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サバと、チョコレート。

その缶詰を店頭で見たとき、私は二度見、いや三度見した。

サバの、チョコレート風味。

青魚であるサバの、刺身も焼いたのも、もちろん缶詰も、私は大好きだ。そして、あの香り高いスイーツであるチョコレートも大好きだ。

けれども、サバと、チョコレートが、一緒になっている。

私は、その缶詰を手に取って、しげしげと眺めた。チョコレート色のラベルに、オレンジ色っぽい文字で「チョコ鯖」と書かれたシンプルなパッケージ。中身は見えないが、原材料名には「鯖、チョコレート、砂糖……」と書いてある。

この缶詰のとなりには、いろいろな種類のサバ缶が並んでいるから、どうやらやっぱり、あの青魚のサバの缶詰らしい。その缶詰売り場には、小さなPOPがついており、「テレビで紹介された、あのサバ缶!」なる文言が踊っている。

テレビで紹介されたからといって、おいしいとは限らない。が、たしかに気になる……。どんな味がするのだろう。

甘いのか?しょっぱいのか?

チョコレートは甘いが、甘いサバ缶なんて聞いたことがない。というか、甘いサバなんて、なんだかおいしそうじゃない。そういえば、サバの味噌煮は甘辛い味つけの場合もあるが、これは味噌ではなく、チョコレートである。

いや、待てよ。

チョコレートが甘いと思っているのは、私の思い込みかもしれない。世の中には、甘くないチョコレートだってある。

私は茶わん蒸しが大好きなのだが、外国人の方に言わせれば、甘くないプリンみたい、である。甘くないプリンといわれたって、おいしいではないか。

そうだ、食べものに偏見はよくない。いや、偏見は何に対してもよくない。

この時点で、私の心はかなり「このチョコサバ缶を食べてみたい」という方向に傾いていた。

そして私はもう一度、チョコサバ缶のラベルを見た。よく見るとその缶詰は、私がよく買っている缶詰と同じ会社がつくっているものであることがわかった。

そうか。あの会社がつくったものなら、マズくはないだろう。

そう思ったことが、チョコサバ缶を買う決め手となった。


あの店の缶詰売り場からチョコサバ缶を連れて帰ってきたものの、しばらくは食べる気にならなかった。

食べるために買ってきたのだし、食べなければどんな味かはわからない。けれども、私がいざ「食べるぞ」と思うまでには、ちょっとした勇気と勢いが必要だった。

なにしろ、サバと、チョコレートである。

どうすれば、この缶詰を食べる気になるだろうか。考えながら、数日間が過ぎた。

あるとき、私は寝酒にウイスキーを飲んだ。ウイスキーのおともは、甘さ控えめの高級チョコレートがいちばん、と思っている私は、とっておきのチョコレートを2粒だけ用意した。寝る前にチョコレートだなんて、というのはわかっているが、私にとってウイスキーとチョコレートは至福のコンビなのだ。

そうして、ふと、あの「チョコサバ缶」のことを思い出した。

そうか。チョコサバ缶も単体ではなく、なにかのお酒と合わせて、つまみとして食べれば、大丈夫かもしれない(大丈夫とは、失礼な)。

翌日、スーパーへ買い物に出かけた私は、めったに買わない赤ワインを買って帰った。こういうとき、酒飲みのムダ知識が役に立つもので「チョコレートに合わせるなら、ウイスキーか赤ワイン」と思ったのである。そういえば、なにかの本でサバの味噌煮に赤ワインを合わせていたのを見たような気もする。

買い物から戻った私は、チーズをつまみながら、まず赤ワインを開けた。正直にいうと、素面であの缶詰を開ける勇気はなかった。

赤ワインを2~3杯飲み、ちょっとほろ酔いになったところで、ようやく「チョコサバ缶」を手に取った。

再度、ラベルを見る。サバの、チョコレート風味。

缶詰のふたのタブに指をかける。一旦、タブを起こしてから、グイッと開けた。

そこにあったのは、たしかに、チョコレートソースに包まれたサバだった。

私は、チョコレート色のサバに鼻を近づけた。当たり前だが、チョコレートの香りがする。しかし、思ったほど強い香りではない。次に、缶のすみっこに小さなスプーンを入れて、チョコレートソースをなめてみる。あれ?おいしいじゃん。口に入れても、チョコレートが香りすぎることはなく、甘すぎもしない。

次に私は、チョコレートソースに包まれたサバを、耐熱皿に移した。缶の中のソースもできるだけその皿に移して、サバにかける。

その耐熱皿を、オーブントースターに入れた。本当はオーブンに入れたいところだが、わが家に立派なオーブンはない。タイマーを7分くらいにセットする。

チョコレート色のサバが温まる間も私は、チーズを食べながら赤ワインを飲んだ。飲んではいたが、サバが気になって、だんだん正気に戻っていくようだ。さっきまでほろ酔いだったのに。


しばらくすると、オーブントースターからチョコレートの香りが漂ってきた。そして、さらにしばらくして、チンッ!と音がした。

おそるおそる、オーブントースターのふたを開ける。

出てきたのは、意外にもおいしそうなチョコレート色のサバであった。温める前は、あまりチョコレートの香りもしなかったし、そんなにおいしそうじゃなかったのに、温まってチョコレートの香りが増し、さっきよりもソースがやわらかくなっていて、グレービーソースのように見えなくもない。

ほほぅ……。いい感じじゃないの。

私は独り言ちると、用意しておいた赤いプチトマトと緑色のカイワレ大根を、チョコレート色のサバに添えた。もちろん、記念撮影してSNSに投稿するためである。こんなに珍しいものを投稿しないではいられない。

アツアツの耐熱皿をコルクの鍋敷きに乗せて、食卓へ運ぶ。温めただけでこんなに見た目が変わるのだから、さっき味見をしたときよりもおいしいに違いない。熱いうちに食べなくてはならない。ササッと写真を撮り、早速、サバにフォークを入れた。

チョコレートソースに包まれたサバは、おいしかった。

チョコレートのコクと香りが、なぜかサバに合うのである。いや、これはきっと、チョコレートの味だけではなく、隠し味に使われている醤油のおかげかもしれない。といっても、食べてわかったわけではなく、原材料に書いてあったからそう思っただけだけれど。

でもとにかく、おいしかった。そして我ながら、赤ワインのつまみにしたのは正解であった。チョコレートソースのサバと赤ワイン。なかなかの組み合わせである。

のちに私は、改めてこの「チョコサバ缶」をネットで検索し、どうやらバレンタインデーに向けて開発された商品だったらしいことを知った。なるほど。

だがしかし、あの缶詰売り場の店頭で、この缶詰を見つけなかったら、私はこの味を知ることもなかっただろう。なぜなら、私はバレンタインデーのチョコレートを買わなくなって久しいからである。コロナ禍になってからは余計に、混雑しているバレンタインデーのチョコレート売り場には近づこうと思わない。

つまり、私とこの缶詰は、チョコレート売り場ではなく、缶詰売り場で出会った。この至極まっとうな出会いが、私に新たなおいしさを教えてくれたのである。

まさか……まさか、サバとチョコレートが出会うなんて。信じられない!と思っても、トライしてみないことにはわからない。そういうことが、世の中にはまだまだあるものなのだ。


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