【7月23日】子どもは、お前を見ている

今日はすごい発見をしたよ。
うまく書き残せるかわからんけれど、頑張って書いてみる。

今日は、森のようちえんのお散歩会の日。
この森のようちえんは、6月13日に参加したお散歩会と同じ園が主催されたもので、僕は2回目の参加となる。
(当時の状況は、6月13日のnoteに記載アリ)

前回のお散歩会で、僕は「親が楽しんでいれば、子どもも楽しんでくれる」という法則を発見した。

だから、僕は今日も、はしゃいだりして楽しむ姿を長男に見せていた。
だけどだけど、実は僕、楽しくなかった。
つまり楽しんでいるフリをしていたんだね。

なんで、僕が楽しくなかったのか。
色々と理由はあるけれど、全て僕自身が未熟だったからだ。
これは本当にその一言に尽きていて、園だとか他の参加者の方々は本当に素敵な方達ばかりだった。

その結果、長男はずっとグズりっぱなしだった。
いつの間にか、最後尾になり、どんどん取り残されていった。

長男に歩いて欲しいのに、抱っこをせがまれ、泣き出され、僕のイライラは募るばかりだった。
歯がゆい。

こんなことでイライラしてしまう自分が嫌で仕方がなかった。

でも、なんとか必死で笑顔を取り繕って、必要以上に大きな声で笑って、楽しんでいるんだって伝えようとした。

それでもダメだった。


そんなこんなで、牛歩のような速度で進んでいた僕らに、スタッフの方がお一人話しかけにきてくださった。

「この草、食べられるよ。」って、いきなり教えてもらえた。

「食べられるって、食べて見なよ!」と僕が長男に言うと、スタッフさんが「まずはお父さんから」って返ってきた。

僕は食べて見た。
不思議な味がした。
人に話しかけてもらえたこと、草が不思議な味がしたことが重なり合って、僕はちょっと元気になった。
楽しくなった。

そしたら、長男のグズりがピタリと止まった。

その後、僕はそのスタッフさんとお話をしながら歩くことになった。
誰かとコミュニケーションを取れるのが嬉しくて、僕はどんどん楽しくなっていった。

すると、長男もどんどん笑顔になって、ずんずん歩き始めた。

びっくりした。

「親が楽しんでいれば、子どもも楽しんでくれる」という法則には、条件があるって勝手に思い込んでいた。

その条件とは、「あくまで子どもと一緒に遊んでいる中で」というシーンの条件だ。

例えば、一緒に遊具で遊ぶ、とか、一緒にゲームを楽しむ、とか。

でも、今日のは違った。

言葉は悪いけれど、僕は長男をそっちのけで、自分の寂しい気持ちを埋めたくってスタッフの方と話をしていた。

でもそんな僕の姿を見て、長男は元気になってくれた。

これは、すごい発見じゃないか。

僕らは、どうしても子どもの機嫌をとるために、自分の感情を犠牲にしてしまう。
子どもが楽しむためには、自分は辛いことを我慢しなければ、なんて極端な考え方をしてしまう日もある。

でも、子どもは想像よりもはるかに深く、僕ら親のことを見ている。
取り繕った笑顔なんかじゃ誤魔化しようがない。

僕らの深い深い部分の感情を理解しているんだ。

そこの感情がハッピーなら、子どももハッピー。
そこの感情が暗ければ、子どもも暗くなってしまう。


だから、すごく遠回りなようだし、自分本位な考え方のようにも思えるけれど、まずは僕ら親が、心から楽しむこと。
これが、最初なんじゃないかな。

いや、マジで、子どもってすごいよ。
凄腕のメンタリストだわ笑。

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