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僕たちはいつからスマホを手放せなくなったのだろう。


今回は自分が日々過ごす中で生まれた"主観的な想い"を文字という『無機質な記号』に閉じ込め、いつでも客観的に振り返れる状態にしておこうと思い立ちこの執筆に至る。言わば「エッセイ」感覚で綴る文章と言っていい。


僕は今、吉見俊哉氏の著『メディア文化論』を読んでいる。この本はまさに「メディア学の入門書」と言えるべき本で「メディアとは何か?」から始まり「メディアが誕生してからの発展の歴史やその内容」がわかりやすくまとめられている本となっている。


そしてこの本を読み進めていく中で、僕が「メディア」を学ぼうと思うキッカケとなった"疑問"を解決してくれるような言葉と出会ってしまった。。

メディアとは、たんなる伝達の手段というよりも、身体が世界に関わる仕方を構造化する制度であることがわかります。メディアの変容は、世界を思考する技術の変容にほかなりません。

それがこちら。この文章を僕なりに解釈して捉えなおしてみると「メディアの変化は僕たちの思考や価値観の変化をもたらす。それほどに僕たち人類においてメディアという存在はとてつもなく大きい」ということではないかと。


僕は本当にこの考えと出会いたかった。


「個人の時代」「インフルエンサー」「好きなことで、生きていく」「オンラインサロン」という言葉やコミュニティ概念の誕生は新しい価値観や生き方を生み出したのだと僕は思っている。


ではそのような言葉やコミュニティ概念が生まれたのには何が起因しているのだろうか?


それこそまさに「メディアの変容」だと思うのだ。

インターネットやスマートフォンが生まれたからこそ「個人が発信や表現できる環境」ができた。自分の発信が地球の裏側に存在する知らない人に一瞬で届く世界が到来したのだ。


僕はこれを『世界の拡張革命』と名付けたい。

ホモサピエンスという種としてこの地球に生まれ、文明を生み出し、計り知れない時間の中で少しずつ少しずつ発展してきた私たち。そうやって紡いできた今のこの現代はとてつもなく凄い世界なんじゃないかなって思うんですよね(ここはあえて凄いっていうスーパー抽象的な言葉で留めておきます)。


誰かと話したかったら誰かに電話をかければいい。分からないことがあればGoogleで調べればいい。誰かと絡みたかったら誰かとLINEすればいいし、自分の発信や情報収集はTwitterをやればいい。暇を潰したければInstaで誰かのStoryを見たり、YouTubeを見ればいい。はたまたTikTok派やNetflix派やゲーム派もいるかもしれない(うん結論無限にありますねこれ)。


これをもっと人間の性質にそって言い換えてみると、常に誰かと繋がっていることが可能になり、知的欲求を簡易であってもすぐに満たすことができ、知らない誰かと繋がることもでき、他人の世界を知ることもできるようになれば、自分の承認欲求を満たすこともできるし、なんといっても余暇の過ごし方のバリエーションが増えたと言えるんじゃないか。


そしてこれら全てが「スマートフォン」という手に収まるサイズの機械で可能なんだと。いや、もうこれ神のアイテムと言ってふさわしいくないか?そして何と特に僕たちの世代はこれが『当たり前のモノ』として育ってきたという。これはもう僕にとっては神秘でしかなく。。。


だからこそ僕たちが今やスマホはなくてはならない存在であり、依存してしまう存在であるのは至極真っ当なことだと思うんです。それだけの機能がありそれだけの価値があると。

この動画ではそのスマホ依存について人間の本能的な部分に焦点を当てて語っているので面白いです。


僕がこういうことに疑問を持つことになったキッカケは『電車』だ。

僕たちが電車に乗っている時間というのはつまり「余暇」な時間なわけで、その時間をスマホの時間に充てている人は多いだろう。僕も基本スマホか音楽を聴きながら読書かの二択だ。


その日もいつもと変わりなく電車に乗っていたんだけど、ふと車内を見渡した時に全体の約8割ぐらいの人がスマホを見ている光景があって。普通ならスルーすると思うんだけど何かモヤモヤとした違和感があって。その違和感っていうのが「電車の中という空間においてその人の身体という物理的なモノはその現実世界に存在しているけれど、その人の意識や精神はスマホが創り出す拡張世界に存在している」んだっていう言語化に成功したときは物凄くスッキリしたのを覚えている。いや革命じゃんって。空間的に言えば漫画で言うパラレルワールド的な感覚に近いのかなと。


その出来事をキッカケに僕は「メディア」という存在に凄く強い興味を抱くようになったんだと思う。


僕たちの価値観や生き方がどれだけメディアの影響を受けているのか?はたまた一方でスマホやインターネットがなかった昔はどのような世界の構造だったのか?とかもう物凄く知りたくて知りたくて仕方がない。とにかくこの溢れ出る知的欲求を満たし尽くして生きたい。


とにかく知り得るだけの情報を喰らい尽かせてやろうと思う。学ぶって、楽しいね。






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