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あたりまえ?

朝に目が覚め、動き回り、仕事をし、食事をし、夜にはまた眠ることができる。

あたりまえ・・でしょうか?

先日、夫婦で昼食をとっていると、消防車のサイレンが聞こえてきました。

食事の手を休めて、消火活動がうまくいき、住人の方が無事であるようにと祈っている内に、サイレンの音がどんどん近づいてきます。

なんと、わずか数軒先にある屋外物置が燃えていたのでした。

ものすごい煙が上がっていましたが、延焼することもなく、しばらくして無事に鎮火されました。

聞いたところでは、持ち主さんは外出する予定だったのですが、ある理由によりすぐに出られなかったため、火事を発見できたそうです。

出火に気づく前に外出していれば、また、最近そうだったように強風が吹いていれば、ご近所さんに火が広がり、もしかすると私の家にも迫っていたかもしれません。

深刻な事態にならなかったことを、神に感謝しました。

通常とは違うことが起きる時、あたりまえの日常やあたりまえにできていることが、実はあたりまえのことではなく、非常にありがたいことなのだと気づきます。

悪性腫瘍で片足を失い、さらに肺への転移により若くして逝かれた井村和清という医師が、死の20日前に書き遺した『あたりまえ』という詩があります。

失った時に初めてありがたみの分かる「あたりまえ」なことの数々について書かれたもので、そういったことを私たちが日頃からもっと感謝するよう訴えているような詩です。

あたりまえの日常が崩れた時だけではなく、常にそのような神の祝福を感謝し、主がどれほど私たちに良くしてくださっているかを意識して生きる人生でありたいと思います。

わがたましいよ 主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103:2 新改訳2017)

そして、祈る時にも、神にお願いするだけではなく、心から感謝することを忘れませんように。

何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。(ピリピ4:6)
絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。(1テサロニケ5:17-18)

  ◆ ◆ ◆

『あたりまえ』 井村和清

こんなすばらしいことを、
みんなはなぜよろこばないのでしょう。
あたりまえであることを。
お父さんがいる。お母さんがいる。
手が二本あって、足が二本ある。
行きたいところへ自分で歩いて行ける。
手を伸ばせばなんでもとれる。
音が聞こえて声が出る。
こんなしあわせはあるでしょうか。
しかし、だれもそれをよろこばない。
あたりまえだ、と笑ってすます。
食事が食べられる。
夜になるとちゃんと眠れ、
そして、また、朝が来る。
空気を胸いっぱいにすえる。
笑える、泣ける、叫ぶこともできる。
走り回れる、みんなあたりまえのこと。
こんなすばらしいことを、
みんなは決してよろこばない。
そのありがたさを知っているのは、
それをなくした人たちだけ。
なぜでしょう。
あたりまえ。


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