を発明する。大量・効率的・機械的なイメージのむごさが、結末のギリアムの動機=彼が題名にある「憎悪」をどのように晴らそうとしたかという解答につながる。また、安定的なドラゴン殺しが可能になり、死体のパーツが恒常的に市場に供給されるようになるくだりも、架空歴史ものが好きな人には楽しいポイントではないだろうか。筋道が通った架空の19世紀を書くこと、DCSテーマを消化すること、ミリタリーやバトル要素を書くことを目論んでそれぞれ達成している印象だ。

 最後の作品、発起人の大戸又「Dragon Rules Everything Around Me」では「北米にドラゴンが棲息していた」という設定を核に、現代アメリカが夢想されている。ドラゴンがいるifが、宗教観や歴史や携帯電話のアプリに至るまでに影響するさまが書かれている。
 フリーランスの野竜撮影者・観察者オビー・ワイルズは、大手飲料会社ホットブレス社主催の自動車レースに同行し、ドキュメンタリー映像を作る仕事を請ける。それはドライバーたちが4つの州都からスタートし、道中でドラゴンを誘惑しながら、フォー・コーナーズ(ユタ、コロラド、ニューメキシコ、アリゾナ4州の境界が交わる一点。ネイティヴ・アメリカン居留地)へゴールするという危険なショーの構想だった。
 語りはユーモラスだが、みどころはいわゆる《人種のサラダボウル》と《人種のるつぼ》を描くチャレンジングな試みだ。読みながら調べて、私は本作の背景にあるとおぼしき、いくつかの事実を確認した。
 1.前述のDCSの起源、ジョン・マーテッロは「絶滅しかかっているネイティヴ・アメリカンの末裔」を名乗り、自作マンガには部族の伝承を要素として取り入れていると主張する。
 2.野竜を観察・追跡するドラゴン・ウォッチャーはstorm chaserとかtornado hunterと呼ばれる人たちが元ネタではないか。日本語にすると「竜」巻の追跡者。
 3.フロリダ州のネイティヴ・アメリカン、セミノール族は観光業とカジノ業で稼いでおり、彼らの組織は2006年にハードロックカフェを巨額で買収した。ハードロックカフェは英国に1号店が、カナダに2号店が作られ、約40カ国120店舗以上でアメリカ料理を商うチェーンである。つまりアメリカではない土地でアメリカという夢を売るところから始まった店だ。
 4.登場人物の名前に注目。イルメラは姓名からしてドイツから移民してきたユダヤ系だからこそ、実家が福音派だったのではないかと推測できる。また、姓とカトリック系と竜オタクというところから、読者が主人公の外見をどう想像するかというしかけは、奇遇にも「私の優しくない運命」のリフレインにもなっているし、小説だからこそできるもの。

 ルーツが入り交じることもあれば、集団ごとに相容れないところもあり、ともあれ共存してやっていく話。結末は大変ハッピーなアーバン・ファンタジー。音楽や映像作品への言及が多いので、映像として摂取してみたい。

 まとめ:こうして1冊読むと、DCSは執筆者の書きがいがある、たいへん優秀な題材だった。読んだ人は誰しも、ここで書かれなかった時代や土地のDCSに思いを馳せたり、自分なりにドラゴンが車とつがおうとする理由を考察することだろう。企画の大戸又さんの目のつけどころに拍手。

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