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ゴーストライターの悲しい月末 第1話

蝋梅を眺めて受ける連絡に

完成知るも振込みはなし


「本当に、素晴らしい本に仕上げていただいて、ありがとうございました!」

スマホの向こうで彼女は、感激した声でそう言った。私が彼女からの電話を受けたのは、たまたま公園を歩いていた時だった。公園内には、冬晴れの青空をバックに、ぽつりぽつりと蝋梅が咲きはじめていた。

彼女というのは、私が仕事で関わった自費出版本の著者である。私は彼女の言葉を引き出して、文章にした。いわば、ゴーストライターである。

2年ほど前、私は出版社からの依頼で、彼女の本を手がけることになった。通常、私がゴーストライターとして関わる本は、そんなに長い期間をかけることはない。しかし、今回の場合は、先方の都合で数か月間の空白期間があったため、約2年間という長期にわたる仕事になった。

私は、彼女と何度も打ち合わせをして、原稿を何度も直し、最終的にOKをもらった原稿のデータを、出版社に送った。それが、1か月ほど前のことであった。

「ようやく、できたんですね。よかったですね」

「はい、ありがとうございました!本当に素晴らしくて、100点満点なら何点かと聞かれたら、120点と答えたいです!」

彼女は作家ではなく、一般人だから、自分の言葉がきちんとした本になったことが、よほどうれしかったのだろう。その本の、どこが素晴らしいか、そして、ゴーストライターという仕事がいかにすごいものかと、電話でとうとうとしゃべり続けた。

「私ひとりでは、ゼッタイに完成しませんでした。どんなに感謝しても、しきれません」

「いやいや、そんな…。ライターの仕事としては、普通のことですから」

あまりにもほめられて、ちょっと気恥ずかしくなるくらいだった。彼女は、なんだか話し足りないようだったけれど、私は長電話があまり得意ではないので、スキを見つけて「申し訳ないのですが…」と電話を切ろうとした。

「ありがとうございました!これからも、お仕事、がんばってください!」

「はい、ありがとうございます」

ようやく電話を切ることができたのと、手がけた本が完成したのを知ったのとで、二重にホッとした。

ああ、よかった。これで間違いなく、原稿料が振り込まれるはずだ。

そのことが、最も私の心を安どさせた。原稿は前年の12月中に送り、請求書も一緒に送った。だから翌月の月末、つまり1月31日には、出版社から私の口座に原稿料が振り込まれているはずである。

そして、彼女から電話があったその日は、1月31日金曜日であった。

「よし、本が無事に刊行されたことだし、通帳に記帳しに行こうっと」

私はウキウキして、銀行のATMへと足を運んだ。今回の仕事では、いろいろ大変なこともあったけれど、原稿料が入ればすべては報われる。私はそのために働いてきたのだから。

ATMの自動ドアを開け、機械の「通帳記帳」のボタンを押して、通帳をセットする。機械の画面には「ただいま、お手続き中です」という文字と、銀行員らしき男女のイラストがおじぎをする姿が映し出されている。

そのイラストを眺めながら、私は待った。機械が「ジージジジ―」と音を立てて、私の通帳に数字を書き込むのを。

ところが…。

「ただいま、通帳に記入するお手続きはございません」

機械から流れる女性の声が、やさしくそう言った。え?今、「ツウチョウニ、キニュウスル、オトリヒキハ、ゴザイマセン」って言った?なんで?今日は1月31日でしょう?しかも、もう午後3時前だよ。私の原稿料、入ってないわけないでしょう?

そう思ったが、機械から「ギー、ガチャン」と音がして、私の通帳が出てきた。あわてて確認したが、そこには新たな数字は書き込まれていなかった。

「え?なんで??」

私はつい、声に出して言ってしまった。隣のATMで操作をしていた人が、いぶかしげな表情で私を見た。月末のATMには行列ができていて、列の先頭の人が「終わったんなら、早くどいて」とでも言いたげな表情で私を見ている。

「あ、すみません…。お待たせしました」

私は小さくつぶやくと、ATMを後にした。なんで?なんで、本はきちんと刊行されたのに、私の口座には原稿料が振り込まれていないの?

「まぁ、でも、今日は月末の金曜日だから、経理のお姉さんが忙しくて、振り込みが間に合わなかったのかな?っていうことは、月曜日には入ってるよね」

私は、自分にそう言い聞かせることにした。そして、月曜日にもう一度、ATMに来て、通帳に記帳することにした。月曜日こそ、私の大事な原稿料が入っているのが確認できるはずだ。

この時の私は、なんて浅はかというか、能天気だったのだろう…。(次回へ続く)


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