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〝イケハヤに騙されて〟「父さんな、会社辞めて文筆一本で食っていくんだ」をマジでやった話

2016年前後の「ブログ飯」

フリーランスの文筆家になってから4年くらい経ったのだけど、「会社を辞めたきっかけは?」ときかれたときはよく「イケハヤに騙されまして……」とこたえている。
じっさいはぼく個人の選択にイケダハヤトさんは関係ないしゴリゴリに敵意を含んだジョークなんだけど(ぼくはかれに否定的な立場をとる)、ぼくがフリーランスになった2016年というのは「ブログ飯」が、特にはてなブログ界隈を中心にかなり流行っていた時代だった。いわゆる「プロブロガー」の台頭だ。
当時は、「父さんな、会社辞めてブログ一本で食っていくんだ」と脱サラした中年男性や、就職活動をやめ卒業後に「新卒フリーランスのプロブロガー」という進路を選んだ大学生がはてなブックマークですさまじいバッシングを受けていた。このとき、イケダハヤトさんをはじめとする多数のフォロワーを持つプロブロガーはバッシングに対する批判をした。
古い慣習にとらわれて他者の挑戦の足を引っ張るなとかそういう主張で、じっさいにイケダハヤトさんなんかは就活以前に大学進学についても「オワコン」とみなしていた。そしてその扇動にのっかって大学中退をえらぶ若者もちらほら現れたらしく、インターネットテクストのありかたが現実世界に及ぼした影響として非常に大きなものにおもえる。
イケダハヤトさんはライフスタイルの新たな選択肢を与えるという超重要な仕事をしたと同時に、〈煽り〉というスタイルゆえの無責任さによって新たな困難もまた振り撒いた(〈煽る〉ことでひとの行動を促し、じぶんに有利な市場をつくろうとするかれのスタイルを肯定できない)。これらを踏まえ、かれの切り開いた道に追従する行為を「イケハヤに騙される」とする揶揄も一部でみられ、本記事の「釣り」であるタイトルはこのことへのアイロニーに由来する。
いろいろあるけど、2016年前後のブログ界隈は「既存の社会構造へ争うものとして〈ブログで生きる〉」とかそういうオルタナティブな生存戦略を作っていこうぜ!的な雰囲気が色濃くあって、「サバイブするスキルとしての〈文章〉」っていう価値観に勢いがあった時期だった。

会社を辞めた理由

ぼくの話をすると、2016年の1月に長男が誕生し、半年後に妻の職場復帰と同時に会社を辞めた。会社を辞めてからはフリーライターといえば聞こえがいいのだが、いわゆる「いかがでしたか?ブログ」やSEO記事を低価格で量産する下請けライターの仕事とブログのアフィリエイト収入で稼いでいたような文筆家としての底辺層に属していた。

仕事を辞めたのは子育ての都合によるものが大きい。
会社は辞めたかったし文章の仕事にいつか本腰を入れたいなとは会社に就職した瞬間からおもっていたのだが、子どもが生まれると「ぶっちゃけぼくが会社に勤めて働いても家族としてのメリットがない」ことが明らかになった。大企業に勤める妻と、中小企業に勤めていたぼくの収入格差だとおもってくれたら話ははやい。お互いに通勤に1時間ほどかかっていたし、ぼくは残業代はみなし(固定給に組み込まれているのにめちゃ安い)、月の目標達成インセンティブもおこづかい程度で、「夫婦のうち、仕事を減らすならどっちか?」なんて話し合いをするまでもなくぼくにきまっていた。いやそれ以前に、会社の仕事についていえば妻のほうはずっとやりたかった仕事に就いているのに対しぼくはやる気ゼロで勤めており、「(小説の創作以外は)妻の仕事を優先させる」というのが結婚したときからあった。()の条件について理解が得られていたのはなんともありがたい話である。

「ブログ飯」をはじめる

そんなわけで会社をやめた。
そこから家事育児のあいまにコツコツ文章を書くようになったが、月に出て行く金がエグいことを思い知らされ(税金、年金、各種保険、奨学金の返済など固定費)、マッハで貯金が溶けていったので、2010年ごろから運営していたブログ(はてなブログ)の収益化に力を入れるようになった。

なぜブログかっていえば理由は複数あって、まずあるのはライター業ではほんとに雀の涙とも呼べないくらいの収入しか得られなかったこと。
村上春樹は「ダンス・ダンス・ダンス」でいまで言うWEBライターのような仕事を「文化的雪かき」といったのだけど、ほんとうにこれは言い得て妙だ。だれもやりたいとは思わないけどだれかがやらねばいけない仕事であり、記事にライター名のクレジットなんてでないし、仕事によりどんだけの効果が出ているのかも教えられないまま、ただ大量の広告原稿を1文字1円以下の原稿料でこなしていくだけ。カフカの小説みたいな世界観の仕事だ。

もうひとつは、どうせ書くなら好きなことを書き、それを金にしたかったから。これは他のブログ飯ブロガーと比べても多数派に入る動機だとおもう。ぼくの場合、書きたいものは小説やそれに関することだ。小説は新人賞に応募していたのでめったにブログや投稿サイトには掲載しなかったし、あんまりするつもりもなかった。小説に関してはなんかストイックなところがこの頃あって、「別に大勢に読まれたいとか売れたいとかなく、ごく一部の友だちに読んでもらえればそれでいい」とおもっていた。しかし職業としての小説家はかなり意識はしていて「小説を書いてお金をもらえなければ、じぶんが納得できる小説を書くための時間が足らない」とはおもっていて、焦りもだいぶあった。

それはさておき(話がそれた)、2015年前後あたりから読んでいた文芸ブログがけっこう閉鎖してしまっていたのでその後釜に……みたいな意識はあった。ぼくは当時から純文学文芸誌を好きで読んでいたのだけど、「純文学が売れない」っていう状況は嫌だったし、その原因は「文芸批評が浸透していない(そのため読者が育っていない)」とおもっていたので、文芸のテクニカルなところをしっかり書くブログをつくろうとおもった。

ブログの収益化とはおもにアフィリエイトで、ぼくは会社員時代からGoogleアドセンス、Amazonアソシエイト(これはいまも使っています)、A8.netの審査は通っていた。簡単に説明するとGoogleアドセンスはGoogleに広告枠を献上し表示回数やクリック数に応じた報酬をもらうやつ、AmazonアソシエイトはAmazonリンクを踏んでもらって売り上げに貢献すればお金がもらえるやつ、A8.netは企業広告を通して商品の購買やサービス入会に繋げたらデカめの報酬がもらえる(案件によりいろいろあるんだけど)みたいなやつ、という認識でかまわない。当時のブログのPVは月に10,000PVくらいだったので、まずは「雑記ブログ」としてどんだけ稼げるのか試してみることにした。

ブロガーは文筆家として認知されるのか?

ブログで稼ぐ!っていっても売れるものってAmazonアソシエイトで本くらいしかないので、ぶっちゃけ文芸ネタを中心とした雑記ブログなんて「食える」レベルの収益を出すなんてほぼ不可能だ。
そのことはわりとすぐに(というか本格的にやりはじめる前から)わかっていたので、ぼくはとりあえずブログの認知度をあげようとおもった。「ブログ飯」でだいじなのは実はPVよりコンバージョン(成約率)で、ここにコミットして記事の精度をあげていけば収益は必然的に伸びるのだが、ぼくの場合はブログそのものでかせぐより、「大滝瓶太」として各メディアから原稿依頼をもらえるようにしたかったので、このあたりは他のブログ飯ブロガーとはちがっていたとおもう。

ちなみに文芸ブロガーは文筆家として認知されるかといわれれば、ぼくの場合は「ノー」だった。もちろん、世の中にはブログが話題になって本を出したり雑誌やWEBメディアに寄稿したりするケースはたくさんあるのだけれど、それはほんとうにごく一部の話。WEBメディアに原稿を持ち込んでも、「実績がないからねぇ……」といわれて掲載してもらえなかったり、アホみたいに安い原稿料(1万字書いて5,000円)とか、そういう扱いをうける。小説家になる前は、「オファーを受けて寄稿」なんて一度もなく、すべて原稿持ち込みからの掲載だった。企業からのメールはだいたい「この本をブログで紹介してくれたら本あげます」みたいなナメたステマ会社だけだった。

ちなみに「文筆家をやるならブログは作っておくべきか?」というよくある質問へのぼくの回答は「あるにこしたことはない」だ。
ブログは仕事の実績としてカウントはされないけれど、原稿を持ち込むにしても「こういう書き手です」と知ってもらえる素材のひとつにはなるし、なによりも意外なひとが読んでいるってことがある。
ぼくの場合だと、小説家をはじめたあとに知り合った同業者から「大滝さんのむかしのブログはおもしろくてずっと読んでましたよ」といわれることが何回もあった。ありがたい話である。

PVを稼ぐ(アルゴリズムに読ませる)

PVの稼ぎかたというのは大きく分けて以下のふたつだ。

1:バズらせる
2:検索流入を増やす

このうち収益に適したPVというのは圧倒的に「2」であり、バズというのはじつは収益にあんまり貢献してくれない。これはちょっと考えればけっこう当たり前な話で、そもそもWEB記事というのは「必然的に発見される」設計になっているからだ。
とりわけキーワード検索はそのカラーが強いため、たどりついた記事をきっかけに広告の商品やサービスへの能動的な行動を起こしやすい一方で、「バズ」というのは受動的なアクセスだ。理由があってその記事にたどりついたかどうかはコンバージョンに大きく影響し、この「理由」を突き詰めていくのがアフィリエイトのコツなんだとおもう。
ただ、地道に愚直に真面目な記事を書いていくだけでは検索流入はすぐに増えてくれない。検索流入が増える条件は「検索したときに上位に表示される」ことであり、これに注力したスキルは「SEO」と呼ばれる。高い収益力を持つブログは検索ワードを軸としたSEO戦略を持っていて、「稼げる検索ワード」を発掘できる嗅覚がアフィリエイター(≠ブロガー)としての才能なのだろう。

検索上位をとるために必要なのは、ブログサイトそのもののGoogleからの信頼性だ。どれだけの記事を掲載し、オリジナリティがあり、信頼されているかを検索エンジンは評価していて、ブログアフィリエイトで成果を出そうとするほどその評価アルゴリズムに「文章を読ませる」というカラーが強くなる。狙った検索ワードをどこにどれだけ使うか、1記事の分量は何文字か、どれくらいの頻度で更新すればいいのかなど、Google botの挙動をみながら戦略を立てていく。

「バズ」が役に立つのはブログの立ち上げまもないころだ。
検索上位表示に重要な「サイトの信頼性」は他サイトからの被リンクの質や数で決まってくる。はやいはなし、すでにGoogleから高い評価を受けているサイトからリンクを貼ってもらえると連動してサイトの信頼性が上昇するというもので、学術論文では被引用がその論文の客観的価値とみなされるような仕組みに似ている。「バズ」は収益には直結しないけれど、短期的なPVや被リンクがのぞめるので、キーワードSEOの下地づくりとしてはなんやかんやで役に立つ。
あまり読者を獲得していないブログでバズを狙う方法として一番かんたんなのが「はてなブックマーク」で、だいたいのはてなブロガーはこれで知名度をあげている。3つブックマークがつくと「はてなブックマーク」の新着記事に取り上げられ、これでPVが爆増する。
さらにPVを伸ばしていくとスマートニュースやグノシーにも転載され、そうなると数千〜数万PVぐらいを1記事で稼げる。それをきっかけに他のブログからの被リンクが増え(特に今はなき老舗ニュースサイト「まなめニュース」から被リンクがもらえるとアツい)、他の記事も検索上位に上がりやすくなるという仕組みだ。

この方法で「狙ってバズる」と「検索上位を狙えるキーワードの記事を増やす」対策をすすめていくと、だいたい月に10万PV〜15万PVくらいはいくようになった。また、サブで転職系アフィリエイトサイトもやっていて(100本くらい記事を書いた)、そっちはあんまりうまく行かなかったけど、たまに額が大きな成約がとれたりして、月に5万円〜10万円くらいの収益になっていた。文芸中心の雑記ブログとゴリゴリのレッドオーシャン分野のアフィリエイトなんで、まぁこんなもんかなと。

ブログ飯をやめる

PVが月に10万〜15万PVで、収益が月に5〜10万円、というのは実はそんなに長く維持できていない。調子のってごめんな。たぶんせいぜい3ヶ月くらいだったと記憶している。
というのも、これがブログアフィリエイトのしんどいところなんだけど、記事の検索順位なんて検索エンジンの仕様が変わればどうなるかわからない。けっこう大きなキーワード(=みんながよく検索するワード)でトップ表示をとれていたのに、Googleアップデート後に検索圏外に飛ばされるとか普通にあるし、そうなるとPVも収益もえげつないくらい落ちる。
そのたびに過去記事のリライト、話題が古くなって使えない記事の削除、内部リンクの整備をするのだけど、ブログの記事数が増えるほどこの作業が大変でわりと憂鬱な気分になる。そしてある日、

「これ、だれに読んでもらうためにやってんのかな……」

と虚しくなってブログをやめることにした。実際にやめたのは一昨年くらいで、その一年くらい前からnoteに軸足をうつしてゆっくり引っ越ししたかんじだ。

プロブロガーとオンラインサロン

かつてプロブロガーは「ブログアフィリエイトで稼いで自由な時間とライフスタイルを〜!」的なことをいっていた訳だけど、実際にやってみるとアルゴリズムとのイタチごっこなわけで、「好きなことを書いて金を稼ぐ」なんて生活とはほど遠い。そう思うと、ある程度稼ぎを出したプロブロガーがアフィリエイトからオンラインサロンなどに収益基盤を写した理由もわかってくる。
アフィリエイトで収益をあげるプロブロガーっていうのは「Googleの一存で滅んでしまう存在」でもあるわけで、それはある日突然やってくる。そうなる前になるべくはやく「他者に依存しないビジネスモデル」へと切り替えなければならない。その実権を一番強く握れるのが「オンラインサロン」とか、そういったかんじなのだろう。

社会をサバイブするスキルとしての〈文章〉

2010年代というのは良くも悪くもイケダハヤト、はあちゅう、その他大勢のはてなブロガーによって「文章を書く」というスキルの検証が行われた時代だったんじゃないかとぼくはおもう。
金を稼げないのはやっぱつらい。ぶっちゃけいまのぼくだってブログで稼ごうなんてセコいなぁと思いながらも、Amazonnリンクは踏んで欲しいしnoteのマガジンは買って欲しいし、それで助かっている部分も大いにある。
でもブログ飯がめちゃくちゃ流行っていた数年前、素朴な雑記ブログの書き手だったひとが流行りに便乗してアフィリエイトをはじめ、広告記事や収益報告記事をバンバン書いて月収100万超えて「ブログで人生変わった!」といって会社辞めてブログ教の教祖みたいになっちゃったりしたのを見て、これは何かがおかしいんじゃないか? という疑問を抱かずにはいられなかった。

たしかに2010年代のブログ界隈では「文章を書く=サバイブするためのスキル」という認識が流行した。しかしいざ作家になってみると「文章を書くためにどうにか生きなければならない」ことのほうが切実で、やっぱりぼくは「サバイブ=環境への適合」として文章をできる人間ではないなと痛感した。
もちろん仕事なので、ある程度は依頼主の要望に合わせることができる。というか、これは編集者さんと打ち合わせをしていて思ったことだけど、作家にも編集者にも表現として〈こういうモノを作りたい〉っていうビジョンはあって、表現に向かってたがいのことばを尽くすことには大きな興奮と感動がある。それがあったからブログで「文章」に絶望してしまうことがなかったっていうのはやっぱりあって、生存バイアスでしかないのだけれど「環境への適合」に飲まれないことが自分を自分で助けることにもなる。

それを強く感じるのが「搾取」だ。プロブロガーライフのほか、ネットワークビジネスとかオンラインサロンとか、こうしたものに「食いものにされるひと」というのは「成長」や「自由」や「夢」ということばに弱い。そしてそれはいつだって空疎だ。
やりたいことはないけれどなんとなく現状には不満で、仕事は辞めれるなら辞めたいし、楽に生きられるなら楽に生きたい。そうした誰でも抱くボヤッとした欲望を肯定し、「成長」やら「自由」やら「夢」やらのことばにすり替えてしまうみたいな手口を、一部のインフルエンサーからかんじてしまう。「成長」も「自由」も「夢」も、たぶん生きていくために必要なものなんかじゃなくて、それが必要だとおもいこんでしまうところに落とし穴がある。ないならないで構わないのだ。
いまでこそ物書きの仕事をいろいろもらえていて仕事は順調なんだけれど、もしそうじゃなかったら……とおもうとゾッとする。ぼくだって、だれかの養分になっていた可能性はじゅうぶんにあって、けっして他人事の問題じゃない。

かれや彼女、そしてそこに西野亮廣を加えてもいい。連中はブログやオンラインサロンで「お金がなくても自由に生きていける」「お金から解放されよう」「お金もらって仕事するってのがダサい」と言いつつ、「金が入ってくる仕組み」を作ることに注力していたりして、それは重大な自己矛盾だ。そしてこれはかれや彼女らの「ことば」と文筆家の「ことば」が根本的にちがっているのを示している。

悪質なインフルエンサーたちは他者の思考を遮断し、行動を促すためにことばを使用する。
良い文筆家は他者の行動を保留させ、徹底した思考を促すためにことばを使用する。

ブログ飯文化の10年間を経て、ぼくははっきりとそう思うようになった。

ぼくが作家になるまで話

よかったらついでに読んでいってください。



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作家。まず最初に「たつひこさんのこと。」をお読みください。第1回阿波しらさぎ文学賞を受賞。「たべるのがおそいvol.6(書肆侃侃房)」や「SFマガジン(早川書房)」に短編小説を掲載。連絡先はプロフィール参照。