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エッセイ150. 早起きを振り返ってみた

上の写真は、輪ゴムで束ねてあるのが生協の大葉、
周りに並べた大きいのが、水耕栽培でできたものです。
日陰で育てるので、薄くて柔らかく、香りも高いような気がします。


今日は、早起きについて。

家族全員分作っていたお弁当が、夫のだけになり、さらに、
コロナ禍で出勤が減り、お弁当も週2、3回になりました。

上の娘はすでにコロナ時代以前に独立し、
たまに帰省しても友達と外食で、ほぼ家では食べません。

次女も大学最終学年ですが、最後の1年半がリモート講義となり、
お弁当は不要です。
前はアルバイトにもお弁当持ちでしたが、
今はバイト先の人と食べるのが楽しいようで、もう持って行きません。


やることがどんどん減っていくなぁ〜🙄
基本、家で一人だしなあ私。

ちょっと寂しいんですT^T


10年も前でしたか、あるとき、
実家の冷蔵庫に貼ってある 一ヶ月1枚の書き込みカレンダーを見ました。

そこにはよろよろした母の字で、

火曜日:主人パジャマ
水曜日:下着
土曜日:シーツ類

などと書いてありました。

1日に2回洗濯機を回さないと間に合わなかった「家族が若かった時代」から、
こんなふうでも十分になった老人の世帯になったのだと、わかりました。

もしかすると、このころすでに母は、
適当に洗濯物かごを見て、何をいつ洗濯すると決めることができなくなり、
こんなふうにメモをしていたことも考えられ、ちょっとはっとしました。


私もかつて、朝早く起きるということは、子供のことに直結していました。
授乳、搾乳、保育園のお弁当作り、吹奏楽部の土日練習のお弁当作り。

目が回る毎日でしたが、それがどんなに幸せなことであったか、
あたふたするばかりの私には、そのころは気づくことができませんでした。

私は高齢出産でしたが、仕事は長女・次女とも、出産2日前まで続けました。

頑張りすぎだっての!

タイムマシンに乗ってあの頃に駆けつけ、
ハリセンで後ろ頭を引っ叩いてやりたいです。

長女の出産2日前は金曜日でした。
最後のレッスンは、大手町の野村証券ビルのケネスくんでした。
週に3回、90分ずつもレッスンをとってくれていましたっけ。


先生、もしかして、もうそろそろではありませんか?

と訊かれ、

ーー予定日は明後日です。
  明日が金曜日だったら、明日だって来てたでしょうね。
  そうだ、もし、このレッスン中に陣痛が始まったらよろしくお願いします。
  な〜んてね、ははは!

と冗談で言ったら、真面目に、

大丈夫です。
秘書にすでに話してあります。

ーーえ〜、秘書さん、なんですって?

怖いと言って びびっていました。

・・・ということがありました。

無茶しよるがね〜。

(実際、その場で破水ということもありえたわけで、
 本当に無茶はいけませんよね)

出産まで、日本語レッスンバッグに 日によって違うウェアを詰め、
マタニティ・スイミングとマタニティ・ヨガに通いながらの仕事。

新橋で一つレッスンを終え、都営01系統の渋谷行きのバス乗るときもあれば、
時間があれば霞ヶ関、虎ノ門、六本木ぐらいまでなら、
平気で汗を拭き拭き歩いていました。
私たちは助産院で水中出産を選びましたので、
一日1万歩歩くのは宿題だったからです。
あんなに頑張ったのだから、妊娠してなければ、
一生に一回ぐらい、お腹に縦線入っていたかもしれません。

けれど、そ〜んなに頑張ったけど、難産で2泊3日かかりました。

なにもまぁ、そんなに張り切らなくていいのに、と
若い日の、若くなかった自分に言ってやりたいです。


出産後は3週間で復帰しました。
もちろん、週に2日か3日です。
それも個人レッスンで1日に1、2レッスンしかなかったし、
夫が子育てをしたくて主夫をやっていので可能なことでした。

な〜んであんなだったのか。
親に結婚や出産に反対されたことへの反発から、意地もあり、

安産!
母乳育児!
マタニティブルーとかはなしで!

みたいに、「取り憑かれていた」わけですね。

母乳は十分出ていましたが、仕事が始まれば、冷凍母乳を夫が解凍して飲ませることに決めていました。

仕事復帰ギリギリまで、母乳の十分な量を確保できず、
どうしようどうしようと、
夜中に泣きながらカネソンのポンプを使っていたのを思い出します。

粉ミルクで全然よかったのにね。
ガッチガチの頭でっかちでしたから。


でも、長女も次女も、母乳ドッカドカ出して、冷凍して乗り切りました。
だから私は、粉ミルクの作り方を知りません。

NZ帰省のときも、義母のフリーザーに母乳をたくさんストックして、
好き勝手に遊びに行っていました。
三ヶ月の乳児置いて。
勇気あるな〜。
でもその頃で、しっかり義両親と結びつきができたような気もします。

でもね、お若い皆さん。

なんでも「過剰」であるのは、いけないことだと精神病理学でも言います。
なにか、あなたをそうさせるものが、隠れているそうです。

体力の限り頑張れるのは若さの特権ですが、
辛いのに止まらなくなったら気をつけてくださいね。
と、いきなりお説教モードか。

当時の私は1日24時間テンパっていて、痛い人でした。


・・・最近お弁当をあまり作らなくなってみると、
今は認知症になってしまった母の、冷蔵庫メモを思い出したりするのです。

今の私が作っているのは、たまのお弁当に、ぎりぎり間に合う量の
ミニトマトやレタス、ハーブぐらいです。
それからなぜか大葉が大好きで どんな時にもごはんにのせる次女のため、
作っているところがあります。
あと数ヶ月で家を出て、私のごはんを食べなくなるので。

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昨日収穫しておけばよかったのに、今朝とりにいったら、大葉が丸坊主。
おのれコガネムシめ許さん!

みたいな毎日ですが、野菜づくりは楽しいです。


早起きの目的もどんどん変わりましたが、
この先もできるだけ元気に、すっきりと目覚める毎日が続くといいなぁ。



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油淋鶏・もやしと枝豆の巣ごもりたまご・ズッキーニの糠漬け
なんちゃってベーコン・きゅうりとにんじんのナムル・庭トマト庭レタス

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