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劇場都市TOKYO演劇祭についての個人的報告

■まえがき


どこから話を始めていいのかわからないが、劇場都市TOKYO演劇祭についての続報を書いていきたい。「続報」といったのは、アマヤドリはすでに演劇祭についてのコメントを出しているからだ。2022年1月末に私たちは劇団として演劇祭に留まる旨を宣言し、以来、図らずも沈黙を守る形になってしまった。ただ、その間に私たちの新作本公演があったという事情もあり、作品と演劇祭の問題を一緒くたに論じられたくない思いもあったので、意図して沈黙を選んできた部分もあった。それに、演劇祭の内情を詳しく知るにつけ問題のこじれ方が複雑だということもわかってきたので、勢い、私は対外的には何の報告もせずに3月の下旬を迎えてしまったというわけだ。まずは率直にそのことをお詫びしたい。ご報告遅くなりまして、大変申し訳ありませんでした。

それでは早速書いていこう。……とも思うのだが、話が入り組んでいるためにもの凄く長い文章になってしまった。とてもじゃないが全部には目を通せない、という方もおられるだろうから、まずはいったん結論を言ってしまおう。要するに、アマヤドリは劇場都市TOKYO演劇祭にこれからどう関わっていくのか?


【結論1】アマヤドリはすでに演劇祭参加作品の上演を終えており、授賞式を含め、最後まで演劇祭に参加する。


劇団としては以上のように対応する。このような結論に至った理由についてこれから説明をしていこうと思うのだが、なにせ様々な個人・団体の思惑や名誉が絡み合っており、かなり遠回りをしながらの説明になってしまうことをお許し願いたい。

上記に関連してひとつ確認しておきたい事実がある。それは、演劇祭の実行委員からシアター風姿花伝の那須佐代子さん、並びに、SPACE雑遊の高木エルムさんが外れることになった、ということだ。お二人とも2022年2月1日付で演劇祭実行委員会、及び、同審査員を退任した旨を3月上旬にそれぞれの劇場websiteで発表なさっている。

シアター風姿花伝

SPACE雑遊

ところで、1月末の文章で私はこう書いていた。


――演劇祭に対する疑義を抱えつつ、今なおアマヤドリが辞退の決断を留保しているのは、ひとえにシアター風姿花伝さんとの信頼関係によって、です。(中略)少しでも演劇界に明るい話題を提供したいというお気持ちから今回の企画が立ち上がったものと私は理解しております。そのお気持ちに対しての信頼は一貫して揺らいでおらず、それが演劇祭への参加を辞退せずにいる理由です。

「劇場都市TOKYO演劇祭」への参加について


このスタンスからすれば那須さんの実行委員退任に伴ってアマヤドリも演劇祭を辞退しそうなものだ。けれどアマヤドリは最後まで残るという。どういうことか。わかりづらい話で恐縮だが、那須さんが実行委員を退任されたからといって、シアター風姿花伝が劇場として演劇祭から撤退したわけではない。事実、アマヤドリはシアター風姿花伝で上演した作品によって演劇祭に「参加」しているが、そのことを那須さんも前向きに支持してくださっている。私たちは揉めたり、連絡できない関係になったりはしていない。那須さんが退任し、アマヤドリが演劇祭に残る、という一見チグハグに見える対応も両者の間では合意が取れている。那須さん、高木さんの退任経緯については後に詳述したい。

本文に入る前にいくつか整理しておきたい。まず、私は以下の文章をアマヤドリの主宰としてではなく、広田淳一個人の責任において書く。なぜと言えば劇団内でもこの演劇祭についての意見、スタンスは割れており、私の意見に全員が同調しているわけではないからだ。もっとはっきり言えば、演劇祭に対する広田のスタンスには明確に反対、あるいは、理解しかねる、という立場の劇団員も複数存在しており、劇団としての意見をひとつに集約することは実際上、不可能なのだ。それで構わない。私はこの種の問題については意見を集約するよりも、むしろ多様な考えが併存したままの集団であった方がいいと考えているからだ。

そんなわけで、以下の文章を私は個人の責任において書く。とはいえ、集団としての方向性が私個人の意見によって左右される部分も大きいので、「アマヤドリと広田個人の意見は別で無関係だ」などという論で劇団として責任逃れをしようとは思わない。ひとまず、劇団内においても意見が割れているという事実をご理解いただければ幸いである。その上で上記【結論1】の方針と並んで広田個人の結論を先に述べておこう。


【結論2】私、広田淳一は劇場都市TOKYO演劇祭を、あくまで演劇界を盛り上げたい一心から出発した企画であると見なしているが、組織の体制、実際の運営能力などの観点から様々な問題があり、次年度以降、現行の体制で演劇祭が継続していくことには強く反対の立場である。


私がなぜこのような結論に至ったかについても、以下の文章において併せて明らかにしていきたい。さて、本文に入る前にもう一点だけ確認しておこう。私がどんな立場で何のためにこの文章を書くのか、についてだ。私は、演劇祭に参加した一人の演劇人という立場から、公共に資する情報を提供するためにこの文章を書いていく。どういうことか。

そもそも2022年1月末の時点、つまり多くの団体が演劇祭からの辞退を表明していく渦中にあって、私は参加団体として演劇祭に残ることを選択した。その際、私はこう書いた。


コロナ禍で苦しむ演劇界を盛り上げたい、という意志がこの演劇祭の根本にあると信じて参加を決めたわけですが、現段階でその意志に決定的な疑義が生じたとは考えていないからです。

「劇場都市TOKYO演劇祭」への参加について


それ以降、つまり、2022年の2月上旬以降、私は残留を決めた団体の代表として演劇祭の運営が適正化されるよう、及ばずながら多少のお手伝いをさせていただいた。適正な運営を阻害しているものはなんなのか? 何をどうすればうまくいくのか? 様々な人と話し合い、アマヤドリからもプロデューサーとして公演に参加してくれていた北川大輔を調整役として派遣するなどして情報の整理に参画し、時には、一参加団体という枠組みを超える関わりを持って、なんとか演劇祭がうまくいく道を模索してきた。

多くの関係者の方と腹を割ってお話ができたお陰で、ああ、そういうことだったのか、と腑に落ちた点も多くあり、また、これが失敗の核心かもしれない、と感じたことや、あるいは、演劇祭が誤解を受けている、と感じたこともあった。これから、そういった事柄について私なりに説明をしていこうと思う。困難はあるだろうが言葉を尽くさなければなるまい。なんといっても現時点でこの演劇祭が抱えている最大の問題点は、圧倒的な説明不足なのだろうから。少なくとも、私は問題をそう捉えている。

ただし、――ここは強調しておかなければならないが、私は誰からもこんな仕事を頼まれていない。このような内部告発的な文章を書くことに関して私は誰にも相談しておらず、依頼を受けてもいない。それどころか、情報公開の許可を誰からも得ていない。つまり、この文章の公表は完全に私が独断で行っていることなのだ。

当然、私はこの文章の内容に関して問い合わせをしたり、曖昧な箇所について確認を行ったりすることが出来ていない。したがってこの文章は私の事実誤認や、勘違いを多少なりとも含む文章になっていくだろう。確実に間違いが含まれると言ってもいい。本来であれば関係者にひとつひとつ事実確認を行い、了承を得ながら文章を作成、発表をすれば良さそうなものなのだが、しかし――。本当に、そんなことができるだろうか? 仮にそうしようとすれば、膨大な時間と労力を費やす割に、様々な利害調整から結局は何も伝えることのできない文章ができあがるに違いない。ならば、たとえ不正確ではあっても、個人的に、全体についての素描を試みる道を選びたい。

だからこそ、今更になって演劇祭を辞めるわけにはいかないな、とも思う。やはり多くの関係者は私を参加団体の人間だと思うからこそ信用してくださったわけだし、説明を聞かせてくださったのだろう。ならば私は最後まで当事者の一人として内部に留まり、演劇祭についてのご批判を受ける立場を保ったままで内部告発者となる道を選びたい。誤解なきよう申し添えておくが、私の知っていることをすべて残らずぶち撒けよう、などと言うつもりはない。関係者の方々のプライバシーや名誉にも可能な限り配慮しつつ、明らかにされたくない事情、明らかにする必要がないと私が判断した事柄については情報を伏せ、その上で公共に資すると感じることに関してのみ書かせていただくつもりだ。

さらに言えば、私が実行委員会の方々と実際に関わり出したのは2022年2月に入ってからのことであり、それは2月1日付で実行委員を退任された那須・高木両氏とは入れ違いになったことを意味している。もちろん、お二方とも沢山お話をさせていただいたが、演劇祭立ち上げ当初の雰囲気、そして炎上騒動の渦中などの様子を、私は何も知らない。それらについての記述はすべて聞き取りと推測に拠るものである。

きっと私はこの文章を書くことで多くの方を裏切ることになるだろう。避けようとしても誰かを貶める結果になり、責めるように響く箇所も出てくることだろう。ご批判は甘んじて受けたい。ただ、私は避けたいのだ。演劇祭が説明不足のまま、大きな不信感を抱かれたままで終わっていってしまうことを。それが関係者にとっても、見守ってくださっている方々にとっても、何よりも残念な結末だと信じている。それでは、前置きが長くなってしまったが、本文に入っていくとしよう。


■演劇祭は、どのように始まったか?

アーツカウンシル東京「大規模文化事業助成」


そもそも、この演劇祭はどのような経緯で始まったのだろうか? 最初のアイディアが誰の心の中で浮かんだのかはわからない。だが、きっかけのひとつに、アーツカウンシル東京が2021年の年末に打ち出した「大規模文化事業助成」へのリアクション、という側面があることはほぼ間違いないだろう。

この数年、というより、コロナ禍以降、都や国をはじめとして様々な行政組織が文化・芸術のために複数の助成プログラムを用意してくださった。私もそういった援助のお世話になってきた人間の一人なので、まずは単純に感謝の念を捧げたい。実際上も、心理的にも、本当にありがたい援助を沢山いただいた。その上で言いたいのだが、この「大規模文化事業助成」にはそもそもスタートからして苦しい部分があったのではないだろうか。

主観に過ぎない話だが、おそらく予算消化への焦り、といった側面がこの事業にはあったものと思われる。それは発表のタイミングからも明らかだ。「大規模文化事業助成」の助成対象は「2022年1月10日以降に開始し」、同「3月31日までに終了する活動」である。それにも拘らず、申請書類の提出締切は2021年11月12日となっている。つまり、3月末に終了する企画への助成を前年11月中旬に募集しているわけで、このスケジュール感はかなり、慌ただしい。

ただ、ここで私は行政側を批難したいわけではない。コロナ禍という非常事態にあって、通常では存在しないはずの予算が組まれ、通常では存在しないはずの助成が行われた。その緊急時における対応にはむしろ感謝している。しかし、応募する側にとっては非常に慌ただしいスケジュール感の中、大型事業の立ち上げを求められてしまったこともまた事実であろう。

ますます主観にはなってしまうが、このあたりの経緯をもの凄く噛み砕いて言えば、おそらく、東京都としても文化助成に使える予算が結構余ってしまったな、と。だから年度末までに何か大きなことをやって予算を消化したいんだけど、でも、公平性の観点からあまり大きな金額を特定の団体に出すわけにもいかない。そこで「複数の団体・プログラムが参加する大型の事業に対し」て、大口の助成金を出すことにいたします! ……と、こういったことを考えてくださったのではないだろうか。いや、知らんけど。私は応募要項にザッと目を通してそう感じた。ともあれ、この助成金の応募要件を満たすべく劇場都市TOKYO演劇祭の企画は具体的に出発することになったのではないか。私はそう推測する。


助成金事業の苦しさ、演劇祭の「卑しさ」


この種の助成を受けたことのある方ならすぐにおわかりいただけるかと思うが、大型の企画で助成を受けるのは簡単なことではない。そして、ノーリスクで出来ることでもない。というのも、申請のために企画書を提出するからには具体的な企画内容が整っていなければならず、このタイトな募集、締切、実施というスケジュールを併せて考えれば、「助成金を取れようが取れまいが、実施するつもりで企画をスタートさせる」しかないからだ。

アーツカウンシル東京の資料によれば、「2022年1月上旬(予定) 助成金交付決定・公示」である。助成金が出る、とわかってから企画を実際にスタートさせたのでは到底間に合わない。つまり、見切り発車で企画をスタートさせ、仮に助成金獲得に失敗した場合には身銭を切ってでも、立案者がなんとかその企画を実行するしかないわけだ。ある程度、そういった覚悟が無ければこの「大規模事業助成」にはそもそも応募できない建て付けになっていた。そう断言してしまっても、あながち間違いではないだろう。

実際、その種の覚悟を実行委員長のシアターサンモール・佐山泰三さんをはじめとして、SPACE雑遊・高木さん、シアター風姿花伝・那須さんの三者はなさっていたという。たとえ助成金が出なくても演劇祭は規模を縮小して実施し、赤字覚悟で三者が出資する形式でやりましょう、と。その思いには、単純に頭が下がる。ありがたいことだな、と感じるし、この一事だけをとっても御三方には演劇祭の件であまり批難を受けて欲しくないな、と願う。

演劇界に身を置く人間としては上記のような感情を抱いたりもするが、こういった経緯がすでにお客様にとっては失望を感じさせるものなのかもしれない。「なんだよ、演劇祭なんていったって結局、カネ目当てかよ」と。この種の失望に対しては、ふた通りにお答えしたい。「いや、違うんです。演劇祭うんぬんは関係なく、そもそもみんな公演をやる予定を立てていたんです、もう、ずっと以前から! だって劇場の予約っていうのは場合によっては何年も前からじゃなければ取れないもので、『大規模文化事業助成』の話なんていうのは完全にあとづけの話であって、それとは関係なく、純粋に公演を打つ予定があったんです!」というのがひとつの答え。もうひとつは、「でも確かに、この演劇祭に限定して言えば、その出発点になんらかの芸術的な理念や理想があったんじゃなくて、まず、助成金ありきで話が始まって、コロナ禍をいかにサバイヴしていくか、っていう極めて現実的な動機で企画が動き出したことも事実ですね」と。どちらも本当の話だ。

演劇祭への参加を決める段階で私はそういった「現実感」に基づく雰囲気を感じていたが、そのことを特段、誇るべきこととも思わないが、恥ずべきこととも感じていなかった。団体が潰れてしまったら、その後の活動はない。まずは生き残って、その後に文化・芸術的な発展を目指そうというのは決しておかしなことではあるまい。はっきり言っておくが、アマヤドリが演劇祭に参加することを決定してから現在に至るまで、援助を受けて活動の原資としたい、つまり、お金が欲しい、という思いは動機の一つとしてずっと存在し続けている。


参加団体が集う


ちなみに、私自身も劇団を主宰する立場として日頃から各種の助成情報にはアンテナを張っており、この「大規模文化事業助成」に関しても一応、把握していた。しかし、応募要件が厳しく、劇団単位ではクリアできそうもないと判断をして、ほとんど検討することもなく早々に諦めてしまった覚えがある。

演劇祭に参加を表明した団体の主宰・制作者のうち、きっと多くの方が私と同様の「諦め」を体験していたのではないだろうか。だからこそ「劇場横断的な演劇祭」というアイディアを聞いた時には、「なるほどその手があったか」という感慨を抱き、芸術的な理念や理想の話というよりは、あくまで現実感に基づいて参加を決めた団体も多かったのではないだろうか。私たちは、そうだった。

アマヤドリに関してもう少し言えば、多分、2021年11月の末ごろだったろうか、那須さんから直接お電話をいただいて演劇祭への最初のお誘いを受けたと記憶している。二本立て公演の本番を間近に控え、バタバタと忙しく過ごしている時期だった。「劇場横断的な形で演劇祭をやるから参加しませんか? アマヤドリの公演は通常通りにやってもらって、それを演劇祭として組み込む形です。賞を出したりして盛り上げて、もしかすると、その他にも援助ができるかもしれません。演劇界も暗い話題ばかりだから何か前向きなことをやりたいね、という話になったんです」といった趣旨のお話だった。

大変ありがたい提案であったし、那須さんには日頃からお世話になっていたので、ふたつ返事でお引き受けした。私が要求しなかったこともあって書面等での説明はなく、のちに簡単な契約書を一枚提出しただけで参加が決定した。今にして思えばさすがにこのプロセスは杜撰すぎたなと反省もしているが、実際、そのような口約束ベースで仕事が進むことも多いのが、この業界の慣例ではないだろうか。つまり、取り立ててこの演劇祭だけが杜撰なプロセスを踏んだわけでもない。私はそう感じている。アマヤドリの面々にも事後報告的に演劇祭参加の旨を伝え、特に反対意見もなく了承された。良かったねえ、ありがたいことだねえ、と、ただ、それだけの反応だった。

勝手な想像ではあるが、多くの団体が上記のようなライトな感覚で参加を決定したのではないだろうか。後に問題になる協賛企業や開催概要などについても特に説明はなく、また、説明がないことに対して私たちも何ら違和感を抱いていなかった。


■協賛、匿名のAさん

Aさんについて


演劇祭はいわば見切り発車的にスタートした、とすでに書いた。したがって委員会の方々には、助成金が得られなかった場合に備えて資金面での保険をかけておく必要が生じたはずだ。そこで、協賛企業を探すことになったのではないか、と、私は推測する。

まずここで、その際に、実行委員会と企業とを繋ぐ橋渡し的な仕事をなさったAさんという方を紹介しておこう。特に役職名があるわけではないし、厳密に言えば実行委員会のメンバーでもない方なのだが、Aさんの果たした役割は決して小さなものではない。言うなれば佐山さんの補佐、つまり、総合プロデューサー補佐とでもいうべきポジションにAさんはいた、と私は理解している。

どうにもAさんについて書くことは気が引ける。というのも、Aさんは当初から一貫して名前を出さずにお手伝いをしたい、黒子に徹したい、影から支える形で協力させてもらいたい、とおっしゃっていたからだ。私は今、いわば意図的にAさんの意に背くことをしているわけで、それに関しては大変、心苦しく、申し訳なく思っている。

私は以前、Aさんに直接、「悪いことをしているわけじゃあるまいし、これだけ大きな働きをされているんだから名前を出されてはいかがですか? その方が対外的にもすっきりしますよ」と提案したことがある。その時Aさんはいくつか名前を出したくない理由を述べられ、最後に、「もともと私は名前を出さない、黒子に徹する、という条件で佐山さんからのご依頼をお引き受けした。それをひっくり返してしまうとなると、参加の大前提が崩れてしまう。どうかご容赦ください」という意味のことをおっしゃった。それは確かに筋の通る話だったし、その他の理由も含めて納得せざるを得ない内容だったので、私としてもそれ以上の提案は出来なかった。

だが、演劇祭の全体像はどうしてもAさんを抜きには語れない。それはAさんが大きな役割を果たしてくださったからでもあるし、また、演劇祭がご批判を招いてしまった部分に関してもAさんの責任は決して小さくはないと思えるからだ。いずれにせよ、佐山さんを中心に実行委員会全体が大いにAさんを頼り、任せっきりにしてしまった部分が多くあったことは紛れもない事実だろう。

Aさんの果たしてくださった具体的な役割としては、たとえば協賛企業との交渉が挙げられる。多くの協賛企業はAさんがほとんど単独で話をつけてきてくださったと聞いているし、また、後にこの文章に出てくる弁護士や、会計を担当している会社などもAさんが紹介してくださったという。いずれにせよ、Aさんの存在を抜きにして演劇祭の内実を正しく説明することは不可能だ。安くない金額の公的助成を受けるのだから、実行委員会の透明性が担保されることも公益の一部だと私は判断し、ご本人の意に背くこととは承知の上で、恐れながら仮名でこの文章に登場していただくこととした。


助成金獲得に失敗した場合に備えて


実行委員会が協賛企業の獲得に奔走しなければならなかった背景には、演劇祭全体が抱える苦しさがあったと言えるだろう。そもそも「大規模文化事業助成」に申請をするにあたっては、複数団体が関わる、それなりに「大規模」な計画を立てる必要があったのだが、――もちろん、助成金というものはいつでも採択されるとは限らない。そのため、実行委員会としては助成金が獲得できなかった場合に備え、自力で企画を実施しても金銭的にショートしない「逃げ道」を、いわば、低予算でも実行可能なプランBを用意する必要に迫られたはずだ。

劇団も同様の事情で苦しむことが多いのでこのあたりの大変さはよくわかる。助成金が出た場合には、プロの外注スタッフを雇う余裕が生じるとわかっていても、取らぬ狸のなんとやらで大勢のスタッフに声を掛けてしまえば、万が一、助成金を獲得できなかった際にはあっさり破産してしまう……。このバランスとタイミングがとても難しいのだ。

今回の場合、準備期間が極端に短いという事情も加わって、申請の結果を待ってすべてのスタッフを手配するという手順はまったく現実的ではなかったはずだ。したがって、演劇祭実行委員の内部、その中枢の仕事をやってくれる人たちは、助成金が取れなかった場合に一番割を食ってくれる人たち、つまり、最悪の場合には無償でも仕事をしてくれるぐらい内輪の、ボランティア精神を期待できるスタッフで固めざるを得なかったのではないだろうか。

演劇祭の内側に多少なりとも入ってみると、実行委員会の実務を担当しているのが極端に少ない人数なのだと気がついた。その少なさの原因は、いつでもプランBの助成金ゼロ・極貧パターンに移行できる形で計画をスタートせざるを得なかった、という、助成金事業ならではの構造的な苦しさにもその一端があったのだろう。この人手不足が炎上騒動が起きた際の対応の遅さ、web更新の杜撰さ、遅れなどを生んだ原因の一つであることは間違いない。


協賛企業との交渉成立、そして


Aさんのご尽力もあっていくつか協賛企業が決まっていった。その都度、実行委員のみなさんにも報告が上がり、情報は共有されていたようだ。当然ながら協賛を獲得することはひとつの成果であり、実行委員会においてもAさんの仕事は肯定的に受け止められたようである。まさか後々になって協賛企業、とりわけAPAホテルさんの企業活動そのものが問題視されることになろうとは、その時点では誰にも予想できていなかった。


■協賛企業が与えた「影響」について


さて、ここでひとつの大きな問題に差し掛かった。演劇祭が炎上騒動を起こすきっかけともなった協賛企業の問題、とりわけAPAホテルさんについての問題だ。

協賛企業にまつわるご批判にも様々なものがあったが、その中でも、企業の選定そのものが間違っている、というご意見に対しては、私は正直、同意しかねる思いがある。演劇祭実行委員の間でも当初、協賛企業の活動そのものを疑問視する声は何も出ていなかったようだし、そのこと自体は一般的な感覚であったと思える。というのも、私は職業柄、演劇関係のイベントでホテルを取ってもらうことがしばしばあるが、そういった際にAPAホテルを取っていただいた経験が複数あるからだ。もちろん、「一利用者としてホテルに宿泊することと、協賛を受けることはまったく違う」とおっしゃる向きもあるだろう。しかし、少なくともAPAホテルの存在そのものを問題視する風潮など演劇界には存在しなかった、あるいは、かなり薄かったと言うことはできるだろう。したがって、協賛をいただくことそのものが問題視される事態を予想できなかったからといって、そのことで実行委員会の不明を責めるのは、いささか行き過ぎという気がしてしまうのだが、いかがだろうか。

確かにAPAホテルさんの企業活動には時にかなり政治色の強いものが含まれており、グループ代表の発言なども含めて様々な批判を受けてきた事実がある。私もそういった批判のすべてが的外れだったとは思わない。批判を受けるべき点は確かにあったろう。では、APAホテルさんの企業活動のうち看過できない点とは何だろうか? また、それを述べていくためにはAPAホテルさんの活動全般についても最低限の検討をしていかなければなるまいが、――そんな議論に踏み込むのは止めておこう。APAホテルさんへの毀誉褒貶きよほうへんに関しては、ご興味ある方にご自身で調べていただきたい。

この問題についての態度をはっきりさせておこう。私は、この文章において特定の協賛企業が過去に行ってきた活動について論じることは一切、控えようと思う。理由はふたつ。ひとつには、そもそも協賛企業の活動内容の是非を問う意志が私には無いということ。主にAPAホテルさんを中心として協賛企業の「性質」、演劇祭とは関連の無い過去の活動内容の是非についても様々に論じられているが、私はこの場面において企業のこれまでの活動について擁護するつもりもなければ、批難するつもりもない。演劇祭に援助をしてくださったことに関しては純粋に感謝申し上げている。ありがたいと思っている。それだけだ。ここで論点を無闇に広げていくことに必然性を感じない。

もうひとつには、この演劇祭において私は一切、協賛企業の方から何の意見も、口出しもされていないという事情がある。作品の内容について、どころか、どんな細かな点に関してでも、アマヤドリに対してどの企業も完全に何の接触もありはしなかった。一度も、誰とも会っていない。唯一の例外的な「接触」を強いて挙げるとすれば、差し入れでカレーをいただいたことだけだ。これに関しても「食べている写真をupしてほしい」などといったお願いを受けたことは一切ない。単に差し入れとして頂戴しただけ。少なくとも、アマヤドリに関してはそれが事実である。以上、ふたつの理由によって、私が協賛企業に対して意見を述べていく動機は何も無い。

付言すれば、実行委員会の方々と様々な話をしてみても、私はまったく「協賛企業の意向」というものに、あるいは「もしかするとこれは忖度なのかもしれないぞ」などと微かに感じる事象にすら、一度も出会うことはなかった。……拍子抜けのように感じる方もおられるのかもしれないが、それが事実である。


協賛企業へのご批判について


とはいえ、である。演劇祭が多くの方からご批判を受け、また誤解を招いたのがこの点であったということもまた事実だろう。協賛企業の意向が何らかの形で演劇祭に影響を及ぼしているのではないか? という疑念。あるいは、過剰な忖度があるのではないか、という疑念。そういった疑念があることは私も承知しているし、そういった思いを抱かせてしまった責任の一端は明らかに演劇祭の運営サイドにあったと考えている。

疑念の核心はこうだろう。「影響がまったく無かったというなら、どうしてあんな思想的に偏向した開催概要になったんだ? ツイートになったんだ? 全体としてどうしてあんなにおかしな空気が出ていたんだよ」と。これに関してはのちほど詳しく説明をさせていただきたい。とりあえずここでは、協賛企業が演劇祭に何かしらの影響力を発揮したことはまったく無かった、少なくとも広田からは、どのような微細な影響力行使の現場も発見できなかった、ということを報告するに留める。

APAホテルさんの企業活動についてかねてより疑問を感じておられる方にとっては、このトピックに関して以上で議論を終えてしまうことを肩透かしのように感じるのかもしれない。ただ、私は協賛企業の代弁者ではないし、擁護者でもない。単に自分の参加したイベントに協賛をしてくださっていた、という立場に過ぎない。大前提として、――これはあまりに当然のことではあるが、APAホテルさんは非合法活動を是認している企業でもなければ、犯罪活動を行っている会社でもない。社会的にもそう認識されている。だからこそ私は協賛企業についてくださったことを単純に感謝しているのだ。「いや、そうではない、犯罪的な活動を行っている企業なのだ」と、ご主張になる方がいるのは承知している。しかし、そういった方とこの話題についてこれ以上論じるつもりはない。現在のところ、私にはそういった議論をする意志はないし、そういった立場にも無い。そういった主張をされる方が戦うべき相手がいるとするならば、それは私ではないはずだ。その方が戦いの場とするべきは、演劇祭について論じているこの場ではないはずだ。どうかその点についてはご理解いただきたい。


■「開催概要」問題について


次に、一連の騒動の発端ともなった「開催概要」の問題について触れていきたい。概観しておくと、「開催概要」の問題に端を発した炎上騒動はおおよそ下記のような経緯を辿ったのではないかと思う。


  • 実行委員会が開催概要を公式websiteに掲載する。

  • 上記の内容が、協賛企業訪問時の公式twitterの文言などと併せて批判を受け、演劇祭そのものに疑義を呈する言説が溢れる。

  • 公式websiteが開催概要を修正し、いくつかのtweetを削除する。

  • 那須・高木両氏が連名の謝罪文を発表する。その中で、そもそも開催概要の文言は事前の会議において疑義が呈され、修正されるはずのものだったと明らかにされる。

  • 参加団体が相次いで参加を取り止め、辞退表明を出す。

  • かなり遅れて佐山さんが公式websiteで一連の騒動について謝罪をする。


この対応は、はっきり言ってグダグダだった。この一件によって演劇祭全体が「右派的な思想のもとに開催されているではないか」との疑念を受けることとなり、説明不足のまま事態が進んでしまったこともあって多くの参加団体が辞退表明を出す異常事態へと発展していってしまった。


開催概要にまつわる問題点


私も一連の対応について実行委員会を擁護できるとは思っていない。全体的に説明不足であるし、信念が感じられない。多くの団体が参加を取り止めたことに関しても、そりゃそうなるだろう、というのが率直な感想であった。では、いったいどうしてこんなことになってしまったのだろうか。ツッコミどころが多すぎる問題なので論点を整理しつつ慎重に進んでいきたい。いったい何が問題だったのか?


  1. 開催概要の内容そのもの

  2. 内容の修正がwebsiteにおいて反映されなかったこと

  3. 満足な説明が公式から出されなかったこと

  4. 那須、高木両氏からの謝罪文のみが先行して出されたこと


ざっと考えるだけでも上記のような問題点が挙げられる。以下、私個人の見解と感想を交えながら、実際にはなにがどうなっていたのか、ということについて、ひとつの流れを提示したいと思う。


開催概要の修正が反映されなかった点について


問題の核心は間違いなく「1.開催概要の内容そのもの」にまつわる問題だ。だからこそ、いったんそれは後回しにして、まずはそれ以外のことについて簡単に整理しておこう。「3.満足な説明が公式から出されなかったこと」ならびに「4.那須、高木両氏からの謝罪文のみが先行して出されたこと」に関しては、炎上騒動全体への対応を絡めて、のちに詳述する。

まずは「2.内容の修正がwebsiteにおいて反映されなかったこと」について述べよう。これは、那須さん・高木さんが公開前の旧・開催概要についてあらかじめ問題点を指摘し、修正する合意を得ていたはずなのに、なぜかその修正がなされないまま公開されてしまった、という問題だ。

この問題について私は、――お粗末すぎる展開ではあるが、単なるうっかりミス、ということが案外、事の真相ではないかと考えている。意図的な修正拒否と考えるには当該会議においても、また、ミスを指摘された後でもあまりにすんなりと文言が書き換わっているし、何より、修正に抵抗したと思われる人物が誰も見当たらない。

もはや単なる悪口のようになってしまって恐縮だが、単なるミス説を補強するような別のエピソードもある。炎上騒動からしばらく経って、長らく更新されていなかった公式websiteがようやく更新されたのだが、その際、アマヤドリの公演情報が間違えて公開されてしまったのだ。早速修正依頼を出して対応してもらったのだが……。考えてもみてほしい。アマヤドリは多くの団体が辞退していく中で残った数少ない参加団体だ。まさか実行委員会が意図的に誤情報を出すとも考えられない。つまり、単なるミスと捉えるしかないだろう。こんな大事な場面でこの単純な情報を間違えるか? と思ってしまったが、要するに、このレベルのミスが起きてしまう程度の事務処理能力ではあったのだ。だから私は、開催概要の修正が反映されなかった顛末に関する真実はおそらく、単なるミス、だと思っている。


■開催概要の内容について


では、一番の問題点、「1.開催概要の内容そのもの」について検討していこう。多くの方々は旧・開催概要にあった次のような文言に強く違和感を抱かれたのではないだろうか。


反権力が演劇や芸術の要であるかのような謂れを受け、今も根強くそのような言動が蔓延ることであるが、演劇が一般社会においてそのような印象を持たれることはその分野の未来的な展望を阻害することに他ならない。

旧・開催概要より。上記文言は現在削除済み


その他にもおかしな文言は複数あったし、開催概要の文章が全体として持っている雰囲気すべてに違和感を抱いた方も多くいらっしゃることと思う。こういった文言と協賛企業との関連、さらには公式twitterに投稿された「演劇が反権力の呪縛に囚われることなく」という文言、そして「日本を愛し、演劇を愛す/そんな当たり前を取り戻します♪」などの文言との関連を捉え、一連の流れに対して協賛企業との思想的な繋がり、影響を感じ取られたのではないかと思う。あるいは単に、実行委員会が強い思想的偏りを持っているのではないか、とのご懸念を惹起したものと推察される。私は、それを至極当然のことであったと思う。

あれを書いたのはいったい誰で、どういった思想、意志、あるいは忖度によってあのような文章が書かれたのか? この問いに対してしっかりと返答が出来なかったために、演劇祭は全体として、何らかの思想的な圧力を受けているのではないか、あるいは、強い思想的偏向が自明のものとされている集団なのではないか、などという疑念を抱かれてしまったのだろう。したがって、演劇祭への信頼を取り戻すためには上記のような疑問に誠実に答えていくことが重要だと思われる。

ただし、実際に開催概要を書いた人物を特定すること、tweetした人物を特定することに関して、私は否定的な立場である。それは私が自信を持って「この人の責任です」「この人が書きました」と述べるだけの情報を持っていないということもあるし、そういう「犯人探し」のような形で実際の執筆者に責任を課すような形の議論は、むしろ演劇祭全体の責任を、すなわち問題の本質を見えづらくしてしまうと考えているからだ。

この際はっきり書いておくが、私はこの文章全体において様々な形で演劇祭の問題を論じているが、「犯人探し」をするつもりは一切ない。なぜなら、犯罪が起きていないからだ。多くの問題視された文言をもう一度注意深く読んでみていただきたい。確かに強い思想的な偏りを感じさせるものが多くあったし、複数の団体が参加する演劇祭の開催概要としては、あるいは演劇祭公式twitterの発信する情報としては、極めて不適切な内容ではあったろう。それは、私もそう思う。ただ、文言を精査してみれば、そこに犯罪的な文言、反社会的な文言を見つけることはできない。それもまたご理解いただけるのではないだろうか。実際、演劇界の内部においてさえ炎上騒動が起きている真っ最中に「何が問題になっているのかわからない。みんなで何を大騒ぎしているの?」という感想を漏らす方に私は複数会っている。確かに違和感を覚える文章なのかもしれないが、そこに犯罪的な文言、暴言が飛び交ったという事実はない。

したがって、以下の文章において私が目指すのは特定の「犯人」を探し出し、その「罪」を追求していくことではない。問題視された文言が出てきた背景にあるものを探り、また、そういった発言を問題視する人たちと、そうでない人たちとの間にどういった差異があるのか、それらを冷静に見つめ、炙り出していくことだ。


実行委員長、佐山氏について


ここからはますます広田の主観であったり、単なる予想、想像に基づいた記述が増えていくことをご了承願いたい。私も慎重に書いていこう。

開催概要の文言、その思想性はいったいどこから来たのだろうか。まず、開催概要に関して考えてみると、この演劇祭の実行委員長は佐山さんなのだから、あの文言についても、その文責は一義的には佐山さんに帰されるものと解釈されるべきだろう。おそらく佐山さんに直接聞けば、「おう、そうだよ。私の責任で書いたんだ」とおっしゃるような気がする。佐山さんとは、そういう方なのだ。

ここで少し話は逸れるが、佐山さんという方についての印象を簡単に記しておく。私はこの演劇祭を通じて初めて佐山さんと知り合ったので、付き合いは極めて短く、浅い。その上で印象を述べさせてもらうなら、佐山さんという方は、良くも悪くも大雑把でおおらかな人物である。もちろん長年に渡って演劇活動に携わり、コロナ禍における小劇場界の苦境に際しては、なにか自分に出来ることはないかと心を砕いてくださった義侠心に溢れた方でもある。

佐山さんは演劇祭に関する様々な問題に対して、「うん、わかった。私の責任でいいよ」とか、「それは私が引き受けるよ」などとおっしゃっていた。のちに那須さん、高木さんが実行委員を退任なさっていく過程においても「私が引き受ける」という言葉を何度もおっしゃっており、おそらく、佐山さんの中には、批判を受けるのは自分だけで十分、他の方に批判がいったら申し訳ない、という感覚があったものと拝察する。お二人の退任が決まったあとには、こんなこともおっしゃっていた。「二人に対して悪い感情は一切、持っていない。演劇祭にお誘いする前と同じで、信頼している。全然、何も変わっていない」と。そういう状況でそんな言葉を発しても、それがあながち嘘のようにも響かない人物、――それが佐山さんという方だと私は感じている。ある意味、大物なのだ。細かいことは気にしない。悪く言われることも気にしない。そういうおおらかな印象のある方だ。もちろん、別の言い方をすればそれらの美点は、万事、丸投げ的というか、放任主義ゆえに細部を見逃してしまうという粗雑さにも繋がるわけだが。いずれにせよ、そうした佐山委員長の性格的な特徴がこの演劇祭をより深い混乱に導いてしまったという側面も、残念ながら否定し難い部分ではある。


あれらの文言が生み出された背景を想って


開催概要を実際に誰が起草し、また、完成させたのか? 特定はできない。表向きは、佐山さんということになっている。ただ、私にはどうも佐山さんがすべてをご自身でお書きになったという絵は想像しづらい。憶測ではあるが、おそらくここには、Aさんの意向が何らかの形で関わっているのではないか。私はそう考えている。Aさんとあれこれお話をさせていただいてわかったことだが、Aさんはそれなりに保守的な思想傾向を持っておられる方であり、実行委員の中でああいった文言を起草する方がいるとすれば、おそらくAさんか、佐山さんぐらいしか候補がいないように思われるのだ。

推測に推測を重ねる話で恐縮だが、おそらく、佐山さんが助成金申請書類の作成をAさん(と、そのお知り合いのスタッフたち)に丸投げし、開催概要は単に申請書類作成の際に作った文言を流用しただけなのかもしれない。公的な申請書類を出す際には、それを審査するお役人の方に通りがいいような、いわゆる硬い文章をしばしば書くものだ。アマヤドリにおいても、公演概要や企画概要といった硬い文章を内外に発信する際には、助成金申請時に書いた文章に少しアレンジを加えて公開したりする。

いずれにせよ、どこかの段階で佐山さんからAさんに対して開催概要の文言作成についての「実質上の依頼」がふわっとした形で出され、AさんはAさんで、「自分が書くのは原案なんで、あとは佐山さんが好きに変えてくださいね」ぐらいの感覚で申請書類の文言をそのまま佐山さんに渡した、つまり、転用した、……のではないだろうか。ストーリーとしては十分ありうる話だ。結果として、佐山さんが持ち前の大雑把さで細部を気にかけることもなく、ほとんどそのままの形でそれが開催概要の原案になっていった。その後、会議の場において那須さん、高木さんがその内容に対して危機感を覚え、文言の修正を依頼し、それに従って変更が行われたものの、「単なるミス」を経て公開されてしまった……。おそらく、こういった流れを辿って旧・開催概要が世に出てしまったのではないかと思われる。

このあたりに関しては特に広田の憶測という側面が強い。事実とかなり違う可能性もあるが、そう遠くないところに真実があるのではないかと私は感じている。


物語の違い


またしても話は逸れるが、ここでひとつ補足しておきたいことがある。私、広田淳一は演劇界の思想傾向の中で考えれば、相対的に保守的な思想傾向を持っているということだ。もちろん、誰だって自分にとって自分の思想傾向は「右でも左でもなく真ん中」になるであろう。私だってそう考えている。ここで言っているのは多くの方から見て私が大体どんな風に見えるだろうか、という大雑把な予測の話だ。

政治的な立場、思想信条ということに関して、私は演劇界の先輩たちと様々な場面で揉めてきた。たとえば憲法の問題について。たとえば安全保障の問題について。私は多くの演劇界の先輩とは異なる見解を持っている場合が多かった。自分の思想信条にまつわることに関してかなり厳しい叱責の言葉を受けたり、シンプルに罵声を浴びせられたことも一度や二度ではない。だからこそ保守的な立場の人間のもの言いが演劇界でどのような解釈、扱いを受けるのかは身を以て知っているつもりだ。初対面の方に「やっぱり広田さんは戦争がしたいんですよね?」などと正面切って質問をされ、さすがにそこまで曲解されているのかと戦慄したこともあるし、あるいは「極右だと聞いていたので、話してみると案外、普通の人でした」などと言われることもしばしばだった。そういった言葉に出会うたびに私は、世界観が違うんだな、と感じてきた。紡いでいる物語がそもそも違うのだ、と。

だからこそ私は思うのだ。開催概要から感じられる強い思想的な偏りが、あのような「過激」な文言が、演劇界の中ですんなり受け入れられるなどと考えることがいかに甘いか、いかに無謀なことであるか、どうしてそんな程度のこともわからないのか、と。きっとあの文章を実際に書いた方は「普通」のことを書いたつもりだったのだろう。おそらく、まったく悪気なく書いてしまったのだろう。「そんなバカな」と感じる方もおられるだろうが、それが世界観の違い、言うなれば、紡いでいる物語の違いなのだとご理解いただきたい。そうでなければ、こんな誰の得にもならないような騒ぎを起こして、執筆者はいったい何を獲得しようとしたというのか。違う。こんな騒ぎになるなどとは、事前にはまったく予測できていなかったのだ。そう解釈する他ない。

要するに、開催概要にまつわる混乱の背景にはこの「物語の違い」の問題があり、そしてそれが相互に全く理解されない、という思想的な断絶、分断にこそ問題の本質があるのではないだろうか。加えて、僭越ではあるが、ただ単純に文章が拙い、という点も問題をこじれさせた一因であろう。大枠で私は、問題をそのように捉えている。


あれらの文言が発せられた「動機」は何か?


続いて、ああいった文言が生み出された背景、そこに存在したであろう「動機」について考えてみたい。犯人探しという形式ではなく、ああいった文言が何のために発せられたのか、その目的について考えてみたいのだ。それはきっと異なる物語の差異について考える過程になっていくだろう。

さて、Aさんは多少なりとも保守的な思想傾向を持っておられる方だ、と書いた。佐山さんにもそういった傾向があるのかもしれない、とも述べた。この演劇祭を通じてAさんとは何度か長くお話をさせていただく機会があったので、その際にAさんのおっしゃっていたことをここに紹介したい。こういったお話の内容を根拠にして、私は先程述べたような考え、つまり、開催概要が書かれた背景には、なんらかの形でAさんの考え方が影響を及ばしたのではないか、という予想を持つことになったからだ。

Aさんが今回、協賛企業と実行委員とを繋ぐパイプ役を担ってくださったことについてはすでに述べた。しかし、Aさんの果たした役割はそれだけではない。助成金の申請に関しても、また、交付が決定してからは担当者の窓口となる役割なども部分的には果たしてくださっていたようだ。

このあたりはプライバシーにまつわることなので詳述はできないが、そもそも演劇祭以前から、Aさんは多少なりとも行政の方々とお話をする機会があったのだそうだ。Aさんが言うには、助成金関係の事務に携わる行政官の中には、心理的な葛藤を抱えている方がしばしばおられるのだという。そしてAさんはそのことについて心を痛めておられた。

ご承知の通り、この数年、コロナ禍において、国や都などを始めとした様々な組織が、かつてない規模の文化事業への助成を行ってきた。東京都に住む私としては『アートにエールを!』シリーズで受けた支援は規模としても大きく、記憶に新しい。当然だが、助成が多くなれば事務処理も多くなり、それを担当する行政の方々の負担もそれに伴って大きくなっていく。もちろん、臨時で雇った人員もあるだろうが、その仕事量、掛かった負荷は並大抵のものではなかったはずだ。この数年、とてつもない負荷に耐えながら、文化助成のための事務処理作業を粛々と続けてくださった方々が、大勢いる。本当に、ありがたいことだ。

Aさんが聞いたという話に拠れば、多くの行政官にとってもこの数年の経験は新鮮で、今まで見えていなかった東京のアートにまつわる実態が初めて可視化されるような体験になった方も多くおられたそうだ。「東京にはこんなにも多くの劇場があるのか」「東京にはこんなにも多くのアーティストがいるのか」「こんなにも多様な活動を展開しているのか」という、とても大きな驚きと喜びがそこにはあったそうで、今までにないほど、行政の方々の中にもアートに関心を抱いてくださる方が増えたという。

その一方で、戸惑いを覚える方もいらしたそうだ。「援助いただき、ありがとうございました!」と満面の笑みで言っていた同じ方が、ネット上ではそれなりの言葉遣いで行政の批判をなさっている。もちろん、それは悪いことではない。当然の権利ではあるし、そのことに矛盾はない。しかし、そのような「現象」に戸惑ってしまう方がいても、それもまたおかしなことではないだろう。

このあたりは、匿名の方からの又聞きの話、ということで話の内容に全く信憑性が感じられないという方もおられるだろう。無理もないことだ。ただ、私個人としてはそういった思いをされている方の存在に、何の不思議も感じない。むしろ、そういった戸惑いが発生していることにとても納得できる。

「権力を批判するのは文化の役割」という考えが一方にあり、それは確かにその通りであると思うし、全くそれを否定するつもりはない。しかし、行政の方々と手を携えていく上で、「いや、別にあなた方個人を責めているわけではないですよ。攻撃しているわけではないですよ」という説明もまた、あってもいいのではないだろうか。そういった態度や言葉が足りなければ、戸惑いや混乱を生じさせてしまう場面だって、きっとあるだろうから。

真偽のほどはともあれ、そういった行政官たちのお話がAさんの耳にも届いたのだという。善意に解釈しすぎなのかもしれないが、私は思う。きっとAさんはAさんなりの善意と美学でもって、「演劇に携わる人たちだって、国や行政を悪く思っている人たちばかりではない。権力を感情的に嫌っているわけではない」というメッセージを、彼らに届けたいと考えてくださったのではないだろうか。

開催概要に盛り込まれた思想的な偏りのある文言の多くは、単にそれを書いた方の思想的な偏りであったことだろう。単に「物語の違い」によって生じたズレという側面が強いだろう。しかし、その文言の一部には上記のようなメッセージ、思いが底流に流れていたのではないだろうか。私には、そうも感じられる。開催概要の原型が助成金申請書類の文言なのだと仮定すれば、「お役人の方々に向けたメッセージ」がそこに潜んでいるとしても、何ら不思議はない。もちろん、ああいった文言にこそ戸惑いを覚える行政の方も多くいらっしゃるだろうが……。


それぞれの物語


上記の解釈はあまりに実行委員会にとって都合の良いものだろうし、「そんな考えであの文言につながるのはおかしい」とおっしゃる方もいるだろう。それは、わかる。だが、物語が全然違うのだ、ということをどうかご理解いただきたい。

少し別の話にはなるが、演劇祭についての批判が盛んな頃、劇団に携わってくれているスタッフの一人から個人的にこんな質問を受けた。「なんだか協賛企業さんのことをみんなで悪くいっているみたいだけど、あれじゃ演劇にお金を出してくれる企業さんいなくなっちゃうんじゃない? スポンサーさんへの最低限の感謝を誰かが伝えなくちゃいけないんじゃないか、って俺は思っちゃうんだけど、演劇の人はそういうこと思わないのかな?」と。これも「物語の違い」の一例だと思う。私としては、そういった演劇界の外部におられる方からの率直な疑問に対して、「本当にそうなんですよね」と答えるしかない一方で、「でも、演劇界の人たちだってそういう常識はわかった上で批判をしているとは思うんですけど、でも……」などと、後半はなんとも歯切れの悪い話になってしまった。

当たり前のことかもしれないが、演劇界の通例とか、常識とか、空気感とか、そういったものがいつも正しいわけではない。「普通」なわけでもない。けれど、長い期間その中に身を投じていれば、いつの間にか見えなくなってきてしまうことも多いはずで、その点に関しては私もいつも自覚的でいたいものだと思う。

まとめよう。私の見るところ、開催概要の底流に流れる思想に関して、協賛企業の意向が働いている、とか、過剰な忖度があったはずだ、と解釈をするのはあまり正確なものの見方とは言えない。そういった影響の痕跡を私は何ひとつ発見できなかった。むしろ、あの開催概要に流れる思想的偏向というのは、執筆者個人が備えていたであろう思想的傾向、「普通」の感覚のズレ、あるいは「物語の違い」に由来するものではなかっただろうか。それに加えて、「演劇界にだって権力≒行政を否定的に捉えていない人もいるのだ」というメッセージ、それを届けたいという思い、そらが暴発しつつ複合され、ああいった文章が生み出されたのではないだろうか。

もちろん、大してすっきりもしない結論ではあるだろう。だが、企業や国、あるいは「権力」の側の誰かが思想統制のために演劇祭を利用しようとしているのではないか、などといった「想像」をするよりは、かなりリアリティのある考え方だと私には思えるのだが、――どうだろうか。


「反・反権力」という言い回しについて


ここで少し、本筋から逸れた提言をすることをお許し願いたい。それは「反・反権力」という言い回し、表現に関する話だ。開催概要に書かれていた内容を指して「反・反権力」という言葉で表現されている方が散見されるが、私は、その表現には少し違和感を覚えている。開催概要の文言に反応して「反権力を潰すつもりか!」と憤慨なさっている方もいらしたが、本当にそうなのだろうか。私には、あの文章で語られていたのは「反権力には与しない」というスタンスの表明であり、それは「脱・反権力」とでも呼ぶべき立場ではないかと思われる。

誤解なきよう申し添えておくが、私だって過剰に挑戦的な匂いの感じられるあの開催概要の文言を肯定するつもりはない。擁護するつもりはない。あれはあれで、大いに問題があったろう。幼稚と言われても仕方がない文面であったし、多様な読み手への想像力を欠いた無神経な文章だったと思う。少なくとも、そのような批判を免れ得ない文章であったことは間違いない。

ただ、「反・反権力」と「脱・反権力」は鋭く違う。このことは、個人的に強く主張しておきたい。私が長年悩んできたことの問題の本質がここにあるような気がしてならないのだ。そもそも私が劇作家協会を辞めるきっかけになったのは、劇作家協会が出した安全保障法制への反対を示す声明に対して、私が「それに与したくない」と主張したことがひとつのきっかけであった。私が主張したのは「安全保障法制に賛成」ではない。私は「個別の法案に対して賛成であるとか反対であるとか、そんな政治運動のようなことには余程のことでも無い限り劇作家協会が関わるべきではない」と主張したのだ。

私は当然、「反権力」を潰したかったわけではない。「反・反権力」を述べたかったわけではない。単に、そういう運動に巻き込まれたくなかっただけだ。自分の考えは、自分で述べたかっただけだ。その意味で、私が当時言いたかったことはまさに「脱・反権力」ということだったのだと、今にして思う。しかし、当時の私は当然のように、「広田くんはなんであの法案に賛成なの?」といった形式の議論に巻き込まれていき、迂闊にもなんとなくその議論に乗ってしまい、あれ、でも何かが違うよなあ、などと大変、もどかしい思いをしたものだ。

「反・反権力」と「脱・反権力」は全然違う。けれど、そういった違いは往々にして無視されてしまう。単に「反権力」の考え方や「運動」に巻き込まれたくないだけの「脱・反権力」のスタンスも、「反・反権力」とみなされ、「反権力」と敵対している、ともすれば「反権力を潰そうとしている」などという誤解を受けてしまう。そういった現実があるのではないだろうか。私は、そう感じてきたし、実際にそれで多くの反感を買ってきた。

「誰もあなたに『反権力』を強制なんかしていないでしょ?」と感じている演劇人がおられるならば、どうか社会的公正教育の分野でよく語られるタームを思い起こしてもらいたい。「特権に無自覚でいられることこそがマジョリティであることの証拠である」。演劇界に身を置いていると、いつの間にか「反権力」に巻き込まれていってしまうことが、実際にある。巻き込んでいる自覚すらない、多くの方々の力によって。

そろそろ、演劇界全体の課題として「脱・反権力」を述べる人たちを「反・反権力」の人たちと同列に見なして敵対する流れを、少しだけ疑ってみてもいい時期が来ているのではないだろうか。


■炎上、その批判の内実


いわゆる炎上騒動が起きてしまった際、実行委員会は様々な点で対応を間違えた。その間違いを検討していく前に、まずは炎上騒動で実際、どのようなご批判があったのか、騒動によってどういった問題が生じたのか、その内実について確認しておきたい。

開催概要に存在した思想的偏りを感じさせる文言、また、公式twitterによる同様の問題を抱えた投稿、あるいは、様々な指摘への対応の混乱などから、ネット上を中心に演劇祭に対する強く、多様な批判が巻き起こった。主だったものを挙げれば、


  • 開催概要、発信内容が偏っていておかしい。

  • 偏向はともかく、事前説明が無かったことがおかしい。

  • 配慮が無かったことがおかしい。

  • 協賛企業などから思想的な意志・圧力が加わっているのではないか? 

  • 協賛企業の選定がおかしい。協賛企業のこれまでの活動が許せない。


などといった種類の疑念、批判があったかと思う。当然ながら、これらの批判を発信した方々は、それぞれバラバラに主張をなさっていた。中には協賛企業と演劇祭実行委員会との関連、癒着を強く主張される方もいらしたが、そういった指摘の中には単なる印象操作レベルのもの、あるいは協賛企業を悪と前提した上での批判も散見された。

本来であれば対応する側がしっかりと論点を整理し、謝罪すべきことについては謝罪し、毅然とした対応をすべきことについては毅然と対応し、また、スルーすべきことについてはスルーすべきであった。残念ながら実行委員会はそういった複雑な情報処理を行い、それぞれのケースに対して適切な対応をしていく能力を欠いていた。これは誠意の無さというよりは、畏れながら能力の無さの問題だと思われる。

無論、混乱の中で冷静さを保ち、正しい対応をやり抜くことは容易な仕事ではない。仮に私が当時の実行委員会の中枢にいたとしても、大した仕事はできなかったろう。また、文章において対応することが難しいのであれば早い段階で腹を括り、記者会見などを行うべきだったのかもしれない。しかし、そういった方法については馴染みが薄く、検討すらされなかった、というのが実際のところである。


直接的な抗議について


twitter上などで、「演劇祭への実際の圧力、直接的な抗議、辞退することへの強要などは存在しなかった」などという論が散見されたが、ざっくり言ってしまえば、それは間違いである。あえて断言させていただくが、電話やメール、その他による演劇祭辞退を求める直接的な抗議行動は確かにあった。アマヤドリに対してそういった行動が複数あったことを私自身が確認しているから、これは間違いない。「辞退を求めるような抗議は無かった」あるいは「今のところ無い」などという内容を、自分の知る範囲の情報だけで安易に結論し、あたかもその時点での現実であるかのように発信することは、控えめにいっても不正確だろう。圧力を感じている側の人が「圧力を受けています」とリアルタイムで発信できない場合だってあるはずだ。むしろ、そんな発信をできるケースの方が稀ではないか。

というのも、「演劇祭を辞退せよ」という内容を、結果として迫っている人が、純粋な善意からおっしゃっている場合もあるのだから。そうであれば尚更、「それって強要じゃないですかね」などと受けとめる側は指摘しづらい。相手が恩人の場合もあるだろうし、先輩の場合だってあるだろう。そして、圧力を感じた側が事を荒立てたくない場合だってあるはずだ。そもそも「強要」とか「圧力」という言葉を使っていいのかどうかも難しい問題で、同じ「やめておいた方が良いんじゃない?」という発言内容でも、「最終的にはあなたが選んだことを尊重するけれど」という態度と伴に伝えてくれているのかどうかで判断が変わったりもするだろう。仮に「強要」などの強い言葉を使うべきではないと判断されるような場合には、では、どんな言葉を使ったらいいのだろう? こう考えていくと、問題はかなり複雑なのだ。

一般論として、「助言」「忠告」「提案」「要請」「命令」「強要」「脅迫」などの言語行為は、現実にそれが起きる場面においてはすべてグラデーションになって発現するものであり、また、受けとめる側の解釈の問題、相互の距離感/関係性なども絡んでくるため、原理的にそれらを厳密に区別することは不可能である。要するに、「圧力は無かった」「強要は無かった」などと簡単に断言できる種類のことではない。そして、それぞれのケースにおいて何と名付けるかは別としても、演劇祭への参加辞退を求める直接の抗議行動、その種の「働きかけ」が複数存在したことは紛れもない事実である。

アマヤドリに関しても個別の俳優、スタッフに対しての「働きかけ」が複数あった。そして、その詳細については誰に聞かれても今後とも明らかにするつもりはない。なぜ明らかにしなければいけないのだろうか? その告白をすれば「圧力」を感じた方により大きな心理的な負担が掛かり、せっかく善意から「忠告」してくださった方々との対決を強いられてしまう可能性があることを、どうかご理解いただきたい。

また、劇場に対して演劇祭辞退を求める「働きかけ」が加わった事実も確かに存在する。そして、残念なことではあるが、必ずしも適法な範囲に完全に収まっているとは言い難い形式の抗議行動があったこともまた事実だ。そういった抗議がこのあとの混乱を深めていく原因のひとつとなっていったので、ここはしっかりと抑えておきたい。


■警察沙汰


特定されることを避けるために、ここからしばらくはわざと曖昧に書くことをお許し願いたい。具体名は伏せるが、劇場・団体に対しての直接的な抗議は実際、存在した。そして、それに対応するべく警察への相談が行われた。威力業務妨害が成立する恐れがあったためで、これ以降、問題解決のために警察、そして、弁護士の方への相談というプロセスがその都度絡んでくることになってしまった。このことが関係者を萎縮させ、混乱させ、また、対応の速度を極端に遅くする結果に繋がっていった。

これらのことに関しては、現在のところ訴訟になったり、事件化されている事案が存在しないので何も表沙汰にはなって来なかった。したがって、多くのみなさんには可視化されていない。だからこそ、実行委員の方々が無闇に沈黙し、とにかく説明を嫌がって強権的な態度を取り続けている、と解釈されてしまっている現状もあろうかと思う。もちろん、問題の発端は実行委員会による自業自得の部分が大きいし、説明不足に関してもご批判を受けて当然の運営姿勢だったとは思う。だからこそ私は、一方的な解釈がなされてしまっている現状を変えるべく、なんとか説明をさせていただきたいと考えているのだ。

警察沙汰になってしまったことをひとつの契機として、実行委員会の内部に大きな亀裂が入ってしまったことも見逃せない。ネット上での炎上騒動、そして、直接的な抗議行動にいかに対処するかという問題は、佐山・高木・那須の三者の間に見解の相違を生んだ。ある方はなるべく早く、全面的に謝罪するべきではないか、と主張なさった。またある方は、批判のすべてに対して全面的に謝罪することへの抵抗感を持った。というのも、憶測に基づいた批判の中には明らかに事実無根の内容も含まれており、曲解と言わざるを得ない発言も存在していたからである。

また、直接的な抗議に関しては、そういった行動を取っておられる側に法律の則を越える部分があった可能性も残り、その対応についても意見が分かれた。「いまは抗議をなさっている方々の心情に寄り添って、お怒りを招いたこちらの非をまずは認め、お詫びするべきだ」という意見と、「お詫びはお詫びとしてもちろん行うが、適法でない抗議行動に対しては毅然とした対応を取らなければならない」とする意見とで、対応の優先度を巡って対立が起こった。どちらの意見にも、頷ける部分がある。残念なのは、こういった点から相互の信頼関係にヒビが入り、ついには修復不可能な綻びへと発展していってしまったことである。

もうひとつ、この後の展開に悪影響を及ぼした点がある。それは、那須・高木両氏が実行委員会に求めたスタンスが、協賛企業そのものの否定を孕んでいるのではないか、との疑念を佐山・Aさんの側に抱かせてしまったことである。演劇祭に寄せられたご批判の中には、「APAホテルが関わっていることそのものが許せない」という種類の、いわば「APAホテル全否定論」とも言うべき過激なものが含まれていたわけだが、当初、協賛企業が決定していくプロセスにおいては那須・高木両氏もAPAホテルを問題視していた事実はなく、そうであるならば論理的に「APAホテル全否定論」については両者も反論をしなければならない立場だったはずだ。しかしながら、実際にはそのような反論が強調されることはなく、この点において、那須・高木両氏のスタンスが、実際に企業にお願いをし、顔を合わせて話を進めてきた佐山・Aさんの側のそれとは、小さくない食い違いを見せてしまったようなのだ。このこともまた、両氏が退任へと至る原因のひとつとなっていった。


炎上騒動にどう対応するべきか? 弁護士への相談


ここまで述べてきた混乱の中で、問題解決のための方策を弁護士の方とも相談することになった。私もネット会議で一度お会いしたが、非常にクレバーな方という印象で、冷静に専門的なご意見をくださり、確かに大変頼り甲斐があった。以後、実行委員会は万事につけ弁護士さんのアドバイスをお伺いすることになっていく。

最初に弁護士さんは次のようなアドバイスをくださった。「一般的に、いわゆる炎上事件に対応する上で最もまずいのは、五月雨式に反応してしまうことです。あれこれと謝ったり、修正したりを繰り返してしまうのは最もよくありません」と。性急で逐次的な対応はむしろ火に油を注ぐ結果になる、クールダウンするまで時間を置くことも重要です、という弁護士さんのアドバイスは確かに説得力があった。だからこそ佐山さんは半ば意図的に対応の速度を遅らせ、その間に何について反応するべきか、スルーするべきかを慎重に見極め、丁寧に一回で決着をつけられるような対応を目指した。

しかし、結果として佐山さんのその慎重な対応姿勢は、那須・高木両氏にとっては緩慢すぎるものと映ってしまったのかもしれない。ふたりが先行して謝罪文を発表する流れは、あるべき対応速度への認識のズレから生じたものと思われる。

この件に関しては情報の齟齬があったようで、何が真実なのか大変見通しづらい。佐山さんの側ではふたりに対し「謝罪文を先行して出すことは控えてほしい、それが弁護士さんの意向でもある」とお願いをしていたそうなのだが、一方、那須・高木両氏に拠れば、「謝罪文を出す前にちゃんとその旨をお伝えしていたし、了承も得ていた」という。言い分が食い違っており、どちらがより正確なことをおっしゃっているのか私には判断できない。いずれにせよ、深刻なレベルの認識の齟齬が発生しており、情報交換に際してのエラーが発生していたことは疑いようも無い。

さらに言えば、炎上対応を巡る一連のやりとりの中で那須・高木両氏の側にやや冷静さを欠いた発言、態度などがあったと思われる。炎上に対する危機意識の差、各劇場に対する具体的な抗議の質と量の差、あるいは佐山さんがほとんどネットをご覧にならないことなども相まって、三者の危機意識、切迫感にはズレが生じていた。問題を比較的ゆるやかに捉えていた佐山さんサイドに対して、那須さん高木さんがかなり強く迫った場面があったようである。


■第二回、警察沙汰

高間響氏のネット番組


さらに問題を悪化させるきっかけとなったのが、劇作家の高間響氏が行ったネット番組の影響である。この件は無視できないので簡単に抑えておきたい。

高間氏は自身の運営する有料ネット番組において、演劇祭の問題を扱うトーク番組を企画した(2021年1月29-30日配信)。それは、よいだろう。実は私もそのネット番組への出演をオファーされており、結局は参加しなかったものの、騒動の渦中にあって生番組での発言を求められた。そのお誘い自体もそれなりに無神経なものではあったのだが、問題はそんなことではない。その番組に元・しばき隊の野間易通さんという方がゲストとして招かれ、配信当日、実際に彼と演劇祭についてのトークが行われたようなのだ。私にはゲストの件は事前にまったく知らされておらず、悪気は無かったものと信じたいが、そのやり方は決して誠意があるものとは言い難かった。

ゲストで呼ばれた野間易通さんが、いったいどういう方なのか。そもそも「しばき隊」とは何なのか。それを説明するにはまず彼らの宿敵たる「在特会」なる組織が行ってきた暴力的な活動、差別的な言動、いわゆるヘイト・クライムの問題、そしてそれに対抗するべく発生したカウンター・デモについて述べていかなければならないだろう。そもそも「しばき隊」という名称は「(レイシストを)しばく」の意であり、彼らの活動は「人種差別主義者=レイシスト」への抗議、カウンターとして始まったわけなのだが……。

と、さすがにこれは話が逸れすぎている。野間さんの活動にご興味ある方はご自身で調べていただきたい。彼らの活動についてはまさに「毀誉褒貶」があると言ってよいだろうが、私にとっては、少なくとも自分の公演直前にトークをしたい相手ではなかった。というのも、私はこの方(と、そのお仲間)が過去になさった、とあるアーティストさんへの嫌がらせ的な行為のことなども仄聞していたので、元々彼の活動スタンスには少なからぬ疑問を抱いていたのだ。

それにしても、演劇祭と直接は関係が無いと思われる彼のようなゲストをわざわざ呼んで「お話を伺う」必要が本当にあったのだろうか。高間氏にはその点、再考を願いたい。というのも、そのことによって引き起こされた事態がそれなりに深刻なものであったからだ。

 

蔓延してしまった「恐怖」の感情


※このセクションに関して不正確な記述がございましたので後日修正をさせていただきました。大変申し訳ございませんでした。


野間さんという方は、どうやら警察に「注視」されている方のようだ。もちろん、警察に「注視」されているということは、それ自体罪ではない。悪ではない。事実誤認によってそういう扱いを受けている方もおられるのだろうし、不当な圧力を加えられている方もいらっしゃるのだろう。野間さんの場合がどうなのかは存じ上げないが、ともあれ、彼は高間氏の主催するネット番組に招かれ、演劇祭について何か不穏当な発言をなさったそうなのだ。――私は番組を視聴していないし、その予定もないが、高間氏自身のtweetやその後に起きた事象などからそういった発言があったものと推察される。

さて。警察に「注視」されている方が公共の場(放送)で特定の人物、団体に対して不穏当な発言をすれば、どうなるのだろうか。警察が動くのだ。かくして演劇祭実行委員に対しても「何か被害を受けていませんか? 脅迫されたりはしていませんか? 詳しく話を聞かせてもらえませんか?」などの問い合わせがあった。実際に警察の事情聴取に応じた方がいることは、私も対応されたご本人から伺って知っている。

警察の介入を受けたことによって実行委員会の中に非常に暗鬱な空気が漂ってしまった。言うなれば「恐怖」の感情が引き起こされてしまったのだ。もちろん、実際に彼らが「事件」を起こしたなどという事実はない。したがって、結果からすればその「恐怖」は勘違いに過ぎず、反応としては「大げさ」であったと言えるだろう。しかし、演劇祭をやろうと思って集った人々に対して警察から連絡が入り、「大丈夫ですか? 被害に遭われていませんか?」などと聞かれるような事態が起きれば、「なんなの? そんなにヤバいことが起きているの?」という不安が蔓延してしまうのは当たり前のことではないだろうか。

私が悔しく感じているのは、そのトーク番組の出演者たちが軽い気持ちでなさったであろう不穏当な発言が、現実に恐怖を引き起こし、威圧的な効果を実際に発揮してしまったという事実である。実行委員会の中に生まれてしまった恐怖の感情は、これ以降、「もうこれ以上の揉め事は嫌だ」「何事をするにつけてもまず弁護士の先生に相談しなければ」という、非常に硬直した、いうなれば、臆病な空気を醸成してしまった。

もちろん、こういった反応は結果としては「勘違い」であったのだから、臆病になった方が悪いのだ、と言われてしまえばそれまでのことなのかもしれない。そして当然、野間さんにも言論の自由があるだろう。彼には彼の言い分があり、正義があるのだろう。それは間違いのないことだ。しかし、である。こういったやり方で野間さんのような、本来、演劇祭の問題と無関係の方を引き込み、積極的に演劇界へ発言する機会を用意することが、いったい誰の利益になるというのだろうか。確実に不利益はあったのだ。過去の事例などからしても、彼のこれまでの活動スタンスの中に言論・表現の自由にとって脅威を及ぼす態度が全く存在しなかったとは言い難く、その意味で、本当にわざわざゲストとしてご意見を伺わなければならないような相手だったのか、私には疑問である。


■弁護士さんとの付き合い方


弁護士さんとの付き合い方に関しても反省の余地があるだろう。実行委員会の面々が、このような混乱の渦中にあって専門家のアドバイスを必要としたことはむしろ賢明な判断だったと言えるだろうが、その一方で残念に感じたのは、恐れをベースにして弁護士さんを頼ってしまったことで、委員会がある種の依存的な態度に陥ってしまったことだ。

無論、それは私の主観に過ぎない。だが、何かにつけて「弁護士さんと相談した上で」という形を採ったことで、時間的にも、金銭的にも、多くのリソースが不必要に消費される結果となってしまったことは否定し難いようにも思う。

また、佐山さんが炎上騒動からかなり遅れて出した公式の謝罪文の中に、「行き過ぎた誹謗中傷などには弁護士の指導の下毅然とした対応を取らせていただきつつ」という一文が入ったことは、まさに弁護士さんの意向を汲んでのことだったそうだ。あの文言を指して「威圧的ではないか」等のご批判を再度頂戴することになってしまったわけだが、確かに、佐山さんのあの文章だけを見ればそういった解釈も可能だろうが、しかし、あの一文は上述のような苦しい状況の中、弁護士さんの意向を汲んで挿し込まれたものだったということも、併せてご理解いただければ幸いである。


■那須・高木両氏の退任


那須さん、高木さんがなぜ退任なさったのかについては、ここまで読んでくださった方には、大体お分かりのことかと思う。一言、申し添えておきたいのは、佐山さんを含め、三者が憎み合ったり、いがみ合ったりした結果ではないということだ。確かに瞬間的には感情が溢れた場面もあったのかもしれないが、最終的には静かな話し合いの中でお二人の退任は決まった。ここには書けないこともあるが、様々な事情が絡み合ってそういう結果に落ち着いた。

おそらく、佐山さんとしては警察への対応も含め、演劇祭への批判も一手に引き受け、最後まで責任を全うしたいというお気持ちを強く持っておられたのだろう。一方、退任されるお二人としては、参加辞退を余儀なくされてしまった多くの個人、団体の方への責任を痛感しておられたので、その方々に対していかなる形で責任を取ればよいのか、という問題に苦慮しておられたのだろう。お二人は演劇祭に残ってくれた団体、見守ってくださっている方々にも迷惑をかけたくないというお気持ちを最後まで抱いておられたので、どういったタイミングでどのように対処するのが演劇祭にとって最もダメージが少ないか、という点も併せて考慮され、総合的に考えた上であのタイミングでの退任、その発表という結論をお出しになったのものと拝察する。

結果として、お二人の2月1日付での退任が、3月上旬になってそれぞれの公式websiteでのみ公表されるという、お客様にとっては大変わかりづらい情報発信となってしまった。その発表の仕方について、また、途中での退任ということについて、ご批判もあろうかと思う。勝手な話かもしれないが、そういったご批判を甘受することも含め、お二人なりの責任の取り方であったとご理解いただければ幸いである。

私個人としてもお二人の退任を大変残念に思っている。出来ればそうならない方が良いと思って留任の可能性を探り、話し合いを続けてきただけに、このような顛末を辿ってしまったことには忸怩たる思いがある。力及ばず、申し訳ない。ただ、御三方なりの責任の感じ方があり、それぞれが責任を果たそうとした結果としてこのような結末に至ったのだと、今はそう理解している。


■まとめ


書いてはいけないことを沢山書いてしまったような気がする。特に個人の心情、意図にまつわる記述についてはご本人たちから抗議を受けてしまうようなことを沢山書いてしまったのかもしれない。単純な事実誤認も多くあるだろう。それでも、この演劇祭の全貌についてはこれまであまりにも多くのことが闇の中にあった。少しでもそれが明らかになり、部分的にでも演劇祭への疑念が払拭されたのなら幸いである。

私がなぜ、頼まれもしないのにこのような長大な文章を書いたのか。最後にそのことについて説明しておきたい。そもそも、演劇祭が炎上騒動を起こし、次々に参加団体が辞退していった当時、私たちにも当然、参加を辞退し、あとは黙って公演を行う、という選択肢があった。そして私は、そういった選択を実際にされた方々に対して「そりゃそうだよな」という気持ちを抱いてきた。しかし、あえて言わせてもらえば、私はそういった感情を抱く一方で、本当にそれでいいのだろうか、という疑問もまた抱いてきた。

この演劇祭の「問題」について論じた文章がいくつかネット上にあがっているが、その中のひとつに、実行委員会に欠けていたのは他者に対する想像力であり、想像力の欠如から来る他者への態度の粗雑さこそが、この演劇祭の抱えた本質的な問題ではないか、という問題提起があった。私も、その方の文章にほとんど同意したい。確かに、演劇祭実行委員会には、他者に対する想像力を欠いた部分があった。現在も、あるだろう。そのことは大いに反省すべきであるし、そういったことについては不断の努力を欠かしてはならない、とも思う。

だが、――と思わずにはいられない。翻って、演劇祭を批判なさっている方々や、演劇祭を辞退されていった方々の側には、十分な想像力があったのだろうか。私たち演劇人は常日頃コミュニケーションの力を信じ、言葉の力によって、対話の力によって人間相互の無理解を、なんとか越えていく力を提示していこうとしているのではなかったか。矢継ぎ早に参加辞退の表明が出されていく中で私は、なんでこうも早くコミュニケーションを断念するのだろう、自分を理解してくれない他者を、どうして拒絶することで終わりにしてしまうんだろう、という、もどかしさを覚えていた。こういった場面でこそコミュニケーションの力を信じ、対話する力を信じなければ、常日頃、私たちがワークショップや、あるいは芸術活動そのものを通じて訴えているはずの、人間と人間が対話する力への信頼というものは、どれほど力を失ってしまうだろう。

世界では、二十一世紀のこんな日になってまさか、と思うような形で戦争が始まってしまった。戦争の時代にあって、そういった状況において、私たちに求められているのは、自分を理解してくれない他者、容易には理解できぬ他者に対して、しつこく、しぶとく、粘り強く、対話を続けようとする意志なのではないだろうか。

自分たちが攻撃を受けた、心理的に辛い思いをさせられた、気分を害した、――そういった意識に陥ってしまった時、攻撃をしかけてきたと思われる他者を、あるいは、迷惑をかけてきたと思われる他者を、単純に悪魔化し、排除し、蔑みたくなる誘惑は強烈だろう。「なんであんなことする人がいるんだろうね? 信じられないよ」と嘯いて「愚かな人たち」との対話を終わらせるのは、ものすごく手っ取り早い「解決策」なのかもしれない。確かに、私たちの時間は有限であり、情熱には限りがある。話が通じない相手も確かに存在する。だから、なんでもかんでも「粘り強く」交渉なんて出来はしない。それもまた現実だろう。

だが、戦場のような極限の状況においては、自分の親や家族、子供たちや友人を殺した相手と、もう一度向き合うために対話が行われなければならないはずだ。今、進行しつつある戦場においても、必ず、そういった場面が来るだろう。その時、どんなにしんどい、どんなに辛い対話が求められるだろうか。想像を絶することではあるが、がんばって、想像してみたい。

そういった極限の対話と比べれば、演劇祭実行委員会の方々との対話は、なんて共通認識の作りやすいものだろうか。実行委員の方々は、私たちがよく知っている演劇界の方々だ。そして彼らがやろうとしたことは、演劇界に明るいニュースをもたらそう、何か演劇界を盛り上げたい、と、そういった思いから始まったことだ。彼らは、助成金が獲得できなければ自腹を切る覚悟で企画を立案してくださった方々だ。それを思うに、みなさん、ちょっとばかり、対話を諦めるのが早すぎやしませんか。私は、そうも言いたかった。だから、演劇祭に残り、様々な方の話を聞き、頼まれもしないのにこのような長大な文章を書いている。

劇団内で異論が噴出した際にも、私はそういう話をした。私たちが対話の力を信じないでどうするのか。私たちが簡単に対話を諦めてどうするのか。それは、本当に私たちの仕事と関係ないことなのか、と。もちろん、そんな言葉は単なるカッコつけの言葉なのかもしれない。一方で、劇団員たちに私はこうも言っていた。「みなさん、私たちが演劇祭に参加した原点に立ち返って考えましょう。――お金が欲しい」と。それはそれで本当の心情でもあるのだが、露悪的にそんなことをいっているうちにふと気がついたのだ。案外、カッコつけの方の理由も、自分ではそれなりに本気で信じているのかもしれないぞ、と。

もちろん、演劇祭実行委員会の側もどこかの段階で対話への意志を放棄してしまったのだ。だからこそ、このような決定的な説明不足の状態を放置してしまったのだろう。そのことを含め、実行委員会には大いに問題がある。欠陥がある。それは容易に修正できるレベルのものではないと私も感じているので、このままの形で演劇祭が来年以降も存続していくことには強く反対の立場である。だが、この演劇祭の今後の運用はともかく、その志までも含めて悪しざまに言って終わりにするような態度は取りたくない。

演劇人、とりわけ劇作家などは時に知識人ぶってイッパシの教養人のように振る舞うこともあるが、人文知に携わる人間の多くは、理系の知識人たちと違って、なんら実証的な知識を持ち合わせていない。それにも拘らず、私たち演劇に携わる者が他の業界の人々に対して、何がしかの知性を持っていると誇れる点があるとするならば、それは、対話をするための知性ではないだろうか。相互理解が不可能と思われる場面においてなお言葉を紡ぎ、差異を差異のまま留めおきつつ妥協点を探り、粘り強く相手の人間性を信頼するための知性をこそ、私たちは磨かなければならないのではないだろうか。戦争のような大きな事件を前にして私たち一人一人にできることは限りなく小さい。私に今、出来ることは、目の前の他者と対話を続け、揉め事の中間地点に立って、ひとつひとつ小さな説明を積み上げることでしかない。

というわけで。もの凄く長い文章を最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。この文章によって何か一つでもみなさんの中に発見があり、それが未来への発展に繋がるのならばそんなに嬉しいことはありません。最後に改めてお断りしておきますが、この文章は公式のものではなく、あくまで広田が個人的に出している文章です。ですから当然、文責はすべて広田淳一個人にあります。どうぞその点、ご了承ください。それではみなさん、どこかの劇場で、また!

2022年3月26日
劇作家・演出家 広田淳一

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