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乗り物恐怖症

今でも私は赤字でチカチカする120分遅れの文字を見ると足がすくむ。

私が乗り物恐怖症になったのは、もうかれこれ4年も前の話になる。私は、大学時代、実習に通っていたが、実習の経験が私には辛いものであった。しかし学生であった事や「頑張らなくちゃいけない」という気持ちから、無理して通っていた。行きたくない気持ちと反対に、勝手に目的地へと進む電車やバス。もちろん私が乗ったのだが、実習が終わった頃には、バスや電車に乗ると過呼吸が止まらない状況になっていた。

辛い時は、電車に乗っては、一度降りて駅で休憩を繰り返した。

今は症状も落ち着いており、ガムと、水、イヤホンと携帯電話さえあれば、どんなに遠くへだって電車で行ける。

しかしながら、満員電車は別である。特に、人身事故などで急に電車が止まった際の満員電車はすごく辛いものがある。いつ動き出すかわからない電車。それにイライラを抱える車内。人と人とのスペースはなかなか取れなく、そんな空間は、「もう2度とここから出られないのではないか」と私に恐怖体験を再び呼び起こす。

そんな際に、少し座ることができたならば、私の苦しみは大分と楽になる。
私の過呼吸は、軽度のパニック障害と診断されており、時に、目の前が真っ白になる症状を持っている。立っていて目の前が真っ白になるとすごく怖い。真っ暗になるのではなく、目は開いているのに色が消えていき、耳もだんだん聞こえなくなる。

電車で座り、携帯電話で、楽しい映像を見ていると、自分の置かれた状況から頭が離れることができ過呼吸も起こさない。

そんなことから、私は何本も何本も電車を見送り、座って乗車できるようにすることが多い。

しかしながら、私の若者という見た目がそれを許してはくれない時がある。私が何本も何本も電車を送り、やっとの思いで座っていることを知らない人は、「最近の若い人は席を譲らないし、携帯電話ばかり見ている」と思うだろう。

私は、私の立場になって思う。人には人の事情があって、その人にしかわからない苦しみがあるのではないか。と。

この世で一番怖いことは、自分は何事も知っていると思い込んでしまうことだと私は思う。自分は無知であると自覚することが理解に繋がると思う。

この私のしょうもない話を聞いて、そういう人もいるのかと知らなかったと思ってくれる人がいることを願って。

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