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”見えてる人”が創り出すアート~ディスレクシア

ディスレクシアの方が創り出すアート作品を観たら、感動した!というボソッとです。

実は私のボソッとではディスレクシアの話が出てくるのはこれで3度目です。過去の2回はディスレクシアが秘めている能力について、さらにニューロダイバーシティの可能性についてボソッとさせていただきました。

ディスレクシアとは
学習障害のひとつで、知的な発達には問題はないが、読み書きや計算などが困難な状態、つまり認識するのが困難な状態のことを言います。

ニューロダイバーシティとは
Neuro(脳・神経)とDiversity(多様性)という2つの言葉が組み合わされて生まれた、「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこう」という考え方です。

そうなんです、私はディスレクシアの方が創り出すアート作品を観たことで、改めてディスレクシアが秘めている能力、そしてニューロダイバーシティの可能性を改めて感じたのです。

みんながディスレクシアのことを少しでも理解してくれば、みんなが彼らに少し寄り添えば、学校も社会も変わるはず、誰もが生きやすい世界が生まれるかもしれない、そんな可能性を!




ディスレクシアの方が創り出すアート作品


私が観たディスレクシアの方が創り出すアート作品との出会いは、ディスレクシアで画家の濱口瑛士さんが2つのテレビ番組にて出演されていたことがきっかけでした。

日本テレビ『ぼくら、ディスレクシア ~読めなくても、書けなくても~』

テレビ東京『23時の密着テレビ「レベチな人、見つけた』


濱口瑛士さんの作品


「旅立ち」

日本テレビ『ぼくら、ディスレクシア ~読めなくても、書けなくても~』
日本テレビ『ぼくら、ディスレクシア ~読めなくても、書けなくても~』
日本テレビ『ぼくら、ディスレクシア ~読めなくても、書けなくても~』


「mono frontier ~目をこらすべし~」

テレビ東京『23時の密着テレビ「レベチな人、見つけた』

小学校6年生のときに、建設中の空中都市を描いた絵。


「遭遇」

テレビ東京『23時の密着テレビ「レベチな人、見つけた』

パパラギという南海の首長がヨーロッパの近代文明に触れて感じたことを書いた本で、自分たちの原始的な世界つを賛美する内容に影響を受けて描いた絵で、インスピレーションは哲学書から得るそうです。


濱口瑛士さんの想い


瑛士さんの作品、私はどれを見ても”なんて優しい世界だ!”というメセンで観ることができました。


作品にに込めた想いを語っていた場面でも・・・

作品『旅立ち』に込めた想いについて
「自分の未来は行き先が見えないところがある。不安と期待が入り混じった気分を絵にした」

「やっぱり空想のモノを描くのが好きだし、自分でも得意だと思うが、リアリティのあるものを写すと、元の物以下しか生み出せない。」

日本テレビ『ぼくら、ディスレクシア ~読めなくても、書けなくても~』


作品を創る上で空想を大事にされていらっしゃるようですが、きっと”その空想も優しい”のではないでしょうか。空想が優しさであふれているから、作品にも優しさが表れていると思っております。そして、さらに・・・そんな瑛士さんもとってもお優しい方なんです。


絵画展に出展したときの映像で、瑛士さんの優しさに触れた場面がありました。

瑛士さんの絵を見て感動したという女性に接しているとき、人付き合いが苦手な瑛士さんですが、その女性が耳の不自由なことに気づき、ペンをとって始めたのが、「せっかくだから なにか えを かきましょうか」という苦手な文字を書いて筆談した。

日本テレビ『ぼくら、ディスレクシア ~読めなくても、書けなくても~』

そのときにおっしゃっていたことがとっても印象的でした。

「自分の好きなことで人の役に立てるのは、誰に対してもプラスじゃないですか、それは素晴らしいことだと思います。」

「いまも字は苦手ですが、私は絵で表現して社会とつながっていると実感しています。」

どんな人間でも創造の世界は自由だ

日本テレビ『ぼくら、ディスレクシア ~読めなくても、書けなくても~』


ディスレクシアの世界


ディスレクシアとは前述したとおり、読むことが困難な場合、違った見え方がしている。”認識のずれ”と考えられている。

例えば、文字がひっくり返してみえる。文字の一部が重なって見えるといった感じ。

また、漢字を覚えたとしても、すぐに忘れてしまったり、違った形で覚えてしまっているケースもある。

このように、読むことが困難な場合、書くことも困難な場合もあったりと、両方とも苦手な子もいたりと、ディスレクシアでも様々な症状があります。

もし私たちがディスレクシアだったら、世界はこんな感じです。

日本テレビ『ぼくら、ディスレクシア ~読めなくても、書けなくても~』
日本テレビ『ぼくら、ディスレクシア ~読めなくても、書けなくても~』
日本テレビ『ぼくら、ディスレクシア ~読めなくても、書けなくても~』


ディスレクシアの可能性


東京学芸大学名誉教授の上野一彦さんはこのように語っております。

上野一彦さん(東京学芸大学名誉教授)
「基本的には脳の中の部分的な働きがちょっとゆっくりしている。でもそのほかの部分は順調。あるいはもっともっとうまく働いている可能性もがある。」


日本テレビ『ぼくら、ディスレクシア ~読めなくても、書けなくても~』


日本テレビ『ぼくら、ディスレクシア ~読めなくても、書けなくても~』
日本テレビ『ぼくら、ディスレクシア ~読めなくても、書けなくても~』

「読」という漢字が、うまく働いている脳の部分で”新しい何か”に変換・創造されている可能性もある。

つまり、私たちがみることができない世界を、ディスレクシアの方々は”見えています”。


しかし、現代社会ではディスレクシアの見える世界では正直、生きづらいでしょう。

学校には読む場面、書く場面が多い場所ですよね、そのためいろいろな誤解が生まれたり、こう思われるでしょう、「努力が足りない」「さぼっている」というように、理解されないのです。


だからこそ、みんながディスレクシアのことを少しでも理解してくれば、みんなが彼らに少し寄り添えば、学校も社会も変わるはずです。


さらにいえば、ディスレクシアの方々が”見えている世界”には【本当の意味】があるかもしれません。その本当の意味が分かったとき・・・・


誰もが生きやすい世界が生まれるかもしれない。

私はそう信じています、だからディスレクシアは可能性を秘めている能力だと思っています。

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