平和とガンジーとマグニダール
「最期に食べるんだったらこれを食べて死にたい。」
陽の光が柔らかく差し込む石畳の部屋で画家が放った言葉を私は未だに忘れられない。
彼が食べたのはマグニダール(mugni dal)といわれる緑豆を半分にしたものを煮込み、スープ状にしたものを簡単なスパイスと塩そしてほんの少しの酸味と甘みで味付けしたものだったと思う。
ちょうど私が20代はじめの頃インド全土のガンジーアシュラムを訪ねて泊まらせてもらったり、色々と手伝いをさせてもらった頃にひと月ほど彼も一緒だった。彼がマグニダールを食べたのはインド中部のセワグラムという村にあるガンジーアシュラムである。マハトマ・ガンジーが1936年から1948年まで住んでいた場所としても有名である。
ダールすなわち豆文化はインドの菜食文化を語るにおいて欠かしてはならない存在である。
現在、インド料理は多くの方々に関心をもたれているように感じる。その中でもインドの菜食文化は大きな関心ごとの一つだ。
インドはそもそも菜食文化だったわけではない、元来は狩りをした動物からたんぱく質を摂取していた。聞いた話によると御釈迦様も幼い頃は週に1回、肉を食していたそうだ。では、なぜ菜食文化や豆を食べる文化が発達してきたのだろう。私が思うに、一番の要因は社会環境が揃い、狩猟生活から農耕生活へ変わっていったことではないだろうか。肉は長期にわたって保存することが困難であり、冬を越すのはなかなかに難しい。また、消化にも負担が大きい。
時代が進むにつれ、社会環境が出来上がっていく、やがてインダス文明が興りそれまで狩りをしながら転々と移住していた人たちが定住するようになる。安定した場所に永く住めるということは「平和」を意味し、多くの人たちは豆や米、そして野菜を継続的に栽培した。
「平和」の中で生まれたのがインドの豆文化なのではないだろうか。
豆の栽培や調理法が広められるようになっていくと、豆を食すときの体への負担を減らすため「ダール」や「ベッサン」など画期的な豆の加工法が編み出されていった。ダールは豆を半分にしたものである。浸水時間も調理時間も従来の1/10程度である。ベッサンは主にひよこ豆を粉状にしたもので、油の吸収力も高く食器を洗ったり、赤ちゃんの体を洗うのにも使われる。もちろん調理にも。
おそらくダールの使い勝手の良さは瞬く間にインドで広がったであろう。そして今ではインドの家庭料理、屋台料理、そしてレストランでも欠かせないものとなった。ダールやベッサンを生み出したことによって菜食文化は発展し、何千年も続く豊かな食生活が生まれていった。
私の田舎である、インド西部のグジャラート州では、4千〜5千年前から豆食文化が続いているといわれている。豆食文化の多くは、お寺のお坊さんから庶民に伝えられていったといわれている。お寺の味から家庭の味へ。インド全土で豆食文化は開花されていった。南インドを代表するクレープのようなドーサや蒸しパンのようなイドゥリ。二つともウラドダールという豆を使っている。
何千年もの時間が培ってきた豆料理。
「平和」と「ガンジー」と「マグニダール」
確かに最期に食べたいものかもしれない。
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