名物教授

  白門大にFという名物教授がいた。煙草をくゆらしながら教室に入ってくる。始業の鐘が鳴るとやおら煙草を教壇に叩きつけ、靴で踏みにじり火を消す。そして「ニーチェにいわく」と講義を始める。メモもみずただひたすら話し続ける。教室は常に満員。学生たちは名調子に魅了されている。その飾らない人柄のゆえであろう。大学周辺の寿司屋や、蕎麦屋のおやじさんたちも、聴講に訪れていたという。絵に描いたような名講義である。

 いまF教授がいたらどうなるのだろうか。煙草を教室で吸う時点でアウトである。学内全面禁煙が大学のお約束。火災報知器が煙草の火を感知すれば、スプリクンラーが作動する。教室は水浸しになってしまう。レジュメも配らない。板書すらしない。もちろんパワポなどは使わない。こんな授業スタイルでは、学生の授業アンケートでは最低の評価しか得られない。学生だけではなく親たちからも、「怠慢教師」として苦情が殺到するはずだ。

 かつては、もぐりの学生に大学は寛容だった。自分の大学の授業には出ず、他大学の授業ばかり受けている学生さえいた。いまは違う。親は高額の授業料を大学に納めているから、授業料を払っていない人間が、授業に潜り込んでいることが許せないのだ。市井の人々が授業にもぐりこんでいることはいまや美談ではない。見知らぬ中年男性を教室でみかけたら、学生たちは事務局に通報するだろう。大学側もこれを重大視するに違いない。

 白門大では卒業生のことを「学員」と呼ぶ。団塊の世代の「学員」諸氏は、誇らしげにF教授の名講義の思い出を語る。しかし、いまの基準に照らした時、教場で喫煙をし、ただひたすらしゃべる続け、部外者を招き入れるF教授は最低の教員なのである。重い処罰を受けることは免れないだろう。「母校の誇り」が「最低の教員」に。これほど大きく日本の大学は変わってしまった。これは進歩なのだろうか。はたまた退化なのであろうか。

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