『鏡の孤城』:自分が父親になったら「待つ」ことはできるか?
久々に筆を執る。3週間ほど前、書店のメイン棚に『かがみの孤城』が文庫サイズで平積みになっているのを見て、思わず手に取った。
かがみの孤城(上)
かがみの孤城(下)
著書を購入したその日の夜に読み始めたところ、眠気が無くなって自分も「かがみの孤城」に入り、中学生7人の葛藤をそばで見守っていた。また、気づいたら彼ら7人の振る舞いを塾や高校のアシスタントで対峙する生徒に投影していた。
読み終えてからは、生徒(小学生〜高校生約50名)に進めたところ, 5人くらいが読み始めていた。それくらい著書は他者に勧めたい本の1冊で、普段読書に馴染みがない人への入り口になる。
また、普段コミュニケーションを取らない人でも、それぞれの「世界」なるものがあるから相手を尊重するきっかけを作ってくれるかもしれない。
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作中の伏線回収や中学生7人の葛藤が丁寧に描かれているところも述べたいところだが、1番感じたのは、子供の「(見守ってほしいけど)ほっといてほしい」なる感情と大人の「子供が学校に行けなくなった理由が知りたい」気持ちは相反するなぁ、と。
実際、こころちゃんのお母さんも、最初はこころちゃんが学校や心のスクールに行かない・行けない理由がはっきりしていないことに対して憤りを感じていた。
また、こころちゃんが日中に何をしているか気になって職場から家に戻ったこともある。
しかし、時間が経つにつれて、こころちゃんが学校に行けなくなった理由を言わなくても問いただすことがなくなった。
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そもそも人は、何らかの事象に対して理由なるものをつけて納得させたい習性があると思う。しかしこころちゃんのお母さんは、次第にこころちゃんを信じ続けることで自分自身を納得させていたように見受けられる。
この親子のやりとりを見て、例えば自分が将来、子供を持つようになって似たような境遇が来たときに、「子供の(見守ってほしいけど)ほっといてほしい」なる気持ちを尊重してひたすら待つことはできるだろうか、と思った。
雑な言い方をするなら、作中の件も含め全ては時間が解決してくれるだろう。しかし、その時が来るまでただ待つことは難しい。「待つ」ことはある種の愛なんだと思う。
以上です。
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