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明日のために(圧倒的成長)|2023-04-25

今回は、うでパスタが書く。

人間というのは怖ろしいもので、相手があたまを下げると自分が偉くなったと簡単に信じ込むことができる。

若くで税理士の資格をとっていたかつての同僚は、事務所のボスから「この仕事は試験に通ればいろんな人から“先生“、“先生”と呼ばれるものだから勘違いしておかしくなってしまうものです」と注意されたと話していたが、立派な方だったのだろうと思う。そもそも教師を「先生」と呼ぶことには特に違和感をおぼえないが、いわゆる士業のプロフェッショナルに対しておなじ「先生」をつけるのはちょっと安易すぎたのではないかという気がするし、ましてや代議士を“先生”扱いするのは百害あって一利なしであろう。

かつてまた別の同僚がひどい躁病を患ったとき(というか躁鬱を患って躁状態から還ってこられなくなったとき)には、閉鎖病棟へ収容してもらう手続きが済むまでのあいだ危険があってはいけないという相談を関係者としていたのだが、当時の彼は新宿にあるタワーマンションの二十何階だかの部屋(“部屋”でいいんですよね?)を買っており、そこはもちろん窓の開かない仕様になっていることを確認したりしていたのだが、それを聞いた年下の役員が「タワマンなんぞ住んで上から人の頭きり(ばかり)見よったら、ほらおかしなるやろ」と吐き捨てていたことをよく思い出す。けだし名言という他なかろう。
人間というのは存外簡単にできていて、しかしどういうわけか自分はだいぶんフクザツなんだと思い込むことが出来るだけのようだ。複雑なことを言ったりやったりするのに自分が複雑である必要はない。これは実はあたりまえのことである。「ととのえる」という言い方が流行っているが、大きいことが手につかないという場合にはお手上げになる前に細かいことから整えるのがどうやら実際に有効らしいという証左には事欠かない。

そのようなわけで、今月も私がほとんど「九段下パルチザン」を更新しないままに月が変わろうとしていることについては特に謝罪も弁明もしない。いかに気持ちの問題だとことわっても、頭を下げると読者がそれを勘違いしてしまうリスクを私にはコントロールできないからだ。ただし、それにもかかわらず月例のYouTubeLIVE配信においては巨額の投げ銭をいただいていることには深く感謝を申しあげる。

最近はようやくまたランニングを再開することができて、このままいけば四月は少なくとも二日にいちどは一時間、八キロ以上を走ったということで終われそうだ。
いろいろな人が呟いているが、日常的にできる運動のなかでもランニングは特にダイエットに効果がなく、心肺や関節に負担が大きくて細胞の酸化を通じて老化を早めるらしいということは私も何となく確信している。だいたい私が高校三年生のとき、英語の教師は毎日近所の大学のグラウンドでジョギングするのを日課としていたが、結局その途中に倒れてそのまま亡くなってしまった。冗談じゃないという感じだ。
しかし同時にランニングほどつらい運動もなかなかなく、これが肉体的というよりむしろ精神的な鍛錬であることは村上春樹大先生もまた認めるところである。

これは配信でも話したことだが、二〇一五年に芥川賞を受賞した「スクラップ・アンド・ビルド」(羽田圭介/文春文庫)を読んだ。お気付きの方も多いと思うが、私はふだん日本の作家が書いた作品をほとんどまったく読まない。しかしたぶんそもそもほとんど小説を読まないと思われるとある社長がサイゴンのプールでこどもを遊ばせているあいだに「最近読みました」と言って紹介してくれたので、なんか放っておくのも悪いと感じ、「読みます」と言ってしまったのだ。

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