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尻切れトンボなシンデレラ大作戦

その人のことを思い出させてくれたのは「指」だった。

男の人なのに、細くて長くて白い、指。

その指で彼は、日本酒の入った小さなグラスを持ち上げると、半分ほど残っていたお酒をひといきに飲んだ。

「すみません、おすすめを、もう1杯」

細くて長い指をそろえて、スッとグラスを持ち上げるようにして、彼はスタッフを呼んだ。


その日、なじみの居酒屋のカウンターで飲んでいた私の隣席に、彼はたまたま案内された。ひとり客用の席が、私の隣りしかなかったのである。

その時から、私はなんとなく思っていた。

「この人、前に会ったことある…」

夢に出てきたとか、デジャヴとかではなく、明らかに以前、会ったことのある顔だった。だが、どこで会ったのかは思い出せない。

それからしばらく、私もその人も、それぞれがひとりで飲んでいた。私にとってはなじみの居酒屋なので、スタッフや店主と話しながらひとりで飲むのは、いつものことだった。

それが、ふとした拍子に「あ!」と思い出したのである。

この人と会ったのは、この店だった。もう半年以上も前のことだ。たしか、この人は山登りが趣味だと言っていた。なぜそんなことまで思い出したのかというと、「明日は山に登るから、朝が早いんです」と言って帰ってしまったからだ。

そこまで思い出してから、はたと迷った。話しかけようか、どうしようか…。話しかけても、相手は私のことなど覚えていないかもしれない…。

けれど、ここで話しかけなければ、おそらく一生、この人と再び会うことはないかもしれない。そう思ったら、たとえ相手が私のことを覚えていなくともいいか、と考え直した。

「あの~。もし、違っていたらごめんなさい。もしかして、山登りをする方じゃないですか?」

「え?ええ。そうですけど…」

やっぱりそうだった。突然話しかけた私に、相手はびっくりしたような顔をしたから、私はあわてて言った。

「いえ、あの、ずい分前に、この店でお会いしたことがあって…」

「え?そうでしたっけ?」

「あ~、あの…。ああ、そうそう。その時、私の髪の毛が長かったから、印象がだいぶ違うと思うんですけど…」

そうなのだ。この人と会った当時、私の髪は長かった。短くしたのには、深い深い理由があるのだが、今、目の前にいるこの人にそんなことは関係ない。

「ああ、そうでしたか。ボクはよく覚えてないんですけど、お会いしたんですね」

いぶかしげに私を見ていた彼の表情が、少しやわらかくなった。

それからしばらく、私たちはこの店のお酒のことや料理のことをサカナに、おしゃべりしながら一緒に飲んだ。何をしゃべったのかはよく覚えていないが、楽しかったことだけは覚えている。

「ところで、なんでボクのこと、覚えてたんですか?」

お互いにほろ酔いになった頃、彼が私にそう尋ねた。そういえば、なんでだろう?しばらく考えてから、私はこう答えた。

「あの時も、一緒に飲んでて楽しかったのに、『明日は山に登るから』って、結構早く帰っちゃったんですよ。だから、覚えてたんです」

と言いながら、自分でも改めて「そうだそうだ」と思った。あの時も、たしかに楽しかった。もしかすると、駅まで一緒に帰れるかも、と思ったのに、彼は先に帰ってしまったのである。

その「尻切れトンボ感」があったから、かえって彼を覚えていたのであろう。


そういえば、物語には「尻切れトンボ感」があるからこそ、次につながる話がある。

たとえば「シンデレラ」

舞踏会で王子さまは、シンデレラと楽しくダンスを踊っていたのに、午前0時になった途端に、シンデレラはあわてて帰ってしまう。あわてたがために、彼女はガラスの靴を片方だけ、お城の階段に忘れてしまうわけだが、この時、王子さまが「もうちょっとシンデレラと踊りたかったのに…」と思わなければ、後にガラスの靴の持ち主を探したりはしなかったのではないだろうか。

つまり、この「もうちょっと踊りたかったのに」という尻切れトンボな感じが、後の幸せにつながるわけである。


…ということを考えた私は、今、目の前にいる彼に対しても「尻切れトンボ感」を残した方がいいんじゃないかと思った。以前は、私が彼に対して「もうちょっとしゃべりたかった」という尻切れトンボな感じを抱いたので、今回は逆バージョンにしようと思ったのである。

ひとしきり一緒に飲んだ後、実はまだしゃべり足りなかったが、私はスタッフに「お会計をお願いします」と声をかけた。

「え?帰っちゃうんですか?」

「あ、はい。今日は結構、飲んじゃったので」

「ああ…。そうですか…。もう少し一緒に飲みたかったなぁ」

(え?い、今、なんて仰いました?もう少し一緒に飲みたかった?あ、あの、本当はいいんですよ。もう少し一緒に飲んでも…)

と言いたいのを、私はグッとこらえた。そして、さわやかにお会計を済ませると、バッグを持って帰る準備をした。

そうしたら、彼はこう言ったのである!

「あの、連絡先、交換しませんか?また一緒に飲みましょう」

(わ~い、やった!うれしい!教えます、教えます、連絡先!)

と言いたいのを、私はまたグッとこらえて、あくまでもクールに「ええ、いいですよ」と答え、バッグからスマホを取り出した。

そして、私たちは連絡先を交換した。「尻切れトンボ感」の作戦は、大成功であった。

彼からのメッセージはまだないが、スマホの連絡先を眺めては、ニマニマしている。シンデレラだって、王子さまと再会するのは舞踏会から何日も後のことである。私もしばらく待とうではないか。


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