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ゴーストライターの悲しい月末 第3話

春の日にATMで記帳して

振り込み確認 希望の光


あれから約1か月が経ち、再び月末がやってきた。

2月28日は金曜日。今年はうるう年だから、2月は29日の土曜日までである。

「また月末が週末かぁ…」

私は独り言ちながら、銀行のATMへ向かった。先月の、忌まわしい事件を思い出しながら。

1月31日も金曜日だった。そして、私の大事な原稿料が振り込まれるはずの日であった。「はずの」というのは、振り込まれていなかったのである。

金曜日だから、経理の担当者が振り込みに間に合わなかったのだろうと、私は翌週の月曜日にも銀行のATMへ記帳をしに来た。しかし、またしても原稿料は振り込まれておらず、私はあわてて、クライアントであるG出版社へ電話をした。

そして、その時はじめて、私がゴーストライターとして関わっていた作品を担当していた人が、1月31日付で退職していたことを知ったのである。どうやら、私の原稿料が振り込まれていなかったのは、そのせいであったらしい。

もちろんその後、原稿料はしっかりと振り込んでもらったが、振り込まれていなかった時のショックと、担当者が何の連絡もなしに退職したことを知らされた時のショックは、かなり大きかった。

「今月は、そんなことはないよね」

そうつぶやきながら、ATMの自動ドアを開け、機械の「通帳記帳」のボタンを押して、通帳をセットした。機械の画面には「ただいま、お手続き中です」という文字と、銀行員らしき男女のイラストがおじぎをする姿が映し出されている。

そのイラストを眺めながら、私は待った。機械が「ジージジジ―」と音を立てて、私の通帳に数字を書き込むのを。

先月は、この場面で

「ただいま、通帳に記入するお手続きはございません」

機械から流れる女性の声に、やさしくそう言われた。しかし、今月は私の期待通り、機械が「ジージジジ―」と音を立てて、私の通帳に数字を書き込んだ。

「ああ、よかった!」

月末なのだから、振り込まれているのが当たり前なのだが、私は心底ホッとした。

ちなみに、今月、私に原稿料を振り込んでくれた会社は数社あるが、その中に出版社はない。美容、不動産、精密機械製造と、それぞれ業界が違う一般企業で、私がお世話になっている部署はいずれの会社も広報部である。

「まぁ、時代の流れかしらねぇ…」

ライターという仕事柄、これまで仕事を依頼されるのは圧倒的に出版社が多かった。しかし、本が売れないと言われている昨今、実際に出版社の財政は厳しいらしく、新たな依頼が増えるという期待は持てない。

一方で、「文章を書く」というニーズが減ったわけではない。むしろ、増えているといってもいいだろう。なぜなら、企業そのものが、SNSやホームページなどを使って、自分で情報発信をする時代になったからである。

「本じゃなくても、ライターの仕事はあるもんだねぇ」

このところ、私はつくづくそう思っている。

私は子どもの頃から、本が大好きだったし、今でも大好きだ。だから、この仕事をしている、と言っても過言ではない。

けれども、インターネットが一般的になった頃から、「本」というものの在り方が、時代とともに変化していることは否めない事実だと思う。

「昔は、本を出版するなんて、雲の上の人がやっていると思ってたもんね」

今や、ごく普通の人がSNSで話題になり、そのつぶやきをまとめた本がよく売れる時代だ。もしくは、人気作家ばかりが注目され、その作家の本を原作として映画やドラマになり、さらに本が売れるという仕組みである。

私のようなゴーストライターは、そのいずれの範疇にも入らない。文章を書くことを生業としているが、独自のアイデアや発想で物語を綴る「作家」というよりも、誰かを取材して原稿を書く「記者」に近いからだ。

「ま、自分の考えを書いてるわけじゃないから、ゴーストなんだけど」

SNSで話題になるわけでもない、名前が売れている作家でもない。そんなゴーストライターが、どのようにして生き残っていくのか。

「企業にもゴーストライターは必要なんですよ、っていうのが、ちょっと理解してもらえるようになってきたかな」

本は好きだ。本をつくっている出版社も好きだ。でも、ライターの仕事は、本にとどまらない。わかっているつもりだったが、それを改めて実感した1か月であった。

振り込み先が印字された欄から、出版社の名前が消えた通帳を眺めながら、そんなことを考えた。

真冬の2月から3月へ。新しいスタートを切る春が、もうすぐやってくる。


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