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decade | daily

何か計画を立てる際に、3年、5年、10年、30年とそれぞれ実行の期間によって目標や行動指針は変わっていくものです。2020年ということで、次の10年に何をしたいかと考える方も多いのではないでしょうか。既に平成の30年は失われてしまったと言われておりますが、decadeという単位で3つ分、人生100年としても約1/3が失われているというのはなかなか衝撃的です。

10年と少し前にはiPhoneはありませんでしたし、クラウドサービスもこんなにはありませんでした。日々生み出されるゴミのようなインターネットミームもありませんでしたしTik Tokもありませんでした。未来予測は基本的には外れるものですし、外れて欲しいとも思います。どれだけ賢い人の予測であっても、その想像の範囲を超えないというのは人類の営みの集積としての社会の進歩というものがあるとしたらちょっとさみしい話ではないでしょうか。

テクノロジーは世界を今後も大きく変えていくでしょう。それが人類の総意として望まれるような結果を生む保証はどこにもないわけですが、それでも世界を変えていく道具としてテクノロジー以外の選択があるようには見えません。よくテクノロジーは道具であり、それを使う人間の善悪を反映するように使われるだけだと言われます。つまり、テクノロジーという物自体には善悪の判断は付随しないということです。まあその辺はそもそも科学技術の発展自体が投資や政治、制度的な枠組みの中で生み出されてくるものなので、議論の余地もなく偏りはあるものなのでは、と思います。

日常の課題に対して考える支えにならないのであれば哲学に何の意味があるだろうか、という話はよく聞きますが、何が日常を支えているのか、ということを理解することもまた難しく、複雑に絡み合った利害や仕組みの中で何が検討の余地があり、何がもはや手遅れなのか、を判断することは個々人の努力に帰されがちです。それゆえ、同じものについて話しているように傍からは見えるのに、全然議論が噛み合っていないように見えることもしばしばです。

私設図書室を運営することにした第一の目的は収蔵しきれない本を保管する場所を確保することなわけですが、どうせやるなら知の結晶である本を物理的に残し、願わくばその知を共有したいと思っているわけです。これはいわゆる、Vision、Mission、うんたらかんらで言うところのMissionなのかな、と。

次の10年、どう生きていきますか?


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