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探偵ナイトスクープを見て、うなった話。

 『探偵ナイトスクープ』というバラエティ番組がある。大阪を中心に放送され、関西一円や、一部地域でネットされている、知る人ぞ知るご長寿番組……だったのも、今や昔の話だ。メインMCにかのダウンタウン松本人志が起用されて、その知名度はもはやローカルという存在ではない。

 どういう番組か。今さら説明するまでもないが、一言で言えば、水曜どうでしょうや白黒アンジャッシュ、いろはに千鳥やドォーモといった、地方ならではのおバカ(関西風に言えばアホ)を真剣にやる番組だ。

 真剣に取り組むべきアホは、視聴者からの依頼として紹介され、その疑問や謎を元に、探偵役のタレントが東奔西走をくりひろげ、世知辛い世の中の影に光を当てよう……という番組構成になる。出演者のほとんどはいわゆる、『素人』で、テレビ的な流れに与しない破天荒っぷりが、決まりきったテレビのお約束と相反して、一つのシュールな笑いを生み出す原動力となっている。このシュールさは、他ではなかなかお目にかかれない。

 一方、視聴者からの依頼がどんなものであっても、真剣に取り組む番組でもある。

 太平洋戦争末期、戦地から送られてきた会わずじまいの父は、やがて生まれてくる自分自身(=依頼者)の存在を知っていたのだろうか。最後に送られてきた手紙に、生まれる前の自分のことが書いてあるのではないか。探偵が見せられた手紙は色あせ、鉛筆で書かれた文字はかすれてほとんど読めなくなっていた。その手紙にわずかに残された炭の粉の筆跡を追う、世にいう、『レイテ島からの手紙』だ。

 大阪で放送されていることもあり、時たま阪神タイガースのネタが取り上げられることもある。とある依頼者は、阪神タイガースに関するある噂を耳にした。かつて所属していた外国人選手が、不慮の事故で亡くなったらしいという。携帯電話もない、テレビも小さい、インターネットなどない時代、なんとかこの情報の真意を知りたい。その依頼を受けて、探偵たちは海を渡る。『ラインバックは死んだのか』は、未だソフト化されていない。なんとかして、また見たいものだ。

 他にも優れた作品……まるでドキュメンタリーや、映画のような、見識と哲学に富んだ、依頼者と探偵のやり取りがしばしば放送される。

 そんな中、このご時世から行われていた再放送の中で、依頼そのものとは関係のない部分に目が止まった。

 お年寄りに好きなものを訪ねたら、だいたい「なんでも食べる」と答えるのではないか、という謎に対する依頼の、その話の枕の部分だ。

 17歳の依頼者は、『昨年、春休みを利用して神戸の街へボランティアへ行った時のことです』という一文で依頼を書き出していた。その年齢にしてずいぶん殊勝なことをするなあと思ったのだが、ふとテロップに目が止まった。

 番組の本放送は、『1996年の3月1日』となっていた。

 なるほど、とぼくはうなった。

 続けざま、『炊き出しで好きなメニューを聞いて、できるだけたくさんの人に喜んでもらいたい』と依頼文は続く。

 マジか、とぼくはたまげた。

 なぜか。

 1996年から少しだけ時間を戻すと、ある重大な、日本の制度設計に関わる大きな出来事があったからだ。

 そう、1995年の1月17日阪神大震災だ。

 たった数メートル、地層がズレただけで多くの命が失われ、防災の観点やその内情、住宅に関する法律や生活様式が、凄まじい勢いで刷新されていった大地震だ。

 それからおよそ一年が経ってなお、ボランティアによる炊き出しが実施されるほど、その窮状が見て取れたからだ。いつまでに事態が解決すればよいのか、という目立った指針はない。けれども、1年が経ってなお、まだ神戸は大変な事態にあったらしいことを、探偵ナイトスクープで知ることとなったのは、驚きというほかなかった。

 今では災害が起きた地域に、自衛隊の装備であるところの、『公衆浴場』がすぐさま手配される。これは神戸の震災で、どうしても体の臭いが我慢できないという被災者が、護衛艦の中の風呂に入れさせてくれないか、という話から得た教訓だ。

 学校や保育園・幼稚園で上履きが必須になったのも、瓦礫や割れたガラスの上をいくらかでも安全に逃げられるようにという、震災からの教訓である。

 住宅の強度や、その建設に関わる周辺環境が求められるようになったのも、この震災がきっかけだ。今では木造のみでの新築は不可能で、住宅を新築する場合、目の前の道路の広さなどがその条件に組み込まれる。

 その他諸々、列挙できないほど、その地震は大きな変化をもたらした。

 そして依頼の謎を解明すべく、街へ出た探偵は、かたっぱしからお年寄りに声をかけていく。

「好きな食べ物はなんですか?」「私はなんでも食べます」

「好きな食べ物は?」「なんでも食べるねん。せやから肥えてるんや」

「好きな食べ物はありますか?」「なんでも呼ばれますわ」

 わかっていてなお、想定された問答がくりかえされ、ひっくり返るほど笑い転げた。

 そうして今、好きなものを食べ、好きなところへ行ける環境が、本当にありがたいとあらためて実感した。

 今の神戸に震災の面影はほとんどない。ああ、この東急ハンズが建物ごと横倒しになってたんだな、と思うくらいだ。カメラマンの鴨志田穣氏が、「まるで戦場だが、戦場のほうがマシかもしれない。戦争は誰かを恨んだり出来るが、地震はその怒りを投げつけることさえ出来ない」と表現した町並みは、その傷跡すら感じられないほどにまでなった。

 笑える良い再放送だったし、折りに触れ、そこに傷があったことも思い出せた。笑いは本当に良い。なにもかもを忘れさせてくれる。

 ただ最近にわたって、2ヶ月あまり続いた痛みを、いつか忘れる日がくるだろうか。あるいは、忘れてしまったほうがいい痛みだろうか。

 来年か、十年後か、もっと先に、わかるかもしれない。

 わかるまで、生きていればの、話だが。

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