art=美術なのか?じつはそうとも言えないという話。

みなさんは、「art を日本語に翻訳してください」と言われたらなんて訳しますか?

芸術でしょうか?

それとも美術?

カタカナでアート?

どれでもない他の何か!?


ちなみに美術史は、英語で History of Art です(あえて小文字にしたり複数形にしたりする場合もあります)。

なら art=美術でいいじゃないかと思われますが、じつはそうとも言えないのです。

今回は、art は日本語でどう訳せるのかというお話をしたいと思います。


ではまず、翻訳書はどう訳しているのか確認してみましょう。

『でも、これがアートなの?』という美術入門書の邦訳と原文を比較してみます。

まずは、邦訳から。

本書は、芸術(美術)理論と呼ばれている分野の話題を取り上げて、「アートとは何か」「アートは何を意味するか」、そして「なぜ私たちはアートに価値を見出すのか」について考察するものである。(p.11)

この一文には、芸術・美術・アートの3つの言葉が使われています。

正直に言うと、ボクが初めてこの一文を読んだとき、この3つがどう違うのかわからず、けっこう混乱した覚えがあります(笑)。

原文は、どうなっているのでしょうか。

This is a book about what art is, what it means, and why we value it —a book on topics in the field loosely called art theory.(xvii)

原文では、art しか使われていません(!?)。

つまり、art には、芸術・美術・アートと3通りの訳し方があるようなのです。

これ、地味にすごくないですか?

この3つの言葉をどのように使い分けているのか、不思議ですよね。


念のために、もう1冊だけ確認してみましょう。

『美術を書く』という本を見てみます。

美術について書くと言っても、いったい「何」について書くのだろうか。美術、あるいは芸術とは何だろうか。(p.8)
Writing about what? What is art? (p.1)

この本でも、art を「美術、あるいは芸術」と訳しています。

2冊の本を確認したところ、やはり art の訳語は一つに定まっていないということになりそうです。

なぜでしょうか?

すこし結論を先に言うと、art が時代を経て意味の変化を重ねてきた言葉であることがややこしさの原因です。

なので、この2冊の翻訳が悪いわけではありません(どちらもとても良い本なので、別の記事でもオススメしました)。


次に、芸術と美術の意味を辞書で確認してみます。

『広辞苑 第七版』から引用します。

【芸術】
①技芸と学術
②(art)一定の材料・技術・身体を駆使して、鑑賞的価値を創出する人間の活動およびその所産。絵画・彫刻・工芸・建築・詩・音楽・舞踊などの総称。特に絵画・彫刻など視覚にまつわるもののみを指す場合もある。
【美術】
(西周による fine arts の訳語)本来は芸術一般を指すが、現在では絵画・彫刻・書・建築・工芸など造形芸術を意味する。

芸術=art、美術=fine arts と対応していることがわかりますね。

そして、芸術のほうが「技芸と学術」という、美術よりも広い意味があるようです。

ただ、芸術が「絵画や彫刻など視覚にまつわるもののみを指す場合もある」ともあります。

これは、芸術=美術とする場合もあるってことですよね。

美術も「本来は芸術一般を指す」と書いてあります。

つまり、本来は芸術=美術である。

どういうことでしょうか?

ともかく、両者の区別は、やはりはっきりしていないようです。

それがなぜなのかを知るには、それぞれの言葉の成り立ちから追っていく必要がありそうです。



さて、前置きがすこし長くなってしまいました。

今回は、art ・美術・芸術という3つの言葉を中心に、その成り立ちを解説していこうと思います。

そこで参照したいのは、「芸術(art)」について解説した美学者の佐々木健一さんによるテキストです。

「コトバンク」で読むことができます(日本大百科全書(ニッポニカ)の箇所)。

このテキストが理解できれば、だいたいの問題は解決すると思います。

ただ、情報がたくさん詰まっているので、今回は言葉の成り立ちを理解するのに必要な箇所だけ言及し、ボクが適宜補足していくことにします。


佐々木さんは、「変動する芸術の概念」という節で、西欧において art は、以下のような段階を経て、現在の芸術としての意味を持つようになったと言っています(引用は時系列に並べ替え、ボクが文章を要約してます)。

artは、ラテン語のアルスars、さらにギリシア語のテクネーtechnéに由来し、もともと学問と技術という広い意味をもつ言葉だった。
現在のように文学、音楽、美術などを包括して一つの領域とみる考え方、すなわち芸術としてのartは、ようやく18世紀中葉の西欧において成立したものである。
この近世的概念としてのartは、まず「美しいart」(フランス語ではbeaux-arts、英語ではfine arts、ドイツ語ではschöne Künste)と表現された。
「美しいart」は、芸術一般をさすとともに造形芸術の意味でもあった。
18世紀末には端的にartといって「美しいart」をさすようになった。

art は、学問と技術という広い意味の言葉から、美を表現する技術を束ねる言葉として再構成され、現在の芸術という意味で使われるようになったと言います。


「『美しいart』は、芸術一般をさすとともに造形芸術の意味でもあった。」というのは、すこし補足が必要かと思います。

これはつまり、美を表現する技術のなかでとくに重要視されたのが、絵画や彫刻などの造形芸術だったということです。

歴史的な経緯をたどると、造形芸術に関わる「技術(art)」は、まず中世の頃には社会的地位が低いものと見なされていました。

それがルネサンスを経て18世紀になるまでの間にどんどん地位を向上させ、ついに「技術(art)」の概念を再構成させるまでに至ったのです。

フランスの芸術社会学者ナタリー・エニックさんの『芸術家の誕生』によれば、その再構成はまずフランスで起こりました(ちなみに英語のfine artsとドイツ語のschöne Künsteは、フランス語beaux-artsの訳語です)。

その際に重要な要因となったのは、画家の身分の向上と絵画の格上げだったと言います。

以上のような経緯で art は、芸術一般を指すようになると同時に、とくに造形芸術を意味するようになりました。

こうして造形芸術の歴史は、History of Art になったわけです。


では、日本ではどうだったのでしょうか。

佐々木さんは、さらに、西欧での「art」概念の変化に対応して、日本語訳の「美術」「芸術」という言葉も整理されていったと解説しています。

日本でも当初(明治5年以後)「美しいart」を直訳した「美術」が芸術の意味で用いられた。
現在のような芸術‐美術の区別が定着したのは明治30年(1897)以後である。

「日本でも当初、『美術』が芸術の意味で用いられた」というのは、あまり一般には知られていない事実かもしれないので補足しておきます。

日本で初めて「美術」という言葉が用いられたのは、日本政府が1873(明治6)年のウィーン万博参加の際、その出品区分をドイツ語から翻訳した文書においてだった、というのが通説になっています(なので、『広辞苑』にあった「西周による fine arts の訳語」という記述は、厳密に言えば正しくありません)。

その書類には、次のように注釈が付されていました。

美術〈西洋ニテ音楽、画学、像ヲ作ル術、詩学等ヲ美術ト言フ〉

これは、現在の芸術のカテゴリーとほとんど同じですよね。

現在の語感とはだいぶ異なるので意外に思われるかもしれませんが、たしかに「美術」は「本来芸術一般を指す」言葉だったのです。


今では、美術と言われて音楽や文学をも想定する人はまずいないでしょう。

美術が芸術一般を指していたのは、もう過去の話です。

美術は、一般的には絵画と彫刻を中心とした造形芸術に特化した言葉として使われていると思います。

一方で、西欧で「美しいart(fine arts)」は、今でも音楽や文学などの芸術一般という意味を持つ言葉ですから、そこに美術とのズレがあります。

西欧では「art ≒ fine arts」であり、どちらも造形芸術を念頭に置きつつも芸術一般を意味する言葉ですが、日本では「芸術⊃美術」であり、主に「美術」が造形芸術を指しています。

もし「芸術=art」と「美術=美しいart(fine arts)」といったように正確に対応しているなら、「History of Art」は「芸術史」と訳してもよさそうですが、そうはなっていませんよね。

西欧においては、先ほど言ったように造形芸術が何百年もかけて「技術(art)」の中で存在感を増していった過程がありましたが、日本はそれがないまま「美しいart」という概念を国家が近代化していく過程で輸入しました。

西欧の概念を急いで吸収したために、このようなズレが生まれたのだと思います。


ところで、芸術や美術以外の訳語としてカタカナの「アート」もありましたね。

これは、とくに20世紀後半以降の現代アートに関連して使われることが多いです。

その背景には、絵画や彫刻といった美術の既存ジャンルに当てはまらない表現がたくさん現れ、それと並行して、もはや美を表現の本質とはみなさなくなったという事情があります(その説明の際には、マルセル・デュシャンがよく引き合いに出されます)。

日本では、「○○・アート」と海外の新しい動向を指すために使われるようになったり、芸術や美術といった言葉の堅苦しさを嫌った若い世代が「アーティスト」と名乗るようになったり、はたまたネイルアートやメイクアップアーティストなどのように、いろいろな仕事に対して使える勝手の良さもあったりして、現在のように広く流通するようになった言葉のようです。

なので「アート」は、単純に art をカタカナで表記しただけではなく、最近の動向に対応する言葉として使われていると言えます。



では、そろそろ結論に移りたいと思います。

美術・芸術・アートはどれも、現在でも意味が変化し続けている art という言葉に対応するために生まれた訳語でした。

しかし、厳密にはどれも art の訳語になりきれていません。

なので、芸術・美術・アートのそれぞれの成り立ちを踏まえたうえで、 art がどのような文脈で使われているかに応じて、どれを訳語にあてるか考える必要がある、というのが今回の結論です。(もちろん伝統的な意味での学問や技術などが適切な場合もあります)。


最後になりますが、「art をなんて訳しますか」という質問でTwitterアンケートを取ったところ、結果は以下のようになりました。

みなさん、ご協力ありがとうございました。

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芸術が上位になるだろうなぁと予想はしてましたが、美術が「他の何か」にすら負けて最下位になったのは正直驚きました。

美術ってそんなに人気ないんですね。

たしかに、美術を避けたくなる気持ちはよくわかります。

「美」とか「美しい」って言葉はなんだか仰々しくて、あまり日常会話で使いませんよね。

そのうち「『美』とはなんなのか」についての記事を書きたいと思っているので、そこでこの点は詳しく述べたいと思ってます(次の記事かは未定ですが、お楽しみに)。



参考文献


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