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俄雨と狐の嫁入り | Weekly vol.082

海の近くに住んでみたかった。思えば幼い頃から漠然と憧れていたのだ、海辺の暮らしというものに。そこで思い立って家を売り払い海沿いの漁村に余っていた廃墟になりかけていた家を購入して住むことにした。高齢化社会が極まっている漁村では転入者自体が珍しいようで、村内を徘徊していると同じように徘徊している老人からよく話しかけられる。聞かれることは毎回同じで、どこから来て、何をしに来ていつまでいるのか、というものだ。老人たちの間で共有しておいてくれればいいものを、何度も同じ話をするのも退屈なので、適当に嘘を織り交ぜてしまうため、しまいには老人たちも真偽の程が分からなくなってくるのか、次第に天気の話や自身の話を一方的にしてくるだけになった。

堤防に座って海を眺めているとかもめかうみねこが飛んでいるのがよく見える。鳥は昔怖い映画を見て以来あまり好きではないので、厳格に区別をつけたいと思うことはないのだが、海辺を飛んでいるのはだいたいかもめかうみねこだと思うことにしている。正直なところ、その区別がつくようになったからなんだという思いもある。雑草というのは自分が名前を知らない、分類できない草花の総称であると言われるが全くもってその通りで、雑草に限らず人は世界の分類を雑にしている。何かのお肉を味付けして焼いたものとか、切り身の魚とか、自分が口にする食べ物でさえその程度の認識だったりするわけで、それより複雑な世界の事情については知る由もないわけだ。もちろん、そうした分類を専門にしている人達もいるわけで、ちゃんと調べたり学んだりすれば違いというものが分かってくる。知るということは分類し整理することだ。

港に行って魚の水揚げを見ている時に漁師にこれは何という魚なのかと尋ねると、似たような魚でも呼び名が異なることがある。それが方言なのか通称なのか、生物分類上の正式名称なのかというのは当の漁師自身もあまり気にしていないようで、便宜的に分類できればいいという感じである。道具的に分類というものを行うというのはある意味正しいことなのだろうとは思う。ここには厳密さへの要求というものはなく、美味しくない、毒があるといった情報の方がずっと価値が高いのだ。

豪雪地帯では雪の分類が何十種類とあるという。この漁村でも、波の高低、風の強弱とか、生活に密着した環境の変化についての語彙は豊富にある。有限な時間を使うか分からない知識に費やすのは馬鹿げているというシニカルさがあるわけでもなく、そもそも必要としていないし、それより他にやることが沢山あるということなのだろう。生きることを無条件に受け入れるという自然さとでもいうか。そして朽ちていくことを受け入れているようにも見える。

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彼女は音読をやめると窓の外の月をしばらく眺めてからこちらに向き直った。
疫病の流行により65歳以上の人口が激減し、人口ピラミッドは意図せず逆さピラミッドから本来の形へと戻った。80億人近くいた人口は10億程度まで減り、その代わりにロボットが大量に生産された。健康で意欲がありテクノロジーに明るい若者が夢想した世界をそのまま実現することを阻むものはなく、世界は好転したかに見えた。未来や希望を奪われたと激昂していた少女はその変化に適応できなかったという話だったが、彼女が描いていた未来や希望とは何だったのだろうか。

湾岸のタワーマンションは職住近接、都会のリゾートなどといってたがそもそも労働のために毎日移動をするという生き方自体が時代にそぐわなくなり、ほどなく寂れていった。文教地区と言われていたエリアも例外ではなく、都市というもののあり方が問われることになった。共同体と呼ぶには希薄な人間関係は、人類の危機という局面においても協力を促す後押しにはなりえず、先ほど彼女が読んでいた漁村のように朽ちていくに任せるしかないというか、それを受け入れざるを得ない状況を生み出していた。

もちろん、そうした状況を冷静に分析していた者もいた。それを理解する者はほとんどいなかった。今こうして振り返ってみると、当時の分析の中にも正鵠を射るものもあり、それに従えていたら結果は異なっていたかもしれないと思われるものもある。ただ、人は渦中において物事を正確に捉えられるほど冷静ではいられないし、一方でそうした欲望や動機といったものが世界を動かしてきたのが歴史であり、それをも踏まえた提言が必要だったのかもしれない。いずれにしても歴史の針は巻き戻せないし、こうした事後的な反省は記録には残すべきだろうが、喧伝するものではない。

図書室の存在意義とはこうした声を残すことであり、ともすればなかったことにされてしまいがちな正しかった話というものを後の世に伝えることであろう。神殿に神はいないが、そこに神殿を設けるという精神と行為の中には神がいるということなのかもしれない。

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11月には復活する、と言っていたDailyが更新されないのは米国大統領選挙に絡む投機に失敗してそれどころではない精神状態になっているからで、これを癒やし再び創作に駆り立てる事ができるものがあるとしたら、それは望外のお金以外にはないわけです。とはいえ、なんだかんだと休息を取る必要もあったということで、我慢の三連休明けからは復活の予定です。ちなみにワクチンに絡むトレードでも失敗しており、人の欲というものは御しがたいですね。

さて、相場の話はさておき、日本を代表する大手企業が続々と人員削減に励んでおり、何回目かの氷河期と言われております。キノコが就職した際も氷河期と言われておりましたが、人間が生きている限りエントロピーは増大し、そこには雇用が生まれるらしいので生きようという意欲がある人は生きていくのでしょう。キノコはもう限界です。限界ではありますが、家族もいるのでもう少しだけだましだましやっていかねばなりません。

余談ではありますが、2月に購入したマンションが建て替えになりそうで、やはり定住できない運命なのではないかと感じております。これからどういう手順で家を失っていくのか、ということは小出しにしていく予定です。

というわけで本日も前置きとは関係なく、科学リテラシーって大事っぽいですよねという話をしていきたいと思います。

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