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「心」と「感情」の意味を調べたら、悟りをひらいた気分になった

「心」と「感情」

それが、全く違う意味だということを、今の今まで知らなかった。あまりにも当たり前に使っている言葉だから、改めて意味を調べたことなどなかったのである。

改めて調べてみたら、実にいろんな意味が載っているのだが、私は「これは!」と思った、わかりやすい例を引用する。

かん‐じょう〔‐ジヤウ〕【感情】
物事に感じて起こる気持ち。外界の刺激の感覚や観念によって引き起こされる、ある対象に対する態度や価値づけ。快・不快、好き・嫌い、恐怖、怒りなど。<デジタル大辞泉より>
こころ【心】
1 人間の理性・知識・感情・意志などの働きのもとになるもの。また、働きそのものをひっくるめていう。精神。心情。<デジタル大辞泉より>

心も感情も、人間の中にあって目には見えない、という意味では共通している。けれども、「心」は感情のモトになっているものだし、「感情」は外からの刺激によって引き起こされるもの、なのだ。

そうなのね!!そんなこと、知らなかったよ!

だから例えば、冒頭の写真のように、青空をバックに紅葉が赤く色づいている様子を見て

「わぁ~!きれい!」

という「感情」が引き出される。そう思える「心」を持っていると。

ええっと…。

これではいろんな人に共通しすぎて、かえってわからないので、もうちょっと個人的な例を挙げることにしよう。

例えば、この電車の写真。

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これは、関西の方にはおなじみの、阪急電車である。

なんてことはない電車の写真なのだが、私はこのあずき色の電車を見る度に、いろんな感情がわきあがってくる。いや、正確には「以前は」いろんな感情がわきあがっていた。

なぜなら、数か月前、恋人と別れるきっかけになったのが、この電車の駅だったからである。

当時、彼は仕事の都合で、東京と大阪を行ったり来たりという生活をしていた。とある週末、私たちは大阪で会うことになり、阪急電車の梅田駅(現在は大阪梅田駅)で待ち合わせをした。

ところが、彼が大幅に遅れてきた。長い時間待たされた私は怒って、駅の改札近くで大ゲンカになった。むくれた私を連れて、彼はこの電車に乗った。私は電車の中でもむくれたままで、目的地へ着くまで何もしゃべらなかった。

あの時、なんであんなに怒っていたのだろう。なんであんなに、激しい感情をむき出しにしたのだろう。

彼と別れた後、たまたま出張で大阪へ行くことになり、あずき色のこの電車を見かけて、あの時のいろんな感情を思い出していた。電車のドアが開いたら、彼がひょっこり出てくるんじゃないかと思った。

けれど、その出張からさらに何か月も経った今は、そうでもない。大阪へ行くことがあっても、あずき色の電車を見ても、もう、なんともないと思う。

そうか。これが「感情」というヤツか。

なんてことはない電車でも、見た人によっては、特別な電車になる。本当は、ごく普通の電車なのに、「ドアが開いたら、彼がひょっこり出てくるんじゃないか」と思わせてしまう。

これは「感情」のなせるワザである。

感情は、見えるものを見えなくするし、見えないはずのものを見える気にさせる。

その「感情」のモトになっているのが「心」なんだそうである。

お坊さんとかがよく「心を落ち着けて」というようなことを仰っているが、これはそういう意味だったのだ。そうか。なるほど。

心が落ち着いていないと、見えるものが見えなくなるし、見えないはずのものが見えちゃうよ、っていうことなのだ。なるほど。すごく納得した。

「心」と「感情」という言葉の意味を改めて調べただけで、なんだか悟りをひらいた気分である。


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