困った人を信用できない心の腐ったぼく

将来、どういう人間になれば良いか?

そう子供に尋ねられた時の答えを、ぼくはすでに持っている。

『駅で、道を聞かれるような人になりなさい』

まるまんま、受け売りである。だれから売られたかは覚えていないが、その考え、精神性は、一理あり、そして真理の一つだと信じている。見ず知らずの人に、「この人は信頼できそうだ」と思われるような、そういう立ち居振る舞い、身なりをしなさいということだ。

そして今日、駅で声をかけられた。

関西一の大迷宮と謡われた、梅田の地下街≪ホワイティ≫での出来事だ。

相手は老人……60代だろう男性だった。

目が合い、片手を上げて呼び止められた。

老人は申し訳なさそうに、「地元の人ですか?」と口を開いた。そりゃそうだ。ここは大迷宮。界隈をナビゲート出来る人は、地元の人間の、それも鳥をも迷う大迷宮を把握している人に限られる。

その点において、この老人は人を見る目がある。ホワイティは庭のようなものだ。梅田の街を歩く場合、地下に降りたほうがいいと考える人間だ。

ぼくは胸を張って、先に口を開いた。

「道に迷われましたか? どちらまで行かれるのですか?」

すると老人は答えた。

「いいえ、そうじゃないんです」

その瞬間、ぼくは心の中で手のひらをグッルーーーン!! と返した。ショーン・ホワイトもびっくりの1080からのダブルマックツイストを決めた。五輪手のひら返し決勝があるとすれば、『メダルは間違いありません、あとは色だけです』と実況も熱を込めるほどの手のひら返しだった。

考えてもみよう。

駅で道案内以外の目的を持った、見知らぬ人から声を掛けられるとき、どんな可能性が考えられるか。

おおよそ、『宗教、マルチ、カネ』だろう。

老人は、どうも宗教ではなさそうだ。昔、見せられた宗教勧誘ビデオでは、『その宗教を信心すると、目が輝き、はつらつとする』そうだ。30分ほどの地獄に付き合わされたが、こんにちまで折伏させられることなく生きている。だが老人はそうではなかった。その目には、年相応の活力しか見受けられなかった。

そしてまた、マルチの勧誘でもなさそうだ。その手の人間はだいたい、「ボランティアに興味は…?」と声をかけてくる。それも若い大学生くらいの、身なりの小ぎれいな人が、実地研修とばかりに遣わされる。老人は、またしてもそうではなかった。若くもなく、目に焼き付いた身なりは、ボートピアから首をかしげてよろよろと這い出てくるような雰囲気だ。

そして残った可能性……人類みなに平等の悩みを与える、カネだ。

ここまで考えるのに、2秒を要した。

ショーン・ホワイトもびっくりのトリックを決めつつ、だ。

そしてまた同時に、興味も湧いてくる。

このジジイが、どんな手口で寸借詐欺を働くのだろうか、と。

メダルの色を左右する相手選手は、いったいどんな奇抜なトリックを仕掛けてくるだろうか、と。

「ほう、どうしたんですか?」

まだ話の分かりそうな好青年を装い、老人の話の背中を押す。老人は老人然とした、ぼそぼそとした喋りで、身の上を語り始めた。ぼくもこの老人のトリックを一言一句聞き漏らさぬよう、梅田の地下で耳を澄ました。

「私はね、今日、名古屋から来たんですよ。何年かぶりに、友人を訪ねにね。でも訪ねて行った先には、もう友人は住んでいなくて、それで名古屋まで帰ろうにもね、もうお金がないんですよ」


………………おい設定がガバガバじゃねえか!!


いったいどこの世界に、片道分の切符代だけ持って家を出る人間がいるんだ?

ましてや何年かぶりに友人に会えたとして、そのあとその友人に、「名古屋までの電車賃出してくれ。無理なら大阪から帰れなくなる」とでも言うつもりだったのだろうか。

ぼくにも友人はいる。いくらかいる。何年も会っていない、メールの一斉送信で年賀状を送るようなつながりになった相手がいる。だがそいつがもし、突然ここに現れて、「やあやあ元気してたかね」と募る話もしたのちに、ちょっと金貸してくれと言い出したら、こいつとは縁を切ってもいいやと考えるだろう。

ましてやここは梅田だ。梅田に住むような人間は限られている。東京や名古屋や、それ相当の大都会に住む人間を想像してほしい。そういう人に、突然数年ぶりに会いに行くか、と。またそこ住んでいたとして、突然数年ぶりに会いに来た友人が、帰りの電車賃立て替えてくれと言い出したら、どう思うか。

なおかつそういう頼みをして、『ハハハ、しょうがないなあ!』と言い合える気前の良い間柄なら、せめて金感情はきちんとしようと思うのが人情というものだろうし、住まいが変わったのであれば、なにかしら連絡はあるだろう。今は三月。少し前に老人の大好物、年賀状というイベントがあってすぐのことだ。

あまりにお粗末。あまりにガバガバ。単純に財布をなくしたというならまだしも、小学生でさえ、帰りの電車賃を考えてお小遣いをやりくりするだろう。もしそう考えない子供がいたとしたら、その子に必要なのは帰りの電車賃ではなく、教育と説教だ。

けれどもぼくは、この老人にしてやれる説教を持ち合わせていない。自分より倍ほど生きているだろう人相手に、雄弁に語れるほどの人生訓はまだ得られていない。

さいわい階段をあがってすぐのところに、警察署がある。そこへ行きましょう。お巡りさんはわりとお金を貸してくれます、と提案すると、老人は、言った。

「なら、けっこうです。では」

そしてぼくは返した手のひらを握りしめ、その場を後にした。

心の金メダルをかみしめながら。

しかし、しかしである。

本当にあの老人が、片道分の切符代しかお財布にいれていなかったうっかりおちゃめジジイの可能性も、あるにはあっただろう。ほんの僅かだが、あったかもしれない。警察官には頼らんという古風なプライドを大事にする、うっかりおちゃめジジイだった可能性は、今となっては否定も肯定も出来ない。そのままお人柄よく騙されて、大阪名古屋間、在来線5000円弱の電車賃をくれてやったほうが、実は良かったのかもしれない。

老人の願いを断ったことによって、未だ途方に暮れているかもしれない老人と、とんでもねえ設定の寸借詐欺に遭いかけたという話が、二つ残った。

一方で、困ったお年寄りに救いの手を差し伸べれば、家に帰れない老人がこの世から消え、「だまされたかもしれんわw」という美談一つだけが残っただろう。

ぼくは、「困っています」という人の言葉を信じることが出来なかった。

これは紛れもない事実だ。

常識という、これまで培ってきた偏見によって判断したため、だ。

だからせめて、道案内くらいは出来るような、それくらいの助力ならいくらでも配り歩けるような人間になりなさいと言って、これからも生きていこうと思う。

………それにしたって設定がガバだよ……あんまりにもガバが過ぎるよ……。

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