母の武勇伝。
私の母親は6年前に癌で亡くなっている。そのことが今後の私に多大に影響を与えていて、それ以前と以後の私はまるで人格が変わったように感じるので、私のことを語るには外せないキーワードであることは断言できる。
ただ湿っぽい話になってしまうので、今日は今私が覚えている母親の武勇伝?なんかを書きたいと思う。
母はとにかく明るくて面白い人。
学生時代の話を聞くと、真っ先に彷彿とさせるのは《正義感の強いヤンキー》。
ドラマに出てくるような、いわゆるいじめっ子がいじめられている現場に乗り込んでいじめっ子を庇っていた。
でも学校にはあまり行かず、行っても授業中いつも友達と喋っているので先生からいつも注意されていたらしい。しかもお昼になると泥沼の昼ドラ《ぬかるみの女》を見るために授業を抜け出していたので、ついに先生たちから校門のところで通せんぼされたとか。
「ぬかるみの女の続き見られへんやん!!今日良いところやのに!」
と必死に懇願しても校門を通してくれなかったのでとても腹が立ったと語っていた。
ちなみに容姿は身長173cm、髪は茶色に染めて、クォーターみたいな顔立ちだったのでかなりモテていたらしいが軒並みに振っていたと言う。
今でも覚えているのは、当時の野球部の部員たち全員から同時に告白されて、誰か一人選んで欲しい、と手を差し出されたが、全員断ったそう。
確かに美人で明るくて面白くて正義感の強い女性がモテない訳ないよな、と思う。
あと修学旅行の際、あまりにも学校に来ないから自分だけ学校で補習させられそうになったところ、全校生徒が母を修学旅行に行かせるために署名を集めて、校長先生に提出したらしい。
それでも学校側は母の修学旅行行きを許さなかったらしいのだが。
「みんなが頑張って集めてくれたのに行かせてくれへんとかど思う?!今思い出してもあの先生腹立つわ!」
と当時小学生の私に語ってくれた時の顔が眼に浮かぶ。
とにかく話が上手で面白いのでみんなからとっても好かれていたというのは、生前の母の様子からも一目瞭然であった。
進路相談の時には真剣に担任の先生から吉本に入ることを勧められていたらしい。
確かにもし吉本に入っていたら、今頃上沼恵美子さんぐらいのポジションにはつけていたのではと心底思う。
父親に、母親のどんなところが好きか尋ねると一言めに返ってくるのが、
「おもろいところや」
である。
「女はおもろないとあかん」
と続けて父親は言った。
だからいつも家庭は笑いに満ち溢れていた。
とにかく、毎日何かしらおもろいことがあった。
本当はもっともっとおもろい話があるのだが、これ以上書くと天国の母からしばかれそうなので今日はこの辺にしておこうと思う。
6年前、母が昏睡して意識がなくなる直前、私はすごく泣いていた。
母は目をつぶりながら、
「泣かんとき」
と私に言った。
だから私はできるだけ泣かないで生きていきたいなと思っているのだけど、今これを書きながら泣いている。
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