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不幸から生まれる共感力がもたらす深い幸福感とは

第九話  本当の共感力はマイノリティーになることではじめて得られる

ある米大学日本人科学者の神経科学的世界の考察

”人生が与えてくれる試練に真摯に向き合い続ければいまはまだ見えない「意味」が見えてくる。それは子供のわたしが死に物狂いで探していた「生きる意味」の一つでした。”      さかい としゆき

1 「痛みを知らない鈍感さ」は人を傷つけ続ける

「鈍感さ」「図太さ」は日本ではしばしば美化されることがあります。

小さなことで悩んだりくよくよするよりは、鈍感であった方が物事を進めやすいと。

しかしその同じ鈍感さがどれだけ他者、特に社会的弱者を苦しめるのかという議論がぽっかりと欠落しています。

これは、私が第八話で述べているように、日本社会では社会的弱者の人間として生きる権利がしばしばおろそかにされ、いじめ、ハラスメントなどの被害者の多くが深い心の傷を負いながらも、黙って一生苦しみ続けるのが当たり前であるという負の社会構造に深く関連しています。


弱者の痛みを知らない鈍感な人々は、平気で他者を

イジメ続け、

虐待し続け、

そして弱者にハラスメントを繰り返します。

人の痛みを知らない鈍感さは、多くの人々を苦しめる社会問題の大きな原因の一つと言えます。

2 いじめ、ハラスメントの加害者に欠落した共感力

その鈍感さの原因の一つに共感力の決定的欠如にあります。

そしてその共感力の欠如には、いくつかの理由があります。

その大きな原因の一つとして、人生で挫折や失敗をまだ経験していないことがあります。

挫折することで人がどれほど傷つき、落胆し、そして孤独感にさいなまれるかを経験したことがないので、他者が挫折した時にその心情を推し量る能力がぽっかりと欠落しているのです。

これは、サイエンスでも研究されているエンパシー(Empathy)の資質に密接に関係しています。

エンパシーとは, 他人が痛みを感じているときにそれをあたかも自分のことのように感じその気持ちを推し量れる能力のことです。

エンパシーには大きな個人差があり、

他人の痛みを痛烈に感じることができる人もいれば、

他人の痛みを全く感じれず、無神経なふるまいを繰り返し、他者をほぼ無意識に傷つけ続ける人もいます。

他者に対してどれだけエンパシーを示せるかは、我々がますます多様性が加速する世界で生き抜く上で、他者と信頼関係を築けるかを大きく左右する貴重な能力です。

3 つらい人生経験が共感力を飛躍的に向上させる


エンパシーにはそれまでの自分の人生経験が大きく影響します。

我々人間は、死ぬほどつらい経験をしている最中には、しばしば自分が「不幸のどん底」にあると感じ人生を恨みがちです。

しかしながら我々の多くは、

その「不幸だと確信した経験」こそが後に自分の共感力を飛躍的に伸ばし、

その結果、他者との信頼関係を築く能力を大きく伸ばすことができる、

ということを簡単に見逃してしまいます。

私の人生はまさにこれを物語ってきました。

4 自分は「間違いなく不幸」だと確信していた学生時代


私は過去に、自分の人生はどうしてここまでつらいのかと自問自答したことが何度も何度もありました。

特に、子供の頃は生きるのがつら過ぎると自分の生まれた境遇を深く恨みました。

それを親にも何度も泣いて訴えましたが、その答えを与えられることありませんでした。

私は、幼い頃から重度の喘息に悩まされてきました。

少し体調を崩すとすぐに喘息の発作が出て、息ができないというほどに苦しむという経験を何度も何度も繰り返していました。

それは、病院で処方されるたくさんの薬を飲んでも変わらず、子供の私はこの恐ろしい発作が永久に続くのだろうかと自分の人生にしばしば悲観的になってしまっていました。

特に就寝時はまるで地獄のような発作が出ました。

横になるといよいよ息ができなくなり、このまま目をつむれば窒息して死んでしまうと本気で心配して眠れなかったことが幾度となくありました。

そんな病弱だったわたしは、時に「いじめ」のターゲットになりました(日本では簡単にこの「いじめ」という言葉が使われますが、そこに暴力があればそれはもう虐待もしくは犯罪であると私は今でも強く感じています)。

先生のいない教室内であからさまに殴るなどの暴力を振るわれたこともありました。

そのことを先生に伝えることさえもその暴力の加害者に力で遮られてしまいました。

そのことを親に伝えても、自分の子がそんな風にいじめられるはずがないと取り合ってもらえませんでした。

絶望したわたしは、その時自分の人生を心底恨みました。

やがて、日本の大学に入学した私は、勉強とアルバイトとの両立で体調を崩して休学することになってしまいました。

それまで、周りの友達や親の言う通りに、日本特有の社会レール(良い大学に行って、いい会社に就職)に従って生きていた私は、意に反してそのレールを一人転がり落ちるという経験をしたのでした。

その時、この日本社会での自分の人生は完全に終わったと本気で感じ、人生にとても悲嘆してしまいました。

5 日本での「不幸」な経験が知らぬ間に共感する力を養わせてくれていた


そんな「不幸」を確信した学生時代を過ごした私は、大学休学中にアメリカの大学で一から勉強するという人生最大の決断をしました。

驚いたことに、アメリカで一人で勉強するうちに、日本で経験した「不幸」に少しずつ感謝している自分がいることに気付きました。

それは、その「不幸な経験」のひとつひとつが実は、他者の痛みを自分のことのように感じれる共感力を向上させてくれていたことを悟り始めたからです。

実際、驚いたことに、私の共感する能力に触れて、助けられたと感じたアメリカ人やその他の外国人に感謝されるということがどんどん増えていったのでした。

幼少期、どうして自分だけが喘息で苦しまなければならないのかと何度も恨んだ私は、アメリカにきてから、世界でどれだけ多くの人々がさまざまな病気に冒されているのかを知りました。

もちろん私の喘息はひどいものでしたが、世界には私よりひどい病気や不幸に苦しむ人がもっとたくさんいたのです。

そのような人に会うたびに、私は彼らの気持ちを自分の病気のように感じ、その痛みを推し量ることが自然とできるようになっていました。

それは、幼い頃から病気で苦しんできた子供のころの自分がいたからにほかなりませんでした。

その時私は初めて、喘息に苦しみ人生を心底恨んだ子供のころの私に心から感謝することができたのでした。

さらには、日本の学校でいじめられた経験のある私は、いじめやハラスメントで苦しむ人々の痛みに人一倍敏感になり、たとえ他人でもいじめやハラスメントに苦しむ人を見れば、まるで自分のことのように感じ、できるだけ声を上げて助けるという勇気を持つことができるようになりました。

そして日本の大学を休学し引きこもった経験のある私は、人生で「挫折」したと感じる時期がどんなにつらいか、どんなに孤独かというのをいやというほど感じてきました。

そのおかげで今は、自分の周りで「挫折」したと感じ苦悩しているひとには自分のことのように共感し、自分の経験を踏まえたサポートをすることができるようになりました。

この、心から共感する能力は、外国人の私が異国の地で他者と深い信頼関係を築くのにこの上なく重要な能力としていつも私を助けてくれています。

この共感力は、私が日本で「不幸」や「挫折」を経験してこなければ獲得することのできなかった貴重な人生の「贈り物」だと今は感謝できるようになりました。

6 「盲目のマジョリティー」問題


共感力の欠如の大きな原因がもう一つあります。

それは、「マイノリティとして生きる」という経験の欠如です。

共感力の欠如が人々を苦しめるのは、日本だけではありません。

それは、世界のあらゆる場所で、社会的弱者を苦しめています。

アメリカに来てからもう何度も何度も聞いてきた話があります。

それは、アメリカにおいてのマジョリティー、すなわち多くの白人男性の「痛みを知らない鈍感さ」についてです。

アメリカの歴史上、多くのアメリカ人男性達は、ありとあらゆるマイノリティーや社会的弱者を徹底的に差別し阻害してきました。

これは、もう否定のしようのない歴史的事実です。

その冷酷な差別の矛先は、

女性、

先住民、

黒人、中国人、日本人、南アメリカ人などを含むありとあらゆる人種的マイノリティー、

性的マイノリティ、

などありとあらゆる白人男性以外の社会的弱者に容赦なく向けられてきました。

現在アメリカでは、多くの人々がマイノリティの人権保護に声高に声を上げて守るという運動を見るのが当たり前になり、マイノリティの人権保護という分野では世界が見なわなければならない場所変わりました。

しかし、それはアメリカのマジョリティー(多くの白人男性)のおかげではなく、ひとえに長年迫害されてきた様々なマイノリティが勇気をもって立ち上がって基本的な人権を人生を賭けて勝ち取ってきたおかげなのです。

実際、2020年になった現在でも、白人によるマイノリティに対する差別は公然と続いています。

貧しい有色人種は未だに理不尽な暴力や人権の侵害と隣り合わせで生活し、

女性の多くは未だに様々なハラスメントにさらされ、

そして様々なマイノリティがあらゆる場所で差別にさらされています。

にもかかわらず、マジョリティーの人々の多くはそのような差別やハラスメントの存在をかたくなに否定し、その排除に協力することを拒んできました。

それは、彼らとその家族たちが、アメリカの歴史上、初めからマジョリティとして生きてきているために、差別されているマイノリティ側の痛みが全く分からないという共感力の欠如が大きく関係しているといえます。

そして、残念ながらこの「盲目のマジョリティー」問題は、人類に共通した問題です。

それは、日本を含むほぼすべての国で起こりうる大きな害のある人間の行動パターンの一つなのです。

7 あえてマイノリティとして生きる経験を選択し共感力を磨く


日本国内でいうと、マジョリティーの代表はわれわれ「日本人男性」になります。

もちろん、日本国内にいるとマジョリティーであるという認識はとても薄く、それを否定する人々もたくさんいると思います。

しかしながら、意識してこの「盲目のマジョリティー」問題に目を向け、自身の思考、行動パターンに極力注意しなければ、簡単にアメリカで起きてきたようなマイノリティ差別の加害者側に陥ってしまいます。

例えば、日本人男性である我々の多くは(もちろんこの盲目のマジョリティーにならない方々もいらっしゃいます)には、

女性やさまざまな社会的マイノリティがいま経験している差別的扱いによる本当の痛みを心から知ることは到底出来ません。

それは、われわれ日本人男性の多くが女性やその他のマイノリティには与えられていない権力や特権を当たり前のように独占してきたため、社会的弱者の経験する痛みを推し量る共感力が決定的に欠落しているからです。

8 共感力の欠如は国の未来を左右する


しかしながら、これからますます多様性が急速に加速する今の世界で、共感力の欠如は、国の未来を大きく左右するほど深刻な欠点となりえます。

本当の意味で他者の痛みを推し量れる共感力を持った人間になるのに、一番効果的なのは、さまざまな場所であえてマイノリティ側として生きる経験をすることです。

私の場合は、日本の大学を休学することで周りから脱落者、負け組として扱われ、

アメリカに渡って外国人マイノリティとして生きることでマイノリティとして生きることの本当の辛さ、孤独を身をもって経験し、

さらには、少数外国人の一人としてアメリカの大学院に進むということでさらにマイノリティとしての苦悩を知りながら生きてきました。

しかしそのおかげで、日本では他者の痛みをほとんど知らないし、推し量ろうともしない無知な人間であった私が、アメリカでマイノリティとして生きるという経験を通してさまざまな差別や苦悩を経験する他者に深く共感して、できるだけ手助けしたいと感じることができる人間に内側から変わることができました。

これは、ひとえにマイノリティとして生きるという決断をしたからこそ得られた貴重な人生の悟りでした。

9 これからの世界では、他者の痛みを知った強さが必要不可欠


これから、多様性が加速する世界で生き抜くためには、この本当の意味での共感力がとても重要になっていきます。

共感力を欠いた鈍感な人々は、いじめ、ハラスメントの加害者と簡単になってしまいます。さまざまなバックグラウンドを持った外国人がどんどん増える社会ではなおさらのことです。

これからの世界では、さまざまな逆境を経験している人々に深く共感しながらも、勇気をもって弱者の権力を擁護できる人間がますます貴重となってゆくでしょう。それは、多様な他者と信頼関係を築く上で、必要不可欠な能力であるからです。

次の世代の子供たち、学生さんには、これからの人生であえて厳しいマイノリティ(外国に住むということに限らず、日本国内でもさまざまなマイノリティが経験できるはずです)として生きる経験を積むことで、社会的弱者の痛みを経験を通して学ぶという努力をしてもらいたいと、心から願っています。

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米大神経科学者。日本の大学を体調を崩し休学し引きこもった後、英会話力「ゼロ」の状態から英語を猛勉強、渡米し世界有数の米大学(カリフォルニア大学バークレー校)を卒業後、米大学院で神経科学の博士号を取得。twitterアカウント: さかいとしゆき@SakaiToshiyuki0

コメント11件

とても考えさせる記事で感銘を受けました。人は誰しも鈍感な部分と敏感な部分が共存するところがあるように感じますが、過去の痛みをどれだけ自分以外の人との共感につなげなれるか?に人生の大きな課題があるように感じます。痛みが生傷のままだと、自分を庇うあまりに他人を傷つけてしまうこともある。生傷が古傷となり、やがてはそこから立ち上がることができた運命に感謝できるゴールがあるのだと信じることが今の苦境を力強く切り拓く一歩になるかも知れないという勇気を頂いた心地です。私はnote初心者ですがFacebookでシェアさせて頂きたいと思いました。
Mlyukiさん、

記事を読んで頂きどうもありがとうございます。

ぜひ多くの方々、特に子供さんや学生さんにこのメッセージを伝えたいと思っています。

人生が与える試練に、真摯に向き合い続ければ、今はまだ見えない意味が見えてくるということを知れば、人生はもっと生きがいのあるものになると思います。

さかい
MIyukiさんのコメントにはっとしました。

“痛みが生傷のままだと、自分を庇うあまりに他人を傷つけてしまうこともある。”

そうか、自己防衛の手段として、他人を傷つけてしまうのですね…

でもそれをやってしまうと、いつまで経っても傷は癒えない…

そんな人は、誰かが優しく抱きしめてあげる必要がありますね。

大丈夫だよと。
自分は変り者で内向的なのでマイノリティだと思ってきたけれど、日本に住んでいて高身長の男性というだけで優位に立っていたんだなと理解しました。
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