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リスクコミュニケーション | daily

リスクというのは定量化可能な被害の程度およびその生起確率をかけ合わせたものです。そしてリスクコミュニケーションというのは、そのリスクに晒される可能性のある人々、まあ利害関係者に対して起こりうる被害についてエビデンスに基づいて説明責任を果たすことであり、意思決定に役立つ適切な情報を提供することだとされています。まあこれらは全てその利害関係者間において科学的なエビデンスに基づく理性的な意思決定ができる、という想定のある、いいバージョンのリスクコミュニケーションです。もう少し緩い人向けには、そもそもリスクに対しての評価方法などという話をする前にしなければならないことがあります。それは、過大な恐怖感を抱かないようにすること、またこの世には不確かな事が多く、常に情報をアップデートし判断を改める必要があるということを理解させることです。誰が言っているかというのはもちろん、情報の精度を判断する上で重要な基準ですが、リスクという損失や被害を伴うものについては、もう少し情報の確度を高めたいところです。例えば、公的な機関の複数の統計データを参考にすることや、適切な評価機関のデータや、医療におけるセカンドオピニオンのように複数の専門家の見解を聞くといった情報収集の仕方を検討したいですよね。

リスクというのはことさら騒ぎ立てるような危険なものではなく、生きている限り降りかかる恐れのある身近なもののはずですが、なかなかそういう扱いはされないようです。まあ無リスクですよ、とかって言う方が安心する人もいるのかもしれませんが、個人的にはリスクを開示しないで取引を行おうとする人間には不誠実さしか感じません。

さて、なんでこんな話をしているのかといえば、まあコロナウイルスのニュースを見ていると、我々は3.11以降何を学んできたのだろうか、ということを考えていたからです。地震はいつ起こるか分からない、放射能を管理する機能は万全とはいえない、放射線にさらされたらすぐに死ぬわけではない、何よりも怖いのは人間、ということは学んでいるはずですが、今回も同じように情報に踊らされている人が多く見られるようです。もちろん、未知のものは恐ろしいものですが、それでも適切な怖がり方や、対処の仕方があるのではないかと思うわけです。

何度も言いますが、恐怖を煽り続けるコミュニケーションは悪です。


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