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~Dave物語❹~

皆さんこんにちわ!今回もシリーズ4となる『Dave物語』をお届けしていこう。

ゴールドコーストに決めたわけ

前回はエージェントさんのサイトも添付しているが、オーストラリア東側に位置するゴールドコーストという街に渡豪することに決めた。そこでたくさんある国や都市の中からなぜオーストラリア?ゴールドコースト?という質問をよくされるが、僕自分もわからない笑。前回も書いてあるが海外について夢物語でしかなかった自分は、海外について無知だった。初めての海外で少し怖いなって思いがあったから治安の良い国というイメージがあったオーストラリア、そして調べてでできたエージェントの本部がゴールドコーストだったという流れで決まった。来た当初世界的にも有名なリゾート地ということも知らなかったし、毎年たくさんの日本人が観光で訪れている事も恥ずかしながら知らなかった。パスポートの発行や海外送金などエージェントからアドバイスを貰いながら準備を進めていった。僕は全てを自分でやると決めていたから、今までためてきた貯金、バイト代を使い全ての支払いをした。今思えばものすごい大金だったが、価値ある自己投資だったと思う。

感謝の日々

この記事を書くにあたってエージェントとの当時の連絡の履歴を見返すと初めての相談が5月中旬。文章からも不安な様子が伝わってきてそんな心配いらないよ!って教えてあげたいぐらいです🤣興味を持ちエージェントに連絡してから三ヶ月ちょっとで日本を旅立っていた。出発が近ずくにつれ友だちやバイト先、サッカー関係者の方々が送り出す会を開いてくれ、感謝の気持ちとともに大きく成長して帰ってきます!という思いも大きくなった。今でも当時の写真を見返し人に支えられてここまでこれたことに感謝している。

そしてついに出発の日。祖父母に行ってきますを伝え、空港まで姉と母が送ってくれた。父はトラックの運転手をしているため出発数日前に行ってきますを伝えた。妹は、サッカーのチームを代表し初海外で韓国へ遠征に行っていた。家族5人で海外経験があるのは妹と自分の2人で、妹もこの1回のみ。たまたま一緒になる偶然も重なり1週間ほど前に👋を告げた。

いざ、搭乗口エリアに向かう時涙を流す母を見ながら必死で涙をこらえた。本当に寂しかった。今も当時を思い出しながら記事を書いているが自然と涙が出てくる。それほどやっせんぼだった僕には大きな一歩だった。成田で時間を潰しゴールドコースト行きのフライトを待った。そして飛行機に乗る直前に父へ電話して改めて行ってきますを伝えたら父からは一言。

“選択に迷った時には母ちゃんが悲しまない方を選びなさい”

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初の海外生活スタート

感謝の気持ちと反対を押し切ってまで行くんだから、やりきって成長して帰るぞと心に誓ってゴールドコーストに着いた。真冬の朝早くに空港に着き半袖半ズボンだった僕は凍えたが、とても空気が美味しかったのを今でも覚えている。担当の方と会い3週間ホームステイでお世話になるホストファミリーのもとへ新鮮な景色を眺めながら向かった。ホストファミリーとの初対面では“Hi,Nice to meet you"と言われたが緊張やネイティブの英語を理解できずに固まったのが始まりだった。英語力はZERO。最初の1ヶ月語学学校に通ったが正直学校にくのが嫌だった。さっぱり分からない英語を英語で勉強するって難しいですよね…笑。後半はたくさんの友だちもできいい思い出になった。来てすぐは色々とお金がかかることもあり節約生活もした。ランチは$1ドルもしないたくさん入った食パンに安いジャムをジップロックに入れて持って行っていた。今となっては笑い話😁卒業後はクリーナーとして働き収入を得るようになる。家もシェアハウスに移り4ヶ月ほどで13カ国の人と一緒に住み英語を学ぶ環境としてはとても良かった。

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あっという間に月日は流れていくが、英語は相変わらず話せずにとりあえず、YES or NO&MAYBEしか言ってなかった。それでも仕事には慣れてきて成人式のため一時帰国を挟んで大本命のサッカーが始まった。(※サッカーについては別の記事で書かせて頂きます)サッカーのシーズンが始まるとほぼ毎週末試合があるため時間が過ぎるのが早かった。知り合いの方の手助けもあって一目惚れしたJEEPを当時の貯金の80%のお金を使って購入し、移動範囲も増え楽しみが増えた。本来1年だけと親に言っていたがサッカーで納得いかなかったためもう1年チャレンジしたいという気持ちがあり滞在延長を決めた。ワーキングホリデーでは、ファーム等で決められた日数働けばプラス1年ワーキングホリデー2NDビザという形で滞在が可能になる。しかし、シーズンが終わった頃には十分な日数が残っていなかったため、学生として残る選択肢を選んだ。

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変化の1年

単純にサッカーでやりきれなかった思いから、もう1シーズンプレーするため滞在延長を決め語学学校とビジネスコースに通った。学校では新たな出会いもあり海外生活に少し慣れてきた僕には新たな変化だった。そして度重なる家の引越し(現在13回)により面倒見てくれるお兄ちゃんやお姉ちゃんのような存在の人にも出会えた。仕事面では、クリーナーは社長の優しさもあり、在籍し続けながら寿司屋で働き始めた。自分の環境は少しずつ変わっていったがいちばんの変化はサッカーだった(サッカーについては別の記事で書かせてもらう)。考え方、気持ちの面でもものすごく変化し成長できた一年だったとお思う。それほどたくさんの時間を費やした分サッカーのことを詳しく書かないとそれ以外に書くことが思いつかないぐらいサッカーの充実した1年だった。

自分を出せた1年&さらなる目標を見つけた

サッカーのシーズン中は仕事×学校×サッカー(トレーニング)の繰り返しだった。シェアメイトからもよく多忙人と言われた。よくハウスパーティーや飲みに出かける時も仕事終わりやサッカー後で遅れて参加することがほとんどだったが、みんなずっと誘ってくれ新たな出会いの場を作ってくれた。本当に人に恵まれたなって今でも思う。


なんだかんだであっという間に月日は流れあっという間に学校も終わりに近づき新たな決断をしなければいけないこととなる。次回はそこから書かせてもらう。この回で終わるかと思っていたがもう少し続きそうなので、お付き合いください。

Thank you and see you soon👋

Yusuke Dave

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